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もっと全部描き残したいんだよな僕は、と思った。

 春がきてるようなそうでもないような。まだ日が暮れると寒かったり、風は冷たかったりする。着込んだ服の隙間を我が物顔で通り過ぎていく風よ。お手柔らかにたのむ。それに花粉も飛んでいるらしい。目がしぱしぱ、時折くしゃみ。体もどことなく気だるい。毎日が勝負だ。今日はどんな具合か。朝になってみないとわからない。そんな不安定な日々が春なのだ。毎年春は身も心も不安定な気がする。物語はちと不安定。N'夙川BOYS。

 絵の販売を始めて3週間が経った。一枚売れた。嬉しい。とても嬉しい。これまで抽象画のようなものを描いてきた。描いているうちにだんだんイラストみたいになることが嫌で嫌で仕方なくなった。だからなにかを隠すみたいにして塗り重ねたりして、見え隠れするくらいになったら完成。ほとんど見えないという感じかも知れないのだけど。絵になってもいけない。絵を描いているんだけど絵になってしまうことが嫌だった。というより絵になった瞬間に評価の対象になってしまいそうで怖かったのかもしれない。特に美術教育なんて受けてきてないし、美術とか図工とかの授業が本当に苦手だった。周りの人はどんどん終わっていくし、それでいてクオリティが高い。僕は完成するのも遅ければ、クオリティは断じて低い。とても下手だなぁと思っていた。それでせっかくやりたくなって描き始めたものだったから誰かに何か言われるのがとにかく嫌だったのかもしれない。それで絵にならないように隠して、隠して、そうやって日々作られていくのが僕の絵になった。その抽象画のような絵を僕は気に入っている。絵から離れて身体感覚がそこに現れてくるような描き方も悪くないし、続けていきたいなぁと思っている。なのでこれからもきっとそんな風に描いていくのかもしれないのだが、ふと見たある画家の絵がすごく良かった。良かったどころじゃない。なんか度肝抜かれた。人物画(多分自画像なのかな)だったり、そこに生き物なんかが現れたりする。もちろん上手だ。だけどなんとも言えない脱力感というか、遊んでるというか、それでいてくさしてるようにも感じたり。なんだかその絵の群れから受け取る感覚がすごく羨ましかった。僕がひた隠しにしてきたものを全て暴かれてしまったように思えた。つまり僕が取り繕ってきた絵が無効化されてしまったような気持ちになった。しかしそれは勘違いだったりもして、ただただあんな風に絵が描けたらいいなと思った。たんなる嫉妬だった。なんだか新しい目標が決まったみたいだ。ああ、僕って全然絵描いてないな。もっと描きたいんだよなと思った。画材を買うのにお金がかかるとか、描いたものの置き場に困るとか、そんなことばかり考えて量を制限していた。だからもっと量を描きたいっていうのが単純な今の望みなのだ。それに抽象画だろうがイラストだろうがなんでもいいなとも思った。もっと力を込めてもいいし、肩の力を抜いてもいい。どちらもあっていいしどちらかだけを描き残すんじゃなく、もっと全部描き残したいんだよな僕は、と思った。

 春はぐったりもするけどなんたって今は春分間近で宇宙のパワーがすげーんだから(多分ね)よく食べて、よく寝ましょう。明日はいっぱいうんちでますように。

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