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人生最初のメンターが聴覚にハンディキャップを抱える方だった話

僕が社会に出てまともにアルバイト経験をしたのはユニクロが最初だった。仕事のいろはをそこで沢山学ばせていただいた。

店舗名は控えるが、僕が勤めたユニクロに先天性の聴覚障害者さん(Aさんとする)が居た。結論から言えば、その方が僕の人生初のメンター。

その店舗では、朝礼の唱和や基本的な挨拶、休憩に入る、トイレに行くサインなど、一通りのコミュニケーションを手話付きでまず教わる。
実際のところ、手話がなくても、筆談やジェスチャー、口パクでコミュニケーションはどうとでもなっていた。
それは、Aさんが読唇術に長けていたこともある。少し大袈裟に口パクするだけで、大抵のことは読み取ることができたからだ。あえて声を発さずに口パクする方が、伝わりやすかったと思う。

何より学べたのは、ちゃんと意思疎通を図りたいかどうかという純粋な気持ちを、自問自答できたことだった。

僕は、正直に言うと小さい頃は周囲の友達なんかと一緒になって、障害者のことを馬鹿にしていた時期もあった。今思えば、絶対に間違っていたし、当時の自分を呪いたいくらいだ。

周囲と違うことをネタにして、誰かを叩くことは簡単かも知れない。下手したら事実無根でさえも、無常にそれは成立する。たとえ、自分でその行いが間違いだと気付いていながらも、世渡りの防衛手段として、やりたくないのに叩いてしまったという経験は誰しも1つはあるだろう。

ただし、大人になって、いい歳になって、障害者の方々と共に労働することが当たり前の時代になり、実際に働いてみて、Aさんを師匠として敬い、盗める技術は全て盗んでみると、当たり前のことだけど普通の人じゃないかって気付く。

Aさんの何が凄かったかというと、裾上げ(補正)スピードが尋常じゃなかったことだ。
守秘義務の関係でオペレーションルールの詳細は言えないが、裾上げを受け付けてから、お渡しまでに時間制限がある。Aさんの補正スピードは噓偽りなく、平均的な従業員のスピードの3〜4倍はあった。

僕も補正を担当することになった際、業後に居残りで自主練していたが、その時にAさんが仕事の合間を縫って、僕に手ほどきをしてくれた。

その時に学んだ。発する言葉だけが言葉じゃない。

ジェスチャーやアイコンタクトのみで、「こう、こう!ここまで折ったら一気に縫う!」と、僕はすんなり受け取れたからだ。

言い換えると、僕が盗んだ技術は速く仕事をこなすための所謂

『所作』だった。

当時19歳で、周囲の人がどうか分からないが、僕はAさんがハンディを抱えることなど、微塵も気にしていなかった。
むしろ、手話を少しずつ教えていただいたりして、覚えていくことで、少しずつAさんと打ち解けていけたのがただ単に楽しかった。

こうして、浪人生のアルバイト生活(予備校行ったけど遊びすぎて大学落ちたから働かざるを得なかったw)を長者番付1位の方の企業で経験できたことを、今でもありがたく思う。

ついでに言うと、手話ができると少しだけ得をすることもある。例えば、少し面倒なお客様の対応が終わった後などに、手話で『大変だったね』とか、時にはお客さんの愚痴を手話でやって笑ったりしていた。

今でも覚えているのは、Aさんから誕生日プレゼントをいただいたことだ。そこに、手紙が添えられており、こう書かれていた。

ジーコさんは手話が少し分かるので、私と同じような方とコミュニケーションを少しでもとってもらえたら嬉しいです。

僕は誕生日をAさんに明かした記憶はない。だからこそ余計に嬉しかった。

それから現在で18年の月日が経つが、今でもAさんは現役だ。たまに買い物に行って見つかると、写真を撮らせてくれと言ってゴソゴソ裏に行ってカメラを持ってくる(笑)今でもそんな間柄だ。

綺麗事を並べまくったけど、ハッキリ言って僕は実際ロクでもない人間だと自分で思う。
遅刻魔だし、物忘れ激しいし、人にお金を使いすぎるから大体いつも金欠(笑)

でも、自分の人生なんだからもうそれでいいと思っている。

僕は色々やりたい人間で、今まで何種類のことをやっては辞め、やっては辞め、同じことを繰り返して来たか分からない。今でもそう。
何でも興味を持ったら知らないことは知りたいし、やったことないことをやりたいけど、やってみたら続かずにすぐ飽きちゃう。

何か自分にしかできないことはないのかな?ってずっと探しているけど、やり尽くす以外に方法が見当たらないので、今はとりあえずそうしている。

ということで、今回は僕の人格を形成した関係者のエピソードを書いてみた。

さて、次は何をしようかな?😂

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