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[連載2]アペリチッタの弟子たち~プロローグ~2.仲間たち

毎晩夢にでてくるようになった魔法使いアペリチッタの書いた本、という体裁で語られるこの連載は、ことば、こころ、からだ、よのなか、などに関するエッセーになっています。

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             *

2 仲間たち
 
 ぼくが、毎晩「続き物の夢」で、アペリチッタからウクレレを習いだして、しばらくしてから、ぼくは、昼間、家の外、近所の公園で、ウクレレの練習をしはじめた。
 昼間、そこの公園には何人か人達がくるので、練習といいながらも、半分、人前での演奏になってしまうこともあった。だが、人がいようがいまいが、そんなことは関係ない。何度でも、つっかえては休み、休んではまた、つっかえた場所からまた練習をはじめる。あるいは、つっかえた場所の少し前から。
 ぼくのウクレレ演奏を、公園で聞く常連となった一人に、あるおじいさんがいた。
 ぼくは、あまりに下手な自分の演奏に「つきあって」もらい申し訳ない、という気持ちもあり、そのおじいさんに、夜、アペリチッタから聞いた話をしてみた。
 すると、そのおじいさんは、
「みんな、悪い魔法にかかっている、という君の話は、比喩としてよくわかる」と彼は言った。
「世の中、『ITで便利になった』というが、とんでもない。年寄にいわせれば、ITで不便になった。
 例えば、スーパーで、器械を用いずに現金決済できるレジがほとんどなくなった。キャッシュレス、または、器械を使った現金決済、いずれかしかないところも多い。そして、『ITで不便になった』などというと、『時代についていけてない』といわれる。
 でも、『ITで便利』ってこんなに不便に耐えて頑張らないといけないくらいつらいものなの?
 それどころか、『ITで不便になった』などというと逮捕されそうな世の中の雰囲気さえある。
 まるで裸の王様の世界みたいだ。
 あるいは、まるで、砂漠の中を行くラクダにまたがれず、靴の中を汚すITの砂で重くなった足をひきずりながら砂漠を彷徨っている旅人が、数多くいるかのようだ」
 
         *
 
 ぼくは、アペリチッタから聞いたこんな話も、やはり、公園にやってきてぼくの演奏をいつも聞いている、ダイゴ医師にしてみた。
「日本の医療は世界に比べ10年おくれの悲惨な状況だということを、今までマスコミは触れようとしてこなかった。日本の医療レベルの遅れに警鐘をならし、もっと世界においつくような努力を!と、今までだれも指摘するものがいなかった。今回、世界でいち早くコロナウイルスのワクチン開発がおこなわれたのに、日本では遅れるどころか、できもしない事実は、日本の医療の遅れをはっきり示している。にもかかわらず、それは『不都合な真実』として隠されてしまっている。
 もちろん、なんといっても、日本の平均寿命は世界1,2位を争うくらい長い。
 たとえ薬の入手が遅くても、病院数、医療従事者数、国民皆保険など、総合的にみれば、平均寿命はのばせる。
 だが、日本は薬を創る力がなく、結果、その使用開始時期が世界的にみてとても遅い、という『不都合な真実』はあきらかだ」
 こんなアペリチッタが言った話を伝えると、ダイゴ医師は、「その通りだ」と答えた。
 そしてダイゴ医師はこんなことをぼくに言った。
「コロナでよかったことは多いとはいえまい。
だが、例えば、『医療にはなおせない病気がある』ということを説明するのに、外来で、コロナウイルスの例をぼくは引用させてもらっている。
 今まで、肩こり、めまい、腰痛などの訴えに『治せない病気がある』などというと、『とんでもない医者だ』と思われていた風潮があった。だが、コロナウイルスに対して薬がないという現実を前にして、ようやく『さもありなん』としぶしぶ認めてくれるようになった感じはある」                

