留学生活大学主催留学生クリスマス会編「私は、26番目のプログラムの初級2班のクラスメート達と張先生と6人は、中国語で歌う「朋友」パンヨウ友達の曲を歌うために、司会者の1人のイタリア人女学生ともう1人の韓国人男性学生の流暢な中国語での紹介を聞きながら、全員で手に除先生手造りの赤い造花の花を持って、舞台中央で横一列に並んで前奏を聞きながら立っていました。146番目
また、室内は禁煙のため、タバコを吸っている学生もいたような気がします。
私は、また、元の席へ戻ろうと来た順路を帰る途中に、中級1班の今回歌で25番目に一緒に「大連の街から」を歌う日本人男性の広島県人の独身のマイペースが歩いているような宮木さんと、偶然にこの狭い一番奥の通路で出会い、お互いに今日は頑張りましょうと言いました。
席へ戻り、進んでいく舞台を見ていると、本当にお国柄と言うものがはっきりと出ている事に気づきますが、中国人の女学生の歌や踊りを見ていると、もう、昔の自分が持っていたようなイメージは全く無く、いかにインターネットで世界は共通に進んでいるかを目のあたりのしたような気がしました。
そんな中、私の家庭教師の大学院生の2年生の小柄ないつも背中にナップサックを背負い早足で歩いていかにも負けん気の強そうな実家まで汽車で戻ると4日間かかるという田舎に住んでいた黄先生が、研究生8人と一緒に短いスカートで椅子を使って音楽に合わせてダンスしたり、座ったりと激しい動きをして、其の中に少し色気も漂わせながら、一生懸命に演技をして見えました。
また、私のいる初級2班のクラスに研究生として授業参観に来ていた大学院生の品のある、いかにも頭の良さそうな良家の令嬢のような雰囲気のある女性で、私に研究生ばかりいる教室で私の教科書で先生になる模範授業に参加させてくれた王さんが、1人で白を中心としたお姫様のような王妃のような雰囲気を醸し出したチャイナ服を纏い、片手に大きな中国のセンスを開いてパタパタさせながら、舞台の上を右に左にと舞いながら歌い恥ずかしそうに演技を終えて舞台の奥へ入って行かれました。
其の他にも印象に残っている出し物は、日本人男子学生の1人で演奏したマンドリンの上手さは、一際光日本人学生の大きな声援を貰っていました。
日本人と言えば、マジシャンの演技をした韓国生まれの韓国育ちと言う男性学生は、本当にプロのように思われるくらい鮮やかで素晴らしく観客全員をとりこにしていたように思います。
先生の方では、初級3班の40歳前後の小柄ないかにも正確が強そうな女性の先生とアジア系の顔をした男子学生との中国語での速いスピードの掛け合い漫才がすごいな~と感じました。
そして、大学の事務局の女性の先生ばかりによる中国風羽衣の舞も凄く優雅で千都を想いださせるような古風な雰囲気の大人の女性ならではの色気も加わりロマンティクな気持ちになりました。
私達初級2班のウズクベキスタン人の20歳代前半のはっきりした顔立ちのよく勉強の出来るいつも高そうな服装を身につけている割と若いのに化粧の濃い目の大きな女子学生1人と金髪の余り背の高くない細身の小学生に英語を教えるアルバイトをしていて余り授業に出てこずに今回も除先生から、携帯電話で何回も念を押されて参加している優しそうなアメリカ人男子学生1人と韓国人の細身の声の低い音の発声をするいつも野球帽子を被り最近雪の日に転んで腰を打撲して2,3日授業を休んでいて、今回も除先生からの携帯電話でやむにやまれず痛みがあるのを堪えて参加しているようでした男子学生1人といつも今回のクリスマス会で歌う「友達」の歌の練習に1回も来ずに偶々日本人の友人が出演するため応援に見に来ていた阿武という日本人男子学生1人と私の5人のクラスメートは、この南音楽院会場の入り口のエントランスホールへ行き、今回の出し物の「友達」の曲の練習を本番で歌う順番で何回も練習を繰り返しして、これでいいねとお互いに確認しました。
しかし、いつも来なかった日本人の男子学生1人は、チンプンカンプンの様子で、私に本番どうしょうと言うような事を聞いて来たので、私はふっと、枯れ木もあれば花の1つに見てもらえるからとは言わずに、出ているだけでいいと出るのを進めておきました。
