エンプロイーエクスペリエンスの時代 〜物語を生み出せる会社がヒトを輝かせる〜
リンクアンドモチベーションの新しいサービスメニューとして、「エンプロイーエクスペリエンスコンサルティング」をリリースいたしました。
また、私が解説文を担当した「エンプロイー・エクスペリエンス」(トレイシー・メイレット/マシュー・ライド)の日本語訳版が出版されました。
エンプロイーエクスペリエンスはこれからの企業組織を大きく変えていく可能性のある概念です。
リンクアンドモチベーションのエンプロイーエクスペリエンス コンサルティングも既にいくつかの企業様で導入が進み、人材の育成やエンゲージメント向上に非常に大きな成果をあげています。
今回、出版社様の許可を得て、「エンプロイー・エクスペリエンス」の解説文を全文公開することにいたしました。
少しでも多くの方にエンプロイーエクスペリエンスを知って頂ければと存じます。
「エンプロイー・エクスペリエンス」日本版解説これからの時代の羅針盤になる一冊麻野耕司
時代は「ヒト、モノ、カネ」から「ヒト、ヒト、ヒト」へ
今、企業経営を取り巻く環境が大きく変わろうとしています。
そもそも企業が発展していくためには、3つの市場から選ばれ続ける必要があります。
1つは「商品市場」。顧客から選ばれるため、最適な事業活動が展開されます。
2つ目に「資本市場」。株主、投資家、金融機関から選ばれるために財務活動が展開されます。
3つ目は「労働市場」。応募者や従業員から選ばれるための組織活動が展開されます。
20世紀は産業の中心が第二次産業、すなわち製造業でした。商品をつくるためには設備や工場、つまりは「モノ」が重要でした。そして、設備や工場を生み出すためには資金、つまりは「カネ」が必要でした。「ヒト、モノ、カネ」の中でも「モノ」や「カネ」の比重が大きかったのがこれまでの経営でした。商品市場で選ばれるためには、資本市場で選ばれることが重要でした。
しかし、21世紀は産業の中心が第三次産業、すなわちサービスやソフトのビジネスです。商品をつくるために必要なのは設備や工場ではなく、従業員、つまりは「ヒト」です。「ヒト」さえいれば、商品をつくり、届けることが可能な時代になりました。商品市場で選ばれるためには、労働市場で選ばれることが重要になります。
これからの経営は「ヒト、モノ、カネ」ではなく、「ヒト、ヒト、ヒト」であると言っても過言ではありません。
この変化は第三次産業にかかわらず、あらゆるビジネスを飲み込もうとしています。日本最大のメーカーであるトヨタ自動車ですら、「自動車会社」から「モビリティ・カンパニー」への転換、つまりはソフト化・サービス化を図らなければならない時代だからです。
人事は「Human Resource」から「Employee Engagement」へ
「ヒト、モノ、カネ」の時代において、ヒトにまつわる仕事は「Human Resource=人的資源」と呼ばれました。日本語に直訳すると「人材」です。
この言葉から読み取れるのは、「ヒトはビジネスの材料である」ということです。つまりは、あくまでビジネスの主役は企業であり、その手段として人材が位置づけられるという構図が存在しました。
企業の人事部門の最重要ミッションは、事業計画に基づいて何人の従業員を採用し、雇用するかという「要員管理」でした。そして、製造業の生産現場において「ヒト」は「定数」であり、どんな従業員であっても生産ラインにおいては同じアウトプットを出す前提で要員計画が組み立てられました。
「ヒト」は事業戦略の下部構造に位置し、事業の材料であり、資源であり、経営におけるコストでした。
しかし、「ヒト、ヒト、ヒト」の時代において、ビジネスにおける「ヒト」の位置づけ、企業と従業員の関係は変わります。
ソフト化・サービス化が進むビジネスにおいては、「ヒト」は変数であり、どんな能力の従業員がどんな状態で業務に取り組むかで、得られるアウトプットは大きく変わります。特に金融やITのようなビジネスでは、個人の能力や意欲次第で何倍も成果の差が生まれます。人が直接顧客と接点を持つサービス業も、その人次第で顧客の満足度は大きく影響を受けます。
企業の人事部門の最重要ミッションは、従業員の、自社の戦略への納得感を高め、商品への愛着を育み、同僚との連帯感を高めるといった「共感創造」になります。
「ヒト」は事業戦略と並列に位置づけられ、事業や戦略そのものを生み出す根幹であり、経営における投資対象になりました。
そこで生まれた概念が「Employee Engagement=従業員エンゲージメント」です。
エンゲージメントとは、直訳すると「婚約」ですが、ここでは「従業員の企業への共感度合い」と理解してもらえると良いでしょう。
企業の人事部門の主要なテーマは「Human Resource(人的資源)の獲得・調整」から「Employee Engagement(従業員の共感度合い)の最大化」へと変わってきているのです。
従業員エンゲージメントの重要性は、労働市場の流動化および多様化によって更に加速しています。
情報化社会の進展によって、従業員は他社の情報が得やすくなっている上に、他社のリクルーターからの接触が容易になっています。今後ますます、労働市場の流動化は進んでいくでしょう。従業員エンゲージメントを高められない企業は、自社のビジネスに必要な人材の獲得や確保が難しくなるはずです。
また、ミレニアル世代に特に顕著ですが、働く人の価値観は多様化していきます。
社会全体が物質的に豊かではなかった時代は、働くことに求めるものは多くの場合「給与」や「昇進」でした。しかし、社会全体が豊かになった今は、それらに加えて「仕事のやりがい」「自己成長」「同僚との繋がり」など、様々なものを働くことに求めるようになってきました。それに伴い、従業員エンゲージメントを高めるための方法も複雑化しており、その難易度は高まってきています。
