留学生活編「今日は留学生クリスマス会(中国語で、留学生圣诞会リューシュエシャンシェンダンホイまたは、中国語で、新年晚会シンネンワンホイ。新年を祝う会といいます。) 144番目
2010年 12月23日 木曜日
3時20分起床。 私は、福田さんにメールを打ちました。今日、18時から22時まで、私達の北校舎から歩いて20分位の所にある南の方向にある遼寧師範大学の中国人の学生が通う校舎の中にある南音楽堂で、留学生クリスマス会(中国語で、留学生圣诞会リューシュエシャンシェンダンホイまたは、中国語で、新年晚会シンネンワンホイ。新年を祝う会といいます。)を見に来てくださいと言う内容のメール(中国語で、发短信ファードアンシンといいます。)を1時間掛けて中国語で、中国で購入したとっても小さな携帯電話から、文章を沢山幾つもいくつも考えて一生懸命に打ちました。
また、私は窓ガラスの外を見ると暗くマイナス12度は有りそうな窓ガラスの外側に固まったツララを見ながら、今日の私が歌う2曲を練習しようと思い、まず、文麗先生が用意してくれた録音器の中に録音されている「大連の街から」のメロディーを聞きながら、こんなに朝早く、まだ、4時半頃だと言うのに、みんなが寝ているのに、大きな声で1人歌っていました。
それも何度も何度も暗記をしないといけないものだから、歌い続けていました。
そうすると、だんだん声が腹から出ていると言うか、昔、若い頃に、謡曲を習っていた頃に、70歳近い初老の先生から、額から声を出して歌いなさいとよく言われていたのを、思い出して練習をしました。
そして、初級2班のクラスメートと歌う中国語の「朋友パンヨウ」友達と言う歌を今度は練習するのですが、これも中国語の歌詞を覚えないといけないので、それも自分が担当する2行の中国語の歌詞の部分は必ず覚えなくていけません。
メロディーも間違えないようにして、一生懸命に歌い続けて外の暗いのが開けるのを待っていました。
しかし、なかなか夜明けはきそうも無かったので、歌はここまでにして、中国語の勉強をし始めました。
結構早く起きると、7時までに時間が有り、いろいろとやりたい事ができるものだとつくづく思いました。
7時になったので、何時ものように、1階のレストランへ行き、何時もの真ん中の前から2番目の10人掛けの中華の丸いテーブルの席に座り、ナプキンがいつもテーブルの上に置いてないので、近くのテーブルを見回し、ばらばらで置いてあるナプキンを2,3枚取って自分の席に戻り、何時もの胡瓜の油炒めの冷えたものと余り熱くないと言うより、冷えているやや大きめの餃子を食べながら朝食を食べていると、517号室の初級3班クラスの女性の玉城さんが見えました。
すると初級4班のややふっくらとしたはきはきした30歳代後半の若い中国人女性と、カラオケで朝まで歌っているとても元気な胡麻堂さん
が私達のテーブルに来て、来年1月に中国旅行をして、半ば過ぎに帰国しょうかと考えていると嬉しそうに明るく言われました。
そして、今日の夜のクリスマス会の事に話が弾み、500人以上も観客が来る前で、歌うなんてどきどきだねと話しながら、私は、玉田さんに、カメラを御願いして写真を取って頂く様に頼みました。
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