愛と無知について。無知それは罪なのか?
皆さん、いかがお過ごしですか?春分を過ぎてからというもの、なんだか空気感が大きく変化したなっていう感触があります。それぞれの方々も、何となく変わったなって、思っていませんか?人それぞれ感じ方は違うと思いますが、新しい世界へ一歩を踏み出したということでしょう。
さて、今日のテーマは「愛と無知。無知は罪なのか?」です。
今日は結構真面目な、重いテーマ。いつもは軽いノリで書くようにしてますが、このテーマは、これからの日本に大切なことなので、最後まで、真面目に書いちゃいます。
以前にこんな記事を出しているので、合わせてお楽しみください。
さて、本題です。
上記の記事のように、情報に対するリテラシーについて、noteを始めた当初からちょくちょく書いてきました。
実は、私がこのnoteを始めた動機、続けている動機が、まさにこのリテラシーを読者の皆さんに向上してもらって、人生を選択していってもらいたいという思いからです。
情報は、本当に溢れて溢れて、押しつぶされるくらいの量になっています。その中には、真実もウソも混在していて、何を信じたらいいのよ?って迷うでしょう。真実をしっかり把握して、その上で、自分で決める。
でも、情報が嘘だらけだったら?偏ったことしか流されなかったら?だから私はその情報を「中庸」にするためにnoteを始めた。真実(真実に近いこと)を知った上で、右か左かを皆さん自身で決める。皆さんの人生なんですからね。
日本のマスメディアは、やっぱり偏っている。だから、私は、プーチンさんへのインタビュー記事を掲載したりして、中庸を図っています。情報自体が良い悪いではなく、全てをテーブルの上に乗せた上で、それを料理する。主人公はあなた自身。
あえて、ワクチンを例に下記を綴ります。皆さんが一番身近に感じるからね。ワクチンが良い悪いの議論ではありません。
真面目なリーダーや家族の長であるお父さん、商店街の組合長、村長さんを思い出してください。本当に心からワクチンを勧めていた、いる、でしょう。場合によっては、「苦言」を発して、周りをワクチンへ誘う。
その真面目で誠実な方々は、なぜそのような行動に出たのでしょうか?
答えは簡単です。みんなを守らなければならない。商店街を守らなければならないという「愛」からですね。だから、彼らは悪の手下とか、政府の手下ってわけではないんです。本気で、守ろうとしただけのこと。
でもです。結果としてワクチンで命を落としたり、後遺症に苦しんだり、これから亡くなっていったり。そんなことが発生するなんて、愛のある「その方々」は考えてもいなかった。だって、テレビでは、大学教授やお医者さんなど権威ある方々が「打ちましょう」って言っているし、ワクチンは無料だし、中国では肺炎で死んでいるようだし。毎日のように感染者情報は流れてきて、みんな不安がっているし・・・・
「無知」=情報リテラシー不足=情報弱者
あえて、厳しいことを書きますが、ちゃんとちゃんと情報を収集してリスクを承知して、判断して行動する。それがリーダーの役割じゃないのでしょうか。
私は、情報弱者はリーダーになってはいけない。そう思っています。だからリーダーになったなら、とことん言動に責任をとる。そのために、必死に情報を集めテーブルの上に乗せた上で、指示を出す。もちろん、その指示には自由度を持たせて、みんな自分で判断してもらう。
愛がもたらした罪。私はこのコロナ禍のワクチン推進するリーダーに対してはそう思う。
もちろん、賛否両論あっていい。でも、リーダーならその罪を背負うしかない。だから「リーダー」なんです。これを読んでいる読者の方で、ワクチンを打たせてお子様を亡くされた方もいらっしゃるかもしれません。私がnoteに書くまでもなく、すでに、深い深い罪悪感、罪に苛まれていることでしょう。
だからこそ、情報リテラシーを高めていただきたい。私は、少しでも、愛が罪にならないような社会にしたい。リーダーを増やしたい。そんな思いでこの4年間noteを綴ってきました。
これから2024年から2032年くらいまで、同じよな状況が発生してくる。だから、過去ではなく、未来に対して、子どもたちに対して、真剣に情報を収集して精査して、判断し、行動していく。どんなことが、起ころうとも、どうか、「恐怖」だけで、行動しないでほしい。
今日は、こんな終わり方ですが、ご容赦ください。
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