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あの森は一体どこに行ってしまったのだろう?

 森を抜けてからというものどこを歩いてもコンクリートの地面が続いていた。時折、農作業をしているのか作物がちらほら見える。キャベツとかブロッコリーとか。そこにある土に触れる。踏み入れることはしない。小さなその段差は超えてはいけないものなんだと思う。きっと誰かの敷地内だから。そういうことに遠慮するというのは当然のことなのかもしれないし、ただ少しその敷地内であろう場所から土が溢れてコンクリートの上に積み重なっていた。だからそれを踏む。踏んでみると気持ち良いなと思う。足の裏にあの時踏みしめていたであろう感触が伝わってくる。あの森は一体どこに行ってしまったのだろう?そんなことを考える。第一森に入っていたのか定かではなかったし、夢の中で起きていたことだったのかもしれない。深い森の中を、真っ暗な森の中を歩いていた。長い時間そこにいたはずだし、森の中で適当に体がはまりそうな場所を見つけてはそこで眠った。今は確かにその森は抜けているしもう戻ることは出来ないのかもしれない。それが悲しい出来事であるのか、取り返しのつかないことをしてしまったのか今は判断ができない。しばらく歩いていると河川敷に出る。長い橋がかかっている。橋を渡る。途中、川に足を入れて鳥が日光浴をしているのが見える。何羽かが勢いよく羽ばたく。バサーバサーバサーッ。近くにある野球場ではトンビがひとつ座っている。レフトあたりで。守備にでもついているみたいだった。打球が飛んで来たらきっとたいていのフライはアウトにするだろう。ホームラン性の打球だってパクリと咥えてしまうかもしれない。だって彼らはあんなにクレープやおにぎりを横取りするのが上手なんだから。ただ硬球だったらいくらあの嘴でも持ちこたえられるのか心配になる。もしかしたら両翼で上手にキャッチするのかもしれないけれど。

 橋を渡りきって川の向こう岸に着く。草が生えているあたりに腰掛ける。カバンからおにぎりを取り出す。鱈をごま油と塩で焼いて紫蘇を刻んで混ぜたおにぎり。ひとつ腹の中に入れる。お腹が空いていたんだと思う。ここではお腹が空くんだと思う。だから忘れずに食べなくちゃいけない。貧血気味で元気が出ないのではなくお腹が空いてエネルギーが切れているだけのなのかもしれないから。

 川を越えてしばらく歩くと車の通りが増えて大きな道路に出る。見たことがあるなと思う。環七通りみたいだと思った。子供の頃環七通りに電気屋さんがあった。何という名前だっただろう。とにかくそこにはゲームソフトなんかが売っていて、新しいものが発売されるとそこに買いに行った。確か天地創造とか、聖剣伝説とか。なんて名前だっただろうあの電気屋さん。環七通りにあったデニーズ、ちゃんぽん屋、味噌ラーメン屋。たいていの空腹は環七通りで満たせるのかもしれない。環七通りにある幼稚園に通っていた。家の前までバスが迎えに来る。行きたくなくて号泣していた。絶対に行きたくないと思った。家を出てバスの前に行くと待っている子供達がいた。一つ下の男の子がいた。コウタ。(コウタはのちに僕よりも早く自転車の補助輪を外して自転車を乗り回す。僕は焦って補助輪を外すことをせがむ。練習した結果しばらくして補助輪を外して乗れるようになる。僕はいつもどこかでコウタの存在に急かされて、焦らされていた)コウタは冷ややかな目を向ける。身体が硬直する。硬直したまま、涙をこらえたままバスに乗る。席に座った時僕はすっかり泣き止む。その時を境に感情が何もかもふるい落とされてしまったみたいに。何かの境界がその座席にはあったのかもしれない。その日からうまく言葉を発することができなくなった。何もかもをこらえることにして、何もかもを抱え込むことにした。そうじゃなきゃこれからの社会生活を送ることは非常に困難になるだろうから。僕はこの日あちら側に行ってしまったのだ。座席からフロントガラス越しに道路を見る。すごく眩しい。目を閉じる。暗闇の中で溺れてしまったみたいに僕の体は沈んで行く。ブクブクブク。泡だけが生存の印みたいに立ち込めて、やがて消えて行く。

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