アホ星人が何を象徴するのだろうとか考えても仕方ないのだけど
新緑の中に入って行く。薄緑の光のカーテン。外側から見るのとでは随分様子が違うなぁと思う。眩しいくらいに反射する光はとても透明なものだったりする。なんだか体がムクムクっと起き上がるみたいな感じがした。
焦っても仕方がないと思いながら、焦って行動する。ついてくる結果に対して憤慨する。ムキャー!!!しかしどうだろう。今だけお得な大キャンペーン!この機を逃すな!そんなものに騙されてたまるかと思いながら、結局、気づいたら、今やらないと損しちゃうんじゃないかなんて踊らされている。さっきまでの意気込みはどうした。すっかりキャンペーンに飲み込まれて踊ってたのは自分じゃないかと我に還る。
小学4年生のときにアホ星人という絵を描いていた。キャラクターみたいなものだ。着せ替え人形的な絵で、ファイナルファンタジーの召喚獣などを着せ替えて描いていた。ふと、今これを描かなくてはいけないと浮かぶ。なんで今更アホ星人なんて描かなきゃならんのかと思いながらも、浮かんだんだから描く。描いてみて思ったのは、僕は小4の頃からアホ星人の画力はまったく進歩せずそのままの状態で止まり続けているということだ。アホ星人なんてアホくさいと消し去っていた僕の中にはいつだってアホ星人があり続けて、絵が上手くなりたいとは思っていないけど感覚に訴えるようなものを描きたいとは思いながら、こんなアホ星人なんてアホくさいと思いつつ、だけどこれは僕の子供時代の訴えでもあるように思えてきて、水泳の時間に平泳ぎができなくて途方に暮れている時だったり、鉄棒の時間に逆上がりができなくて途方に暮れてる時だったり、登り棒の時間に登れなくて途方に暮れている時だったり、そういう何もできないで固まって、呆然とそこに立ち尽くしている自分自身がいつもそこには止まっているように思えて、誰も助けてくれない、教えてくれないことを恨むでもなく、なんとも惨めで居場所のない状況がもういたたまれなくてしょんぼり。野球は上手だねと褒められたもんだから、ほれ見たか!僕はスポーツだってできるんだい!といい気になって野球少年に変貌して行くのだが、それよりも何よりもできないことがたくさんあった僕はできないままその場に立ち尽くしていることが多かった。そんな自分が拠り所にしていたのは絵を描くことだったりして、その時に現れたのがアホ星人なのだ。アホ星人が何を象徴するのだろうとか考えても仕方ないのだけど、ただなんとなくずっと感覚として残り続けている呆然と立ち尽くしている惨めな僕を慰めている宇宙人であることには間違いなさそうな気がするのだ。アホにならなきゃやってられなかったんだろうけど、同じアホなら踊らにゃ損損なんて言われてもそんな風に体を動かすのは苦手だから、せめてこの小さな世界の中だけでも同調圧力かけないでほしいし、好きにやらせてくれよって思っていながら、踊りを強要するのはやめてよね、なんて言えないから結局その場しのぎで踊るんだけど。
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