離婚とワタシ
色々な人の色々な話を聞いて「離婚」と一口に言っても十人十色だと気付いた。それが悲しい思い出の人もいれば、よい思い出の人もいる。そこに留まる人もいれば、そこから進みだす人もいる。色んな形があると思う。ひとつの形として、私の離婚経験を言葉にしてみたい。
一目惚れからの大恋愛からの結婚
私にとって元旦那さんとの結婚はドラマティックで最高なストーリーだった。初めて会ったのは音楽をやっていた彼のライブを観客として観に行った時。「あの人かっこいいね」と知人に即リサーチを入れる程度の一目惚れだった。それから紆余曲折あって、付き合うこととなり、すぐに同棲が始まった。同棲生活は楽しかったし、休みが合うたびに二人で遊びに出かけるような、周りからも”仲が良い”と言われるカップルだった。そんな彼と結婚が決まった時は、とても嬉しかったし、「なんてドラマティックな結末なんだろう!」と思っていた。
「家庭」に対するちょっと歪んだ拘り
ここで一気に過去の私のハナシ。私の「家庭」の記憶は、仲が悪かった両親と気まずい家庭の空気の記憶がほとんどだ。物心つく頃から、両親の仲が悪く、頻繁にケンカをする声を自分の部屋で怯えながら聞いていた。夕飯時にリビングに全員が揃っても、誰一人言葉を発さず、テレビの音だけが流れる。気を遣ってどちらかと話をしようものなら、もう一方のことが気になる。そんな緊張感の高い家庭で幼少期から思春期を過ごした。
この記憶が強烈に残っているからか、「安心できる居場所」や「誰かに愛される経験」を渇望している部分が強いと思う。家庭で安心できなかった私は、いつでもどこか物足りないと感じていて、それを友人関係や恋愛関係に求めてしまっていた。友人や恋人に依存して、迷惑をかけたり嫌われた経験は数え上げるときりが無い。
天国から地獄へ
そんな前提があるので、結婚が決まった時は、「あぁ、これでやっとこの満たされない感じから逃れることができる」と安心した。人生のほとんどを共に過ごしていたモヤモヤやトラウマに、やっと終止符が降りた感じがしていた。私にとって手に入れたものは、心の大きな穴を埋めてくれる存在だったのだと思う。この時点で依存しているなぁとは思うのだけれど。
だから「離婚したい」と言われて、「また私はこの不安の中で生きなければいけないのか」と絶望した。やっと終わったと思っていたのに、また突き落とされた感じ。一度、その甘い味を知ってしまったが故に、手放すことは知る前よりも一層辛かった。これを書いていても、まだ泣けてくる。今でもまだ完結した出来事ではないのだと、また痛みを味わっている。
この経験が私のやりたいことの基になっている。ここからどうしていきたいのかもよかったらご覧ください!