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残り247日
7月28日。今日は「没頭」について書く。
誰しも少なからず何かに対して没頭した経験はあるはず。
例えば、ゲーム。
ラスボスを倒すまで時間も忘れてプレイして、
朝起きてから夜疲れて寝るまで、画面とにらめっこして没頭した記憶。
他にも、部活。
県大会や全国大会を目指して、厳しい顧問練習に耐えて、
熱中症になるぞと思うぐらい炎天下の中、運動して没頭した記憶。
多少なりとも、何かに対して興味を持ったものであったり、挑戦したいと思ったことに対して他のことは忘れて没頭した経験はあるはず。
少し話が変わるが、最近夏休みに入って時間が多くできたことで、自分にとっての幸せの価値観について考える。
どういう事を楽しいと思ってどういう事がつまらないと思うのか自分の感情に問いかけている。
すると、自分の楽しいと思う事柄が次々と出てくるが、総じて、それらに「没頭」しているから楽しいと思えるのではないかと感じた。
仕事でつまらない・楽しいことがないなど色々不満を抱えている人が多いと思われるが、それは単純にその人にとって没頭できる何かがないからだと推測できる。
もし、自分のやっている仕事が面白くてたまらない場合だったら、毎日が楽しくなるはずだし、もしそれ自体がつまらないものだとしても自分が没頭できるような試行錯誤をするべきだと思う。
例えば、コンビニのレジ。
コンビニのレジが正直つまらないと答える人は100人中98人が妥当だろう。
だが、このつまらない単純作業でもゲーム化したりして、どれだけ早くレジを打ってお客さんに対応できるかというような自分にとっての遊び心、つまりは没頭できるものを勝手に作り出したら、何気ない毎日を少しでも楽しく出来るのではないかと感じられる。
仕事なんてつまらない、それは当たり前だ。
人間関係がめんどくさい、それも当たり前だ。
仕事なんて面白くないからこそ、対価としてお金を貰える訳だし、世界中の人間と自分の性格がマッチしている訳がないから煩わしいのは普通のことだ。
だが、それらの嫌だと思うことを少しでも楽しいと思えるようにするには、没頭できるための遊び心が必要だ。
それは自分の頭で考えるべきだし、毎日頭を鍛える訓練をし続けなければならない。
この人と絡むのめんどくさいと思ったら、この人と仲良くなるためにはどうすればいいのだろう、仲良くなったら何がしたいのだろう、、、、
こんな風に、いつしかその嫌いだったはずの人に没頭している過程が面白いと思える。
毎日がつまらないなら、「没頭」をしろ。
今日も自分は、最近買った本を読むことに没頭しよう。
少し哲学的なことを考えた残り247日。