政治が命を選別するとはどういうことか?
選別はすでにおこなわれている
そもそも私たちはすでに選別を受けている。冒頭の図をご覧いただきたい。日本の政治は長らく少子化対策には消極的だったため出生率は減少の一途を辿っている。とりわけ氷河期世代は第三次ベビーブームの牽引役となるはずだったが卒業年が不況と重なり希望通りの就職ができず、雇用も不安定だったため家庭を築くことはおろか結婚もしていないという人が他の世代に比べて多い。これはこの世代の遺伝子をなるべく残さないように政治が命を”選別”したと見ることもできる。このように表面上は当事者の自己決定と思えるようなことであっても、実際は政治の影響を強く受けているということがこの社会にはよくある。もし子供1人につき10万円の手当が毎月給付されていたら第三次ベビーブームは訪れていただろう。そんな財源あるわけないと思われるかもしれないが、それは政治の決断によってどうにでもなるものだ。もしこのまま対策を取らなければ日本にどのような未来が待っているかシミュレーションしてみよう。
予測される日本の未来
第三次ベビーブームが訪れなかったことにより、日本は20年後、人口の21%以上を高齢者が占める”超高齢社会”になる。しかもこの比率はその後も変わることがなく、日本の人口は永遠に減り続けるのだ。なぜそんなことになるのか?政治家は高齢の有権者が多く投票率も高いとなれば、そちらに顔を向けざるを得ない。結果として子育て支援の予算は削られ、高齢者にとって快適な政治がおこなわれることになる。もし高齢の有権者が自己犠牲の精神で子育て支援を訴える政治家に投票すれば話は別だが、そんな有権者は稀だろう。そこで政治の決断が必要になってくる。もちろん高齢者向けの予算以外から子育て支援に充てる予算を確保することも可能だが、それは結局のところ他の何かを犠牲にするという話であって、悪戯に議論を複雑にするだけなのでここでは差し控えたい。高齢者向けの予算を削らずに子育て支援の予算を増やせるならそれが最善なことは言うまでもない。問題はそれができない場合にどうするか?だ。当然、高齢者向けの予算を削らざるを得ないだろう。まさに”命の選別”である。その自覚もなく政治に関わろうとする人がいるとしたらそちらのほうが恐ろしい。望むと望まざるとにかかわらず、あらゆる政治的な判断は結果的に命を選別し得るのだ。たとえそれが意に沿わない決断であったとしても政治は命を選別しなければならない。それを政治は避けては通れない。