留学生活編「今日の予定は、、、、、」154番目
2010年12月26日 日曜日
4時起床。一週間が過ぎるのが、とっても早いのに驚いているのと同時に毎日が充実しているのかもしれないと少し感じているが、まだまだ,私は、中国語勉強する事が大切だと思う。
中国語で、我觉得学习汉语重要。ウオジュエダシュエシーハンユゥジョーンヤオ。比如,今天的计划是从七点一刻早饭然后,从八点开始到十点文丽辅导老师教我汉语,三十分休息,从十点半开始到十二点半交通大学郭老师教我汉语,午饭以后,下午二点开始到四点黄辅导老师教我汉语,从下午五点玉城同学和文丽辅导老师,文丽辅导老师的朋友和我一起去西安路吃晚饭。ビールゥ、ジーンティエンダジーホアシソーンチーディエンイークゥザオファンランホウ、ソーンバーディエンカイシーダオシーディエンウェンリフーダオラオシージァオーウオハンユゥ、サンシーフェンシューシ、ソーンシーディエンバンカイシーダオシ-アーディエンバンジャオトーンダシュエグオラオシージャオウオハンユゥ、ウーファンイーホウ、シャーウウアーディエンカイシーダオシーディエンホアンフーダオラオシージャオウオハンユゥ、ソーンシャウウウーディエンユーチャーントーシュエフーウェンリフーダオラオシー、ウェンリフーダオラオシダパーンヨウフーウオイーチィチュィシーアンルゥチーワンファン。
因みに、今日の予定は、7時15分朝食、8時から10時まで文麗家庭教師が私に中国語を教える、30分休憩して、10時半から12時半まで、交通大学の郭先生が私に中国語を教える、昼食の後、午後2時から4時まで、黄家庭教師が私に中国語を教える、午後5時から、玉田さんと文麗先生と先生の友人と私で西安路という町へ行って夕食を食べる。
私は、4時過ぎから、中国の携帯電話を持って、何時ものように中国語でメールを友人へ発信しました。
昨夜の福田さんへ夕食のひと時の思い出と後残り少ない授業へ必ず出席するようにと言う内容でメールを発信しました。
中国語で、「昨天,我和你过又愉快又开心一天。还有,我在大连的剩下的不多了。所以,你一定来上课把。ズオティエン、ウオ、フ、ニィグオヨウユークアイヨウカイシーンイーティエン。ハーイヨウ、ウオザイダーリエンダシェーンシャダブドゥオーラ。スオイィ、ニィイーディンラーイシャーンクバ」。
7時まで学校の宿題を済ませて、何時ものように一回のレストランへ行き後ろの入り口から中へ入り、レジの前を通り今日は若い子かそれとも中年の女性かをちらっと見て、なぜかはお解りでしょうが朝食の値段が違うものですからと、どうも中国へ来てから、1元の差つまり日本円で15円前後の差が大きく感じられて、日本に入る時では、到底何十円の差なんてあまり考えなかったのに、変われば換わるものだとつくづく思います。
なぜかと言いますと、今日は中年の中国人女性だから、少し値段高いな~なんて直ぐ思うのですから・・・
そう思いながら、いろんな形が造ってある銀のトレーを1つ持って、何時もの胡瓜からキャベツの炒め物と鞘インゲンらしき物が入っているスクランブルエッグの塊をやや多く取り順番に手で取り、トレーのお決まりの位置に収めながら、冷たい大き目の膨らんだ形の餃子を1個取って、ヒラペッタイ小さなお好み焼き風のやや暖かいバオズも1個載せて、レジへ持って行き、あの中年の中国人女性に見てもらい、その日の彼女の気分で値段が8元とついてしまいしました。
やや高いと自分の評価では思うのですが、後の祭りで叶うはずはありません。言われるままのお金を支払い、私は、何時もの席へ真ん中の丸い大きな中華料理を食べる10人掛けのテーブルへ行きました。
私は、席へ着いて朝食を食べていると、517号室のいつも明るい勉強熱心なちゃんと話を聞いてくれる日本人女性の玉田さんが、トレーを抱えて1人で見えました。
私は、昨日の福田さんとの夕食の時の話しをすると、玉田さんは、福田さんにも私の知らないそんなところもあったのですねと言って、笑って見えました。そして、今日8時から文麗先生の家庭教師授業があることを話しながら、本当に、文麗先生は、熱心で熱くて真剣みのある先生だよねとか話しながら、今晩の文麗先生たちとの夕食の待ち合わせ時間より、少し早く行って、西安路の町を少し見ましょうかとか話しました。
また、午後4時15分に玉田さんと1階のロビーで待ち合わせする事に決めました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?