留学生活編「私と玉田さんは、韓国人の女性と旧日本人街へ行くのが分からずに困っていると、中国人女性は、自分の乗るバスとは違う私達の乗るバスにわざわざ乗ってくれて、途中までのバス停に20分位付き合ってくれて、一緒にバス停を降りて、其の中国人女性は乗換えをして返っていかれました」137番目
私と玉田さんは、韓国人の女性が旧日本人街へ行く方法を知っているものと信じ込んでついて歩いていたら、どうも解らない様子で中国人の1人の老人を捕まえて内やら道を聞いていましたが、タクシー(中国語で、出租汽车チューズーチィチャーと言います。)で行った方が良いとタクシーを拾い3人で乗り込み、タクシーの運転手に行き先である「旧日本人街」へ行きたいことを、韓国人女性が、運転手に何度も繰り返し言っていました。
運転手は、怪訝そうな顔をして聞いていましたが、解ったらしく動き始めました。そして、20分位乗ったでしょか?可也遠くへそれも壊れかけの建物が何件もあるような所で此処ですと降ろされ、3人で周りを見回してもどうも違うような気がして、近くにあるバス停を見に行くと1人の30歳代後半の背の高い買い物籠をもった中国人女性がいました。其の女性に私達は、中国語でここは、どこなのか?また、旧日本人街は、どう行くのか?を尋ねました。
私達は、運転手に騙されたいや、しっかりと伝え切れなかったのかも知れません。
すると、其の女性は、大きなジェスチャー交えて口元もはっきりと動かしながら、中国語で一生懸命に説明してくれました。10分位たったでしょうか?其の中国人女性は、自分の乗るバスとは違う私達の乗るバスにわざわざ乗ってくれて、途中までのバス停に20分位付き合ってくれて、一緒にバス停を降りて、其の中国人女性は乗換えをして返っていかれましたが、見も知らない私達に、本当に親切な優しい女性でした。
私達は、そこから大きな道路を渡り、町の中を歩いて、「旧日本人街」に行く方法を聞きましたが、なかなか知っている人の会えずに歩いていると、1人の小柄な50歳代の気前のいい中国人男性に韓国人の女性が尋ねました。
すると、どうも知っているらしく其の男性に付いて来いと言っているようで、私達3人は、早足で後ろから、ついて行きました。
途中まで行くと其の中国人中年男性は、もうバス停解るだろうと笑いながら、あそこと指を指し、俺はこちらの方向へ行くからと最高の笑顔で去って行きました。
私達は、教えてもらったバス停まで歩いて行き、来たバスに乗って、中国人の小学生らしき女の子に韓国人の女性が、旧日本人街のことを聞いたりして、其の女の子はお母さんと相談して、どこあのバス停で降りると良いよと話してくれて、私達が降りるバス停の時は、まだ、バスの中に乗車していたので、明るくさようならと言いつつ分かれました。
私達は、バスから降りて大きな市場のような所で、さてどちらの方向へ行こうかと韓国人女性と玉田さんが相談して歩き出しました。
どうも暫らく歩いていると玉田さんが、一度来た事がある「ロシア人街」へ行く道よと言われました。そうなのです。もうここから日本人街に行くには、可也遠く時間も迫っていたので、「ロシア人街」に行きましょうと言うことになり、私は、ただ2人の後ろを歩いていました。しかし、この日もマイナスの5度位で外は寒いと言わずにはいられない1日でした。
私達は、ロシア人街に入ると少ししてから、韓国人女性が、私疲れたから、此処の店の奥で休みます。あなた達先の方へ見学に行って下さいと言われるので、私と玉田さんは、2人で人気の少ない殆ど露天商で誰も買い物をしていない横20メートル位の縦に長い石畳の道を歩きながら、写真を撮ったりして、一番奥の突き当てりまで歩いて行き、大きな建物を見て、踵を返すように今来た道を戻る途中に年輩の中国人女性と息子らしき男性中国人の露天商で外の板のような台に置いて並んでいる40元のロシアの独特の形をした暖かそうな毛の丸い耳まで被るような防寒用のキャメル色の帽子を1つ手に取り見ていると私がなかなか買わないので、最初40元と言う中国人年輩女性が30元でどうだと言い、まだ黙って見ているとこの色も良いと言わんばかりにいろいろと手に取り私の前に出しますが、私は茶色とキャメル色のどちらかに決めていたので2つを手に取り見ていました。
すると今度はその中国人年輩女性が20元(日本円で、300円位です。)でどうだと言われるので半額なら良いかと横にいる玉田さんにも尋ねて購入してしまいました。
私は鞄も袋も持たなかったので、其の帽子(中国語で、帽子マオズと言います。)をダウンジャケットのパケットの中へ突っ込み、玉田さんと2人とっても寒いロシア人街のいろんな店を見ながら、韓国人の女性の待つ入り口近くの場所へ急ぎました。
そして、3人合流してロシア人街を出たところで、こちらの方へ7,8人位の男性ばかりで1人が案内人と解る小さな旗を手に歩いてきました。中国で懐かしい日本語だらけの声がして、あの人たち日本人だねと玉田さんと話しながら、私達は、大連駅の始発のバス停へ長い距離を歩いて途中に道がわからなくなり、男女2人で歩いている中国人の方に駅へ行く道を聞いた時、確か女性が日本人の方だったように微かな記憶しています。
大連駅について、何時ものように無茶苦茶人ばかり混雑しているバス乗り場から、何回も何回も来るバスを見ながら乗れずに、ようやく乗れる順番が来て、汚い古い混みこみの101と書かれた番号の1元バスに押されるようにして乗り込み、終点の駅まで約40分いや50分近く乗って到着しました。
夜も遅くなり、お腹も空いていたので、3人は、韓国人の女性の案内でチェーン店になっていて大連の駅前にもあった「李さんというおじさんの顔の書いたラーメン店」へ入り、韓国人女性が美味しいと言うラーメンを注文して食べましたが、麺はくたくたのややふと麺で、スープは妙ななんとも言えない2回目を飲みたくない味で、とうとう8部目は残してしまいましたが、正面に座っている玉田さんも半分以上残している様子で、味不味いねと聞くと頷いて見えましたが、其の隣の韓国人女性は、美味しい美味しいと言わんばかりにスープも飲んで綺麗に平らげていました。
味覚の違いをまざまざと見た感じがしました。
其の店の外で韓国人女性と分かれて、私と玉田さんは、一路とても寒いマイナス5度以上はありそうな夜の道を大学の寮へ歩いて帰る途中に、口直しにと韓国の表面に油の塗ってある、巻き寿司を買って帰りました。
朝食6元 昼食なし 夕食14元 合計20元(日本円で300位です。)
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