そして、控え室へ行くと私より先に出る学生や先生方が大勢で番を待って、座ったり歩いたり、お喋りしたり、お互いに確認しあったりと、もう控え室は、とても忙しい様子の時間が一遍に通り過ぎて行くような一種緊張した反面、楽しいひと時を人が経験できないものを出来る優越感や交錯する時間が蠢いている空間に自分もいるようで、妙な気分でしたが、やはり異国にいると言うことが、却って1人の人間を大胆に変えるような力が働くような気がしました。
办公室的宋洁老师和女们古典跳舞结束以后,坐椅子休息一下了。バンゴーンシダソーンジエラオシーフーニューメングーディエンティアオウゥジエシュイーホウ、ズオイーズシューシイーシャーラ。事務室の宋先生と女性達は、クラシックダンス終了後、椅子に腰掛けちょっと休んでいました。
私は、事務室の背の高い35歳位の日本語の唯一話せる如何にも利発的な優秀な目鼻立ちのはっきりしている確りした美人の宋先生と2,3事言葉を交わし、私がお疲れ様でしたと言うと、宋先生が頑張ってやって下さいねとにっこりと笑って言ってくれました。
また、私の前の24番目に中国武道で演技する団体の中にいた研究生の1人が、私の友人の日本人の初級3班の5号楼宿舎の517号室のいつも一緒に朝食を食べる50歳代の細身の優しい明るい雰囲気の玉田さんの知り合いの学生さんで、一度、玉田さんから紹介された事のある細い体付きの華奢な大人しそうな雰囲気の優しそうなやや童顔の人の良さそうな色白の笑顔が素敵な女学生さんでした。
私は、中国語で、「你好」ニィハオと声を掛けると、私に気づいて、日本語で「こんにちは」と返してくれました。
少し確か日本語で話を交わした覚えが有ります。
彼女達は、控え室の狭いところを利用して、8人位で前へ出たり、後ろへ下がったり、足を蹴り上げたり、手を突く練習をしたりと声を出しながら、一生懸命にもう間近く迫っている自分たちの出番に備えて頑張っていました。
私と日本人の一緒に出る中級1班の先週近くのスーパーでこの日のために青いセーターを購入して、一緒にカラオケへ行き夜練習したいつもマイペースの色合いの非常に強い個性豊かな63歳の男性宮木さんと再度、歌の打ち合わせをして、お互いに緊張せずに思い切り歌いましょうと励ましあっていました。
除先生が、この日のために初級2班の出演する1人1人の胸にスイッチを入れると消えたり光りだしたりする玩具みたいな2センチ位の大きさの物を付けてくれました。
本当に器用な先生だな~と思いながら、嬉しく感謝をしました。
走行しているうちに、とうとう私達2人の25番目の出演者紹介を司会のイタリア人女学生と韓国人男子学生が「这次是日本人男性两个人的初级二班的后藤先生和中级一班的榖宫木先生。唱歌唱得大连的街。请。ジャーツゥシナーンシーンリャンガレーンダチュージーアーバンダホウテンシエンシェーンフージョーンジーイーバンダグーンームーシエンシェーン。チャンガチャンダダーリエンダジエ。チーン」
この次は、日本人男性2人の初級2班の後藤さんと中級1班の宮木さんです。歌うのは、大連の街から。どうぞ。とアナウンスが流れ、大きな音で曲の前奏が流れている中を2人で演台の片隅から、やや急ぎ足で恥ずかしいやら嬉しいやら何かに押されるように、舞台真ん中へ歩いて出て行き立ちました。
「大連の街から」の前奏が流れる中、私は、舞台のやや真ん中辺りに立ち、前を見るともう大勢の観客人で立って見ている人も有り、総勢軽く500人は超えているな~と思いながら、日本人の学生が固まって座っている辺りや、一番前の席に座っている10人の審査員の姿を見、自分の目があちらこちらに行き渡り、何かを探しているような状態の中、「大連の街から」の一番目の歌の聞き覚えのあるいやよく練習した出だしの部分の伴奏が聞こえて来ました。
とうとう私は、何時ものように曲に合わせて歌い出していました。
頭の中は、自然に覚えている歌詞が次々に巡り出て来て、感情輸入をしながら、大きな声で声量をつけながら、聞いて下さっている皆様の席を見回しながら、一生懸命に夢中で一番目の歌詞を歌い終わっていました。
二番目は、宮木さんが歌う約束でしたので、私は、横でじっと前の観客席を見ながら、時々音程を恥じしたり、曲よりも早く歌ったりしている少し上がっているのかな~と感じながら宮木さんの可也真剣に歌っている歌を聞いていました。
