見出し画像

留学生活編「普通は、1月の最終試験を受けないと在学証明書(中国語で、在学证明书ザイシュエージャーンミンシューと言います。)は、発行されないのですが、貴方は、本当に真剣に真面目に1日も休まずに授業出て来たから、特別に発行してもらうようにしましたと除先生が中国語で言われたのです。124番目

画像1

2010年 12月13日 月曜日
 3時15分起床。 昨夜、私は、大連汽車駅の散策から帰り、1人6時半から部屋で青島ビールの薄い味のするのを感じながら、飲んでいたら、7時30分頃、ちょっと布団に横たわっていたら、何時の間にか寝てしまい、21時55分に目が覚めて、慌てて家内に電話をしましたが、日本時間では、22時55分と言う時間だから、掛かりませんでした。

数分後、家内から電話が有り、少しだけ話して直ぐに電話を切り、23時までは、シャワー出ることになっているのですが、9時にもう止まる事もあったので、私は、慌ててシャワーを浴びるとどうにか熱い湯が出てアア助かったと思いシャワー浴びて、再び寝ました。

先週を振り返ると、左に奥歯の親知らずが、腫れて丸く大きくなった歯茎の腫れ物を塩で擦っているうちに、とても痛くて破れ血が出て来て最悪だったので、その時に、私は、歯茎が腫れて痛くて血が出て本当に有り難う御座いますと何回も言いました。すると、直ぐに早く直ったように勝手に思っています。そして、「大連の街から」を12月23日に晴れ舞台で歌うためにカラオケで練習しに行ったり、仲良しの玉田さんや福田さんや李さんと大連の駅の近くを散策しに出かけたりと楽しい経験させてもらった一週間でした。

昨日から雪が降り(中国語で、下雪シャーシュエと言います。)外は、雪が積もっています。
宿舎のフロントの奥の壁に掛けてあるボードにマイナス12度(中国語で、零下12度リンシャーシーアードゥと言います。)と言う数字が出ていました。

私は、確りと着込んで授業へ行きましたが、殆どの学生が、ダウンジャケット(中国語で、羽绒服ユーロンフーと言います。)で帽子を被り顔隠して、厚手の手袋をして、女学生の多くは、ボアー付きのブーツを履いている学生が多く、私は、日本から持参のスニーカー1足のみで、雪の日だったので、足元が滑りながらゆっくりと歩いて大学の教室へ向かいました。

今日の授業の第1コマと第2コマの授業の休み時間に、担任の除先生(中国語で、徐老师シューラオシーと言います。)が、私に来年の1月5日の最終試験受けないのかと聞かれるので、私は、12月30日に帰国するため無理ですと答えると、除先生は、今から一緒に1階の事務室(中国語で办公室バンゴーンシと言います。)に行くように言われ付いて行きました。

そして、除先生と2人で事務室へ入り、私は1人で除先生の傍に立っていると、何やら中国人の事務員の女性の方と除先生が中国語で話をして、私に、除先生がパスポート持っているかと聞かれるので、私は、いつもパスポートのコピーを財布の中に入れていたので、それを出して除先生に渡すと除先生は先ほどの中国人の事務員の女性の方へ渡されました。

私のパスポートを見ながら、其の中国人の事務員の女性の方が、パソコンで処理して見えました。その間に数分間ですが、除先生が中国語で私に、普通は、1月の最終試験を受けないと在学証明書(中国語で、在学证明书ザイシュエージャーンミンシューと言います。)は、発行されないのですが、貴方は、本当に真剣に真面目に1日も休まずに授業出て来たから、特別に発行してもらうようにしましたと除先生が中国語で言われたのですが、聞いていて解る部分と解らない部分が有り、後で書いてもらって理解できたのが正直な所です。

しかし、私は、本当に恵まれているとこの時に除先生に深く感謝をしました。そして、中国人の事務員の女性の方が、書類を作成して1枚を徐先生に渡され、それを私は、貰い隣の事務室の宋先生のいる事務室へ行き、見せて其の書類に遼寧師範大学の証明の朱印を押して頂きました。

其の書類が、10月31日から12月30日までの在学したことを証明する中国語で書かれた在学証明書だったのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?