幸せを退屈だと思っていたあの頃
大学生まで実家暮らしだった。わたしは一人っ子なので、幼い頃から着る物も食べる物もすべて独り占めができた。家族はみんなわたしに注目し、可愛がってくれた。高校生になると実家に居づらいと思うことが増えた。父と母の関係があまりよくなかったというのもある。毎日、夫婦の冷え切った気まずい空気の中にいるのもなかなか辛かった。就職したらすぐに家を出ようと当時のわたしは意気込んでいた。祖父と祖母は隣の駅に住んでいたので、ちょくちょく顔を出さなければならなかった。自分に姉妹でもいれば、交代で顔を出したりで構わないのだろうと思うとため息が出た。当時のわたしは家族と過ごす時間に飽き飽きしていた。家族といると、なぜだかいつも手持ち無沙汰に感じていた。元気が有り余りすぎていたのだろうか。特別なにかをするのではなく、ただ同じ時間を共有することに面白みを感じられなかったのだ。愛されているのはわかるが、なにかと自分だけに視線を注がれることが、時にプレッシャーだった。
狙いどおり、わたしは就職と同時に実家を離れることに成功した。実家を離れてから数年が経ち、父が亡くなった。続けて母も病気になった。今年に入って自分も手術することになったり、最近では祖父が亡くなった。こういうことが起こると、「なんでもない日常」というものがとても尊いものであることに気がつく。経験によって考え方がどんどん変わっていく。二十代前半は退屈に感じていた家族と過ごす時間。家族と一緒にいるのが嫌で、離れてみて、亡くなってから、あぁ、もっと会っておけばよかったなんて後悔するのである。”幸せ”に幸せと気がついてなかった。まぁ、そんなものかな。若い頃は幸せというのはもっと、壮大で、派手で、手の届きにくいところにあるものだと思っていた。実際にはすぐそこにあったのだけど。今はそれに気がつけただけでよかったと思う。
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