世界最速のインディアンのこと 1
資料を整理していたら、今はなき雑誌のjpgデータが出てきた。そうか、10数年前にはこんな原稿も書いてたんだな。という感慨を込めて当時のままで再掲載です。(残念なが写真の使用許可は・・・やっぱり無理ですね)
GLEAM VOL.1より
一度きりの人生。 そう分かってはいても、夢だけを追いかけて生きることなど そうできるものではない。 愛する家族や仕事、人との関わりなどなど。 「人生は思い通りにいかないものさ」などと云う言葉を口にした経験に思い当たることも少なくないだろう。
だからこそ人はヒーロー、ヒロインに憧れる。夢を託す。
昨年1月、ある映画が公開され た。
「世界最速のインディアン」オートバイで世界最高速を達成した
男の人生を描いた作品である。
時は1962年、舞台はアメリカ、ユタ州ボンヌヴィル。
塩平原(ソルトフラッツ)と呼ばれる文字通り見渡す限りを
塩で覆われた平野である。
この地が数々のスピード記録のメッカとして知られていることは
車や単車に詳しい人には常識かもしれない。
世界中から最高記録を目指す人々が集まるこの地で最も愛された男、
それが映画の主人公でもあるニュージーランド人バート・マンローだ。
映画の題名にもあるインディアンとは、
ネィティブアメリカンならぬアメリカ製のオートバイの名前。
ただし、このインディアンは1920年型。
当時でさえ40年前の骨董品である。
そして1899年生まれのバートはこの時63歳。
決して大金持ちの道楽などではない。
それどころか彼はニュージーランドに住む
一介の年金生活者に過ぎなかった。
その彼がなぜ、世界最速の記録を打ちたてることができたのだろう。
ライダーとしてはもちろん、エンジニアでもあった彼が、
自ら繰り返し改造を施したそのマシンには、
少ない予算を補うかのように慎ましい工夫が加えられていた。
ガソリンタンクにはキャップの替わりにコルク栓、
タイヤは高速仕様ではなくロードレース用。
それも高速に耐えるようゴムの大部分を
ヤスリで削っていたというのだからおそれいる。
世界最速はおろかテクニカル・インスペクション(レース前検査)を
通るのさえ危ぶまれたのも当然だろう。
ボンヌヴィルでは、予選で過去の記録を 塗り替えた者だけが
本戦での記録挑戦に参加できる。
太陽と塩の大地からの照り返しで摂氏40°Cにもなる
環境の中での挑戦は若者にとってさえ楽なものではない。
(続きは明日へ)
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