「Employee Experience」が生み出すもの
そんな中で登場した概念が、本書のテーマでもある「Employee Experience=従業員体験」です。
「Employee Experience」とは文字通り、「従業員の能力や共感を高めるために最適な体験を提供する」という考え方です。
Employee Experienceによる大きな変化が2つあります。
1つ目は、「点から線へ」。
これまで、従業員の能力や共感を高めるための機会は、「社員研修」や「評価面談」など、それぞれが独立した施策、つまりは「点」として捉えられることが多かったです。
しかし、より効果的に能力や共感を高めるためには、それらを「点」として捉えるのではなく、「線」として捉える必要があります。
具体的には、「社員研修」であれば、その前後にある、上司のマネジメントや同僚とのコミュニケーションとの一連の流れを意識して設計することにより、効果は高まります。
例えば、「社員研修」で営業手法を学んだとしても、それとは全く違うやり方で上司が指導したら、その効果は半減します。
また「評価面談」であれば、その前後の、仕事の任せ方や上司の関わり方との繋がりを意識して設計することにより、効果は高まります。
「評価面談」でいくら精緻に査定をしても、日常的に上司との会話がなければ、その評価に納得感は生まれません。
一つ一つの施策を従業員の目線に立って、体験として繋げていくことによって、効果が高まっていくのです。
2つ目は、「内容から順番へ」。
これまでの企業では一つ一つの施策の「内容」にはこだわるものの、その「順番」を効果的に設計することを怠ってきました。
しかし、「内容」と同じ、いや時にはそれ以上に「順番」が施策の効果に大きな影響を与えます。
例えば、ある営業パーソンの成果を高める場合を考えてみましょう。
目標達成をしようと全く思っていない(=スタンスが良くない)営業パーソンに営業知識(=スキルやナレッジ)を教えても、効果は低いでしょう。
また、商品への共感や愛着が全くない(=エンゲージメントが低い)営業パーソンに目標達成意識(=スタンス)の重要性を説いても、効果は低いでしょう。
効果的な人材育成を実現するためには、まず商品への共感や愛着を育み(=エンゲージメントを高める)、その上で目標達成意識を植え付け(=スタンスを育む)、最後に営業知識を教える(=スキルやナレッジを教える)という「順番」が大切なのです。
「Employee Experience=従業員体験」とは、これまで単発の施策として捉えられがちだった従業員向けの施策を、連続的なものとして捉え、その順番にまでこだわることによって、充実した体験へと昇華させる取り組みです。
「Employee Engagement=従業員エンゲージメント」を高めるためにも、「Employee Experience=従業員体験」が重要になのです。
物語を生み出せる会社がヒトを輝かせる
「Employee Experience」という概念は、「点から線へ」「内容から順番へ」という従業員向け施策の変化だけでなく、企業と従業員の関係性の変化も表しています。
「Human Resource」の時代は、文字通り従業員は企業の目的実現のための資源であり、企業が「主」で従業員が「従」の時代でした。
特に日本企業は、年功序列・終身雇用によって従業員の生活を保障する代わりに、従業員に忠誠を誓わせるという関係が成り立っていました。
「Employee Engagement」の時代は、企業と従業員はお互いが選び選ばれの関係になりました。
日本企業も右肩上がりの経済成長が終わる中で、年功序列・終身雇用を維持するのが難しくなってきました。
従業員が成果を創出しなければ、企業が報酬を提供したり、雇用の機会を提供したりできなくなる一方で、企業が報酬を十分に提供し、共感を創造できなければ、従業員も就労や貢献をしなくなるという対等な関係が結ばれるようになりました。
「Employee Experience」の時代は、さらに一歩進んだ時代と言えます。
それは、企業は従業員の自己実現のための舞台であり、従業員が「主」で企業は「従」であるという踏み込んだ捉え方もできるということです。
商品市場のソフト化が進む時代において、優秀で意欲の高い従業員さえいれば、あらゆる事業は可能になるとも言えます。
労働市場の流動化や多様化が進む時代において、優秀で意欲の高い従業員を生み出せるか否かが差別化につながると言えるでしょう。
企業内のあらゆる施策を企業目線だけではなく従業員目線で見直し、最適化できた企業こそが、競争優位も手に入れられると言えるのです。
企業が従業員というキャストのための舞台だとすれば、「Employee Experience」はその舞台で展開される物語だと言えます。
一つ一つのシーン(=従業員向けの施策)を繋ぎ、大きな物語(=従業員体験)を紡げるかどうか。
そして、一人一人のキャストを輝かせられるかどうか(=従業員エンゲージメントを高められるかどうか)。
それが企業の命運を握っているのではないでしょうか。
しかし残念ながら、我が国はまだまだ古い時代のマネジメントや組織構造を引きずってしまっている企業が多いです。
本書は今の時代に必要な「Employee Experience」を様々な事例を用いながら適切に理解させてくれる、あらゆるビジネスパーソンにとっての羅針盤になるはずです。
本書を通じて、一つでも多くの企業が「Employee Experience」を適切に活用できるようになること、そして、豊富な天然資源も広大な国土も持たないこの国の、最大最強の資源であるヒトの力を引き出せるようになることを心から祈っています。
(2019年4月 株式会社リンクアンドモチベーション取締役)