そして、三番目の節になり、伴奏に合わせて、二人で歌いだしました。
私は、曲が段々少なくなっていくのを想いながら、歌って貰わせているこのことに感謝を感じつつ、無我夢中で歌い続け歌い終わりました。
二人は、深々と何回も歓声や拍手の物凄い大きな音の中で頭を下げてお礼を示し、舞台の観客席から見て左隅の幕に退場して行きました。
退場すると除先生や張先生や初級2班のクラスメートやイタリア人の司会の女性学生や大学の事務室の若い女性に笑顔で、中国語で「很好」ヘンハオとてもいいですよと声を掛けられ私は万遍の笑顔で答えていました。
そして、一時も休むまもなく、私は、26番目のプログラムに組み入れられている初級2班のクラスメート達と張先生と6人は、中国語で歌う「朋友」パンヨウ友達と言う曲を歌うために、司会者の1人のイタリア人女学生ともう1人の韓国人男性学生の流暢な中国語での紹介を聞きながら、全員で手に除先生手造りの赤い造花の花を持って、舞台中央で横一列に並んで前奏を聞きながら立っていました。
曲の一番を最初にウズクベキスタン人の20歳前半の可愛らしい女学生が1人2小節中国語で歌い、続いてアメリカ人のいつもアルバイトで小学生に英語を教えて授業をさぼる男子学生が中国語で1人2小節歌い、残りの部分の沢山ある小節部分を全員が中国語で歌い、一番が歌い終わると続いて直ぐに、2番目の歌詞へ入り、韓国人の腰を痛めている細身の男子学生が、1人で2小節を中国語の発音が低い声でやや聞きにくい感じのする声で歌い終わると、次は、私が、1人で2小節歌う予定でしたが、心配があったのでしょうか張先生が一緒に私の横で歌ってくれましたので、私は、中国語でどうにか歌う事ができて安心しました。
歌が終わり、全員が中国語で「新年快了」シンニエンクアイラ新年おめでとうと大きな声で言って、頭を下げて舞台の奥へ下がりました。
私達の初級2班のクラスメートと除先生と張先生の7人は、お互いによくやったと満足な顔をして本当に成功を讃え合いました。
ぞして、自分達の席に戻って、除先生の用意してくれたやや大きめのパンと紙パックに入った小ぶりの牛乳を各自頂きながら、安心して最後までのプログラムの演技を見終わりました。
最後は、審査員の先生や出演者で舞台にでるようになっていた学生達が出て賑やかに、新年を迎える歌を審査員の眼鏡をかけた中年の背の高い細身の教授が、バリトンのような響く声を出して、中国語で歌いながら、それにあわせて全員で歌ったりしながら明るく幕が下ろされました。新年快乐!新年快乐!圣诞节快乐!シンニエンクアイラ!シンニエンクアイラ!シェンダンジエクアイラ!新年おめでとう!
私は、除先生や張先生やクラスメートと別れて、日本人の初級3班の女性学生の玉田さんと中級1班の男性学生の宮木さんと一緒にマイナス12度で体感温度マイナス17度の外を夜10時に歩くと風は強く冷たくて刺すようで痛く感じられ、ダウンジャケットの帽子を確りと被り手で押さえて風で取れないようにして下を向きながら手袋もして10分位歩いた時に、宮木さんから夕ご飯でもと誘われましたが、玉田さんと顔を見合わせて目配せして丁重にお断りをして、歩道橋を降りたところで、宮木さんは右に行き私達は左の方向へ今日の音楽会の話に花を咲かせながら、私は、除先生から、パンを差し入れしていただいたり、席を確保していてくれたりと本当に学生のために親切に一生懸命して下さる姿を話しました。
また、玉田さんから、後藤さんが舞台で歌っている写真撮ったのだけど、後藤さん割と下向いていた時が多くいい写真撮りづらかったと言われました。
そうか自分では全く気づいてなかったと反省しつつ、無茶苦茶寒いのも忘れて話しに夢中になって、何時の間にか歩いていると、20分位歩いたのも忘れて厳寒の真冬の中を抜けて宿舎へ着きました。
もう2人とも慌てるように中へ入り、ほっとしてエレベーターに乗り5階まで行き、各々部屋へ戻りました。
朝食8元、昼食5元、夕食1元 合計、14元(日本円で、210円位です。)
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