          *
 
 シュンは、いつものように、家のなかの水槽で泳ぐ、熱帯魚「ディスカス」をながめていた。薄い、ピンクやブルーの体に8本の縦じま。ツンとたった立派な背びれと、長いしなやかな
尾びれ。何回ながめても、決してあきることがないその優雅な泳ぐ姿。それは、一種の魔力のようにシュンをとらえていた。
 だが、シュンは、この美しい姿が、簡単には手に入らないということも、まだ小学生ながら既に知っていた。
 大きな水槽、温度管理や水替えのできる装置は、父親が購入して備え付けてくれた。だが、そのお世話は、忙しくてめったに家にいない父親ではなく、シュンが試行錯誤をしながら一
人でおこなっていた。
 シュンは小さいころから喘息持ちで、幼稚園のころと比べれば少しはマシになったものの、小学校にはいってもあいかわらず。発作がひどくなり、自宅で休んだり病院に行ったりして、時々学校を休むことが少なくなかった。だが、家にいる時間が長いことは、熱帯魚「ディスカス」のお世話するのには有利なことだった。
 さらに、シュンにはイヌ、ネコのアレルギーがあったが、熱帯魚に関しては、水槽の水の入れ替えをしたりしても、アレルギーは大丈夫だった。
 これらは、両親がシュンに、飼育費がばかにならない熱帯魚「ディスカス」を与えた理由のひとつでもあった。
 実際、シュンはよくやっていた。
 「ディスカス」の飼育に関して、小学生の部に出場すれば、日本で指折りだったかもしれない。(そんな競技はないが)。
 水温を保ち、水がよごれないようにして、ディスカスの美しい体の色が黒っぽく濁らず、つやのあるままに保つこと。
 そして、親による子供の「共食い」防止。稚魚を親から離さないと、親は自分の子供を食べてしまうのだ。最初にそれを知ったとき、シュンは、何があろうと、自分の両親に感謝しなければならない、と衝撃を受けたものだ。
 人は、両親に食べられないだけ、幸せと思わねば。
 その美しい熱帯魚の目には、自分の姿が映っていた。それは「彼」もまたぼくのほうをみつめてくれているという証拠だ、とシュンは了解していた。
この生物は、何もいわないけど、ぼくのことを見てくれるし、ぼくの気持ちを聞いてくれる、寄り添ってくれる。
 数いる水槽内のディスカスの中で、シュンは一匹のディスカスが気になっていた。そのディスカスには、うまれつき。体の8本の縞を横切るような、斜めに大きくのびる線が走っていた。一瞬、傷跡のようにもみえる。が、それが美しさをそこなうわけではない、とシュンは感じていた。
「まるで強い剣士の顔にある古傷のようだ」

              *

 世の中では、新型コロナウイルスの感染による、非常事態宣言がだされていた。
 不要不急の外出をさけ、三密をさける、「今までと違う新しい」生活様式を送るようにいわれる時代だった。
 だが、「今までと違う新しい」生活様式と、世間ではいわれてはいたものの、今までもソーシャルディスタンスを保つ生活をしていたシュンからすれば、コロナウイルス流行の現在の生活は、今までの生活とちっともかわらない生活であった。
 そして、そんな、コロナウイルスが流行しても、もともとソーシャルディスタンスを保つ生活をしていて、流行前と生活は変わらないという人は、シュンだけでなかった。
 母親が用事で忙しいので、シュンはひとりで、家の近くのクリニックに喘息の薬をもらいにでかけた。クリニックはいつもより混んでいなかった。パンデミックのせいだろう。
 何度も来て顔見知りのシュンは、小学生ながら、ひとりでクリニックに行き診察を受け、喘息の薬をもらう。熱帯魚のお世話に比べれば、お茶の子サイサイ、だ。
 クリニックから家に帰る途中に小さな公園があって、シュンは時々そこで時間をつぶすことがあった。その公園に集う人々は、クリニックの待合室と違って、コロナウイルスが流行しても、その人数に変わりはなかった。コロナウイルス流行があっても、流行前と同様、相変わらず少なかった。
 シュン以外の常連としては、散歩にやってきたのだろうか、ベンチに座り、長い間ぼんやり空をみあげているマコト爺さん。そして、今しがた診察を受けたクリニックの院長も休憩時間にここにやってくることもあるのだった。
 ただ、最近、シュンは、この公園にある目的をもってやって来るようになっていた。
 その日、シュンが公園にくると。いたいた。やっぱりいた。いてよかった。
 その人は、毛むくじゃらで、顔はもちろん、首から胸や腹、手足の先まで毛でおおわれていた。衣服の間から露出する皮膚どころか、衣服でさえ、みな毛でおおわれてしまっている。
(たぶん、これは着ぐるみ?)
と、シュンは最初思ったが、夏暑くても、冬寒くても、いつもこのままの様子だった。毛ではなく、毛に覆われて見えなくなっている衣服で体温調節をしているのか?
 彼のことをどう呼ぼう?「ケムクジャラン」とか「ノッペラボウ」(そのまんま!)?「ゴミ人間」(といわれるほど、近くによっても臭くはない!)、あるいは「エイリアン」(これも、ステレオタイプな言い方!)?
でも、彼は自分のことを「アペリチッタ」と呼んでいることがわかってからは、シュンはそのままそれを使うことにした。別の名前で呼ぶ必要などない。
「アペリチッタ?どうして、そんな名前なの?」
「これは、昔、サッちゃんという娘とぼくが付き合っていた時にあった話だ。あるとき、ぼくがしゃがんだら、ズボンのお尻のところが少しやぶれてしまった。その時、サッちゃんが、ころころ笑って言ったんだ。『あっ、ペリ、っていった!』 それが縮んで、『あ、ペリっ、て、いった』→『アペリチッタ』、さ」
 彼はそのころ、ピアノを弾くサッちゃんと、サックスを吹く自分との二人で、『デュオ』演奏を行っていたという。そして、それは、そのとき二人きりで練習していた時におきたできことだという。
 でも、今はもう、サッちゃんは、アペリチッタのそばにはいなかった。
「だから、ひとりでも演奏活動ができる『ウクレレ』の練習をはじめたんだ」
 アペリチッタは、目をぱちくりさせた。目を閉じると、目が毛に埋もれて、顔がのっぺらぼうになってしまう。いや、完全にのっぺりはしていない。海賊の目にかかる眼帯のような、白い線が、そこに斜めに走るのが見て取れた。
 
