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111円の炭酸を買って自分を励ます。普通よりも少し大きいウィルキンソン。

 夜風にふれる。そう言って裏道を通り畑に向かう。おばあさんと若い人たちがそれぞれやっている畑。途中、蝉が体の周りをぐるりと一周していく。おいおい勘弁してくれと思う。怖ぇよ。釈然としない夜。怒っているわけでも悲しんでいるわけでもない。ただ行き場のない感情が体の中にとどまっている。どこに行けばいい?答えはいつも見つからない。気づいたら釈然としない奴はいなくなる。気づいたら。だから忘れなくてはいけない。再び外に出る。111円を持ってコンビニに向かう。111円の炭酸を買って自分を励ます。普通よりも少し大きいウィルキンソン。カルピスソーダに大変身。

 別の日の夕方。途方もない悩みがあるようで、ぐるぐるして、結局何を悩んでいるのかわからなくなる。何か罪を犯している。過ちがあって、そうせざるを得ない環境にいた。だから仕方なかった。そうせざるを得なかった。だから孤独なのだ。加害者でありながら被害者ヅラ。一体何の罪を犯したのだろう?なんであるにせよ加害者であることを受け入れて愛するしかないのだ。その被害を生み出したのは君自身だったんだから。海にいる時に現れた男女に腹が立った。後ろから水をかけられ、砂をかけられた。置いていたカバンが濡れて砂まみれになった。故意ではないにせよ謝罪はなかった。誤魔化そうとする態度に腹が立った。ここでも幾度も幾度もごまかしていたことを忘れて被害者ヅラ。だから孤独なのだ。いつまでも本当の自分なんて見ようとしない。まるで自分はなんの過ちや失敗を犯してこなかったみたいに。そこに座ると決めたのは自分だったのに。考えるのに疲れて、気分転換しようと散歩に出かける。カラスが転がっている。横たわった死。息の根を止めようとしている。浮かんでくる不安、想念、声がこんなに苦しいならいっそそのまま息の根を止めてしまえばいいのではないかと考えて息を止める。結果余計に苦しい。息の根を本当に止めるのは日常的にやってくる苦しみよりも余計に苦しいのだ。もしそのまま本当に死が訪れても、残った表情は苦しみしか残さないだろうに。かわいそうにね。自転車を漕いでいる母親の後ろから女の子の声がする。

「カラスが死んでる。かわいそうにね」

 女の子の声はそこにあるカラスからとても遠くにあって、つまり女の子にとっての死はとても遠くにある存在で、つまりかわいそうにねってことなのだ。あの人、息の根を止めようとしてる。かわいそうにね。

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