留学生活編「4人で1元バスに乗り、大連駅前の繁華街と駅前近くの公園に行きました。」122番目
2010年 12月12日 日曜日
4時15分起床。 昨日夕方、中級1班の63歳男性で何時も自分を前面に出して殆どマイペースの宮木さんから、電話が有り、私は、19時に5号楼1階ロビー(中国語で、大厅ダーティーンと言います。)で、待ち合わせをしました。
そして、2人は、韓国料理店でこの前、玉田さんと一緒に行った店へ行き、此処の店のオムライスが美味しいと宮木さんが言われるので、同じ料理を注文しました。実際、オムライスは、量も多く美味しかったです。しかし、食べながら、宮木さんの昔話を前に聞いたことのあるような内容の話だったと思います。宮木さんは、今、離婚されて1人で中国に住んでいて、孫の顔も見せてもらえないと零して見えました。そして、自分は子供さんに嫌われ奥さんに嫌われていると言われていましたが、どうも何回も聞いているうちに、奥さんのこと恋しいのだと感じられるところがありました。また、他の人にも同じ話していると後で日本人の方に聞きました。
夕食を済ませて、先月、私が、クラスメートやクラスの担任の先生と一緒に行ったカラオケ店(中国語で卡啦OK店カラオケディエンと言います。)と同じ店に、宮木さんとマイナス10度の寒い夜道を歩いて10分位掛けて行きました。
私達は、3階のフロントへエレベーターに乗り、取りあえず1時間分1人44元(日本円で650円位です。)を支払い、ボーイに案内されて5階のカラオケルーム1室を借り切り、「大連の街から」(中国語で、「大连的节」ダーレンダジエと言います。)1曲を何度も何度も掛けて1番を私が歌い、2番を宮木さんが歌い、3番を2人で歌う本番どおりの練習を繰り返しして、2人とも自信を深めて様でした。
8時から10時まで、中国語で、文丽辅导老师学习汉语ウエンリーフーダオラオシーシュエーシーハンユゥ 日本語で、ウエンリー家庭教師の学習をしました。先生は、昨夜大連汽車駅近くの友人のアパートへ泊まり、朝早く起きてバスに乗り1時間掛けて、私の501号室へ来られました。
私は、ウエンリー先生と12月23日のクリスマス階の話になり、私が、中国語で、黄先生に習った「大連の街から」の歌に対する私の思いを語りました。すると先生は、次のように私が言った内容を少し変えて教えてくれました。
中国語で、「我在日本的时候,有一个想法就是能在大连唱[大连的街]这首歌,现在我的梦想终于实现了。」ウオザイリベンダシーホウ、ヨウイーガシャンファジウシーノーンザイダーリエンチャーン[ダーリエンダジエ]ジャショウグ、シエンザイウオダモンシャーンゾーユゥシーシエンラ 日本語で、私は、日本にいる頃、大連で「大連の街から」を歌いたい1つの夢があった、いま、私の夢がついに実現する。と言う具合に簡単に書き換えてしまわれました。
確かにこの文章の通りの心だなと私は思いながら、何回も覚えようと繰り返し練習をしました。
30分休憩して、私は、10時30分から12時30分までの交通大学の郭先生の家庭教師学習を習いましたが、今日は、日曜日と言う事で、私の斜め目の部屋のロシア系の男性学生が、自分の部屋にある全ての何十足の靴と何十着の服と椅子やもろもろの物を廊下へ出して、大きな物凄い音の自分の好きな音楽を聞いて歌っていました。
郭先生は、私に、音が煩いからとその学生の部屋へ行き帰って見えたら、音が小さくなっていました。
これで、発音練習確り出来ますねと郭先生は言われ始まりました。
12時45分に私は、1階ロビーで517号室の日本人女性の玉田さんと韓国人女性の李さんと待ち合わせをしました。
今日は、マイナス12,8度と可也寒い日になりそうですが、私達は、大連汽車駅付近の大きな商店街や公園を散策に行く計画を組んでおりました。
3人が、集まった所で、バス停まで行く途中の兴业银行シンイエイ-ンハーン(興業銀行)の前で、午後1時に初級2班の日本人女性の福田さんと会う約束で談笑しながら、寒い風の吹く中、待っていました。
少し遅れて福田さんが、ブルージーンズを穿いて、白いベレー帽を被り、小さなショルダーバッグを肩に掛けて、西の方から、小走りに私達の前にやって来ました。
福田さんが、日本人男性の背の高い細くて眼鏡をかけたどうも福田さんと付き合っているらしい30歳代の若い鈴木さんと言う方も一緒にバス停から行きますからと言われるので、私達は、始発のバス駅まで、玉田さんと李さんと話しながら歩いて、私と福田さんと話しながら歩いて、途中道路を横断するのに信号が無いため、もう半分は命がけで、多くの車の往来する合間を急いで走って渉りました。
そして、15分位歩いて、始発のバスの駅に着きましたが、すでに多くの中国人の男女の方が並んで見えました。
私達は、鈴木さんの来るのを待っていましたが、なかなか来ないので、おかしいと思い、福田さんが、鈴木さんへ電話を掛けて見るとすでに1つ前のバスの駅から、乗車しているとのことで、終点の大連汽車駅で待ち合わせする事になりました。
結局、私達は、1本バスを乗り過ごしてから、午後1時30分に来た101とかかれた2両編成の日本のバスの2台連結の長さのバスに乗り込み、何時ものように混みこみの身動きできない状況の中で4人固まって、ステンレスの棒に捕まって、周りから聞こえる殆ど解らない中国語の早い言葉を聞きながら、運転の荒さを示すように体が左右前後ろ斜めと勝手に動き回り、中国語の大きな音のアナウンスが何回も流れて、幾つものバス停が通り過ぎ、外の無茶苦茶多い余り高さの無ビルとかとんでもない高さのビルとか、いろいろなカラーで書かれた大きさもばらばらの店の看板を見ながら、立ったまま終点まで殆ど話すことなく50分位で着いてしまいました。
終点の大連汽車駅は、とっても広く大勢の人人でごった返していて、どこに鈴木さんがいるのか私も玉田さんも解らないでいると、何時の間にか私達4人の輪の中に鈴木さんがいました。さすがに若い人は、見つけるのが探すのが早いと言うか長けているのだと思いました。
これから、どこへ行こうかと言う事になり、私は、福田さんから、借りていた大連市内観光案内本を李さんへ渡し、鈴木さんや玉田さんと相談を駅前の大勢人のいる中で立ったまま話し合って見えました。私と、福田さんは、広い場所のある50センチ格のタイルの張ってある床面で、福田さんの今度借りた部屋の広さを聞いて、20㎡だねとか30㎡だねとか7坪いや10坪位とか言いながら、家賃が安いとか高いとか勝手に話していました。そこへ、玉田さんも加わり、3人でこんなものなのとか言いながら寒い中話していました。
すると、李さんから、行く所が決まったらしく、行きましょうと言われたので、丁度いい機会だから、此処の大連汽車駅をバックに、みんなで写真取りましょうと言うことになり、カメラを持参した鈴木さんと玉田さんと私の3人のカメラでみんなを代わる代わる取りました。
そして、私達は、李さんと鈴木さんの後をついて行く事にしました。
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