                 *
 
 シュンは、ここ何か月間の間、その公園で、アペリチッタがウクレレの練習をするのを飽きもせず見学していた。いつものマコト爺さん、そして、ダイゴ医師もやってきたときには、その輪に加わった。
 見学?聞いていた、のでなく?
 シュンはこの4人でいる時間を、「飽きないし、いい感じだ」と感じていた。
 だが、アペリタッタの演奏はなかなか上達しなかった。そして、アペリチッタは、理屈っぽかった。
「理屈なんてどうでもいいから、練習したらどうだい?」
「そう、そう」
 アペリチッタ以外の、マコト爺さんも、ダイゴ医師も、シュンと同じ考えのようだった。
 だが、アペリチッタは理屈をこねて、あるいは理屈のほうが好きなのか?音を出そう(練習しよう)としないのだ。
 ウウレレに触れる時間よりも、ウクレレのコード一覧表や教則本をながめている時間のほうが多いくらいだった。
 要するに、アペリチッタは頭でっかちだったのだ。
 それでも、みんなに、ダメだしされながら、ゆっくり上達していった。
 この、シュン、アペリチッタ、マコト爺さん、そしてダイゴ医師を加えた、4人のメンバー。
 これは、コロナウイルスの流行する前から、ソーシャルディスタンスをたもち、不要不急の外出をせず、三密を避け、ステイホームをしていた、ここの公園に集うメンバーだった。だから、コロナウイルスが流行しても、その生活様式に変化はなかった。
 それは、単なる事実なのだが、アペリチッタは、同じ事実に、なんらかの意味を持たせようとしていた。
「『われわれの生活には変化がなかった』、ということを、もっと情報発信することには、『変化がおこった』と大多数の人が言っているときには、とても意味がある」
 アペリチッタの言い方はまわりくどく、シュンにはすぐに何をいいたいのかわからなかったが、マコト爺さんやダイゴ医師には、すぐにピンときたようだった。
 マコト爺さんが、言った。
「実は、ぼくもそう思っていたんだ。なかなか、正直なぼくの気持ちを言う場がなかったのだけど、この場なら言える。
ぼくは『コロナウイルスのパンデミックは素晴らしい!パンデミックがおきてよかった!』と思うんだ。なにしろ、変わらないと思われていた、この世界を変えてくれたのだから。そして、今まで、ひっそりと暮らしてきたわれわれのような少数派の生き方に、多くの人が近づいてくれたのだから」
 ダイゴ医師は、マコト爺さんの発言にうなずいた。
「われわれのような『生活には変化がなかった』少数派には、今この公園にいるわれわれ4人の他に、(クリニックに来る元気はない)介護の必要な高齢者、あるいは(パラリンピックのような付加価値をもたせるためではなく、生きていくために)支援の必要な障害者がはいるだろう。そして、君のような、ずっと家にひきこもりの生活を続けている若者(あるいは中年)も、今のコロナ禍の新しい生活様式の『先駆者』といえるかもしれない」
 公園の隅には大きな看板が立てられ、そこに、何人もの顔写真のポスターが張られていた。
「あの人たち、どんな悪いことをしたの?」
と、シュンは、マコト爺さんに、ポスターを指さして、聞いた。
「悪いことをして指名手配されている人たちでしょう?」
 マコト爺さんは大笑いした。
「あれは、まもなくはじまる市会議員、衆議院議員選挙の選挙ポスターだよ。・・・でも、シュンの言うこと、半分くらい当たっているかもな」
 その3人の仲間に向かって、アペリチッタは「ぼくは東京五輪開催に反対だ」、とさかんに言った。ウクレレ練習もそっちのけで。
 東京五輪は、日本全体のものではなく、東京に住む人、しかもその中のごく一部の人たちのお祭りにすぎない。
 それに、そもそも、ぼくはもともとスポーツが得意でなかった。だから、ぼくにとって、「スポーツの祭典」など考えられなかった。靴紐を結ぶことが、決意の象徴になるような人は、選ばれた立派な人だ。生活に疲れたぼくが同じことをしても、ただ、うつむいているだけにしかみえないだろう。
 それでも、以前は五輪開催に対して「無関心なだけ」だった。だが、このコロナウイルスのパンデミックで、ぼくは少し変わった。
 東京五輪開催で、一部の特殊な人のために多くの無駄な税金が使われ、さらに多額の賄賂が一部の特権者にわたる。なのに、そのひきかえが、東京五輪の開催によって、コロナウイルスの感染が広がり、さらに多くの人が亡くなる、ということだとは。
 だから、この東京五輪は絶対に中止しなくてはならない、
 もう無関心ではいられない。同じ考えをもつほかの人と連携して、東京五輪開催反対の声をあげよう。
 
 

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