マイ ノスタルジー
麹町の会社
1964年卒業して入社した会社は麹町の、新宿から晴海に行く大通りに面した小さな旅行会社だった。右隣はコーヒーの焙煎、左には印房の店があった。会社は主に海外に視察に行く団体の旅行手配をしたり、企業から海外出張をする社員の航空券の手配などをしていた。日本の外貨蓄積が少ないため外貨が厳しく管理され、旅行の名目は業務か留学などに限られ、物見遊山では外貨を買うことができず、余裕のある人が外国を見るためには視察目的の団体に潜り込むしかなかった。
この会社は勧業銀行の出身・木村俊之介氏が社長を務め、副社長は米軍の新聞Stars &Stripes からインドの航空会社Air Indiaに勤務した森正昭氏、そして営業担当役員は進駐軍で通訳をしていた生沢司郎氏で、スタッフには国連の通訳をしていた方など実に個性的な人間の集まりで、実に面白かった。入社後、企業の海外出張者の国際航空券を発行する部署に配属された。
現在では航空券は予約端末で目的地やスケジュールを読み取って、自動的に1枚の紙として発行される、あるいはスマホのアプリにデータが送られるが、当時は出張される方のスケジュールに合わせて、航空会社の飛行ルートを調べたり、寄港地間の距離を加算したり(まだ電卓もなかった)してから
厚さ10㎝以上もある国際航空輸送協会(Int'l Air Transport Ass'n, IATA)が発行している運賃表(Tariff)と首っ引きで、どうしたら安い運賃で全旅程がカバーできるか悪線苦闘したものだ。
国際航空運賃は高かった。海外出張させる企業にとっても大きなコストだった。東京―香港のエコノミークラスの往復が295ドルだったように記憶している。1ドル360円だったから約11万円弱だった。自分の月給が1万8千円
だったから如何に高いか分かる。単純な2地点間の往復であれば決まった運賃しかないが、何か所も訪問する場合、運賃の計算方法は幾通りもあり、運賃額が異なってくる。運賃の改定はしょっちゅうあるし、Tariffは英文だし、
分からなくて航空会社の運賃担当者を訪ねては勉強をしたものだった。
British Overseas Airways Corp.B.O.A.C 英国海外航空
.いつもしっかり教えていただいたのは英国の航空会社BOACのタリフ業務を担当されていた前田さんだった。前田先生と言われていた。日比谷の交叉点の三信ビルの日比谷公園に面した角にオフィスがあった。営業の小杉さん、若手で元気バリバリの島津さん、懐かしい面々である。戦後昭和23年英国軍の二本駐屯地だった岩国とロンドンを南回りで結び、同年東京にも乗り入れた。
残念ながらBOACを思い出すよすがは何も残っていない。だた、米国同様、
BOACは国際線、英国内や欧州路線はBEA(British European Airways)と路線を分担していて、BEAの航空券が手元にある。
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入社して2年目の3月英国海外航空のBoeing707機が富士山山頂で乱気流に巻き込まれ空中分解、150人近い乗客が亡くなった。昭和49年にBOACとBEAは合併して、現在のBritish Aiwaysになったが、その時は大阪勤務だった。
Pan American World Airways, Pan Am
同じく運賃計算を教えてもらった先生にPan American World Airwaysの奥津さんがいた。いつもにこやかな、静かな雰囲気の方で、欧州系航空会社の距離(Mileage)をベースにする計算方法でなく、北米に多い航空会社の飛行ルートをベースにする計算方法を教えてもらった。営業部の佐藤淑男さんが懐かしい。
世界の航空会社の雄だった。当時、航空会社と言えばPan Amか英国のBOACだった。太平洋横断路線を運航し、香港とSan Franciscoの間に東京があり、そのほかハワイ便などもあった。皇居お濠端、馬場崎門と日比谷の間のビル(後に帝国劇場が入った)の1階にあったいろいろ面倒見てくれた中に佐藤淑男さんがおられた。スリムで、スラッとして、細金縁の眼鏡をかけ、いつも細い鎖のタイピンをしておしゃれでダンディな方だった。Pan Amの社員は二世の方が多くおられたので、訊きはしなかったけど佐藤さんも2世だったのかもしれない。素敵な方だった。発券の業務されていた奥津さんにあれこれ教えてもらった。静かな渋い方だったイメージがある。Pan Am東京は太平洋路線のハブであり、東京だけでも数百人の従業員がいて営業部門の佐藤さんの仕事ぶりもいつも悠々綽綽でうらやましかった。
とにかくPan Amは米国の20世紀の栄光を象徴するような航空会社だった。第一次大戦後の1927年Miami空港からキューバ路線でスタートし、1991年に終焉を迎えるまでのヒストリーは今やWikipediaで詳しく知ることができる。
今手許にあるPan Amの思い出の品は昭和57年夏の運航スケジュール表である。
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