《第10回SCCしずおかコピー大賞 独りごと反省会。》 vol.20
課題2:人と人との絆を伝えるコピー
・助けてくれたのは、いいねをくれないあの人でした。
助けを求めたことはありますか?
思い通りにならないとき。何かをきっかけに負傷したとき。そして、命の危機に瀕したとき。藁をも掴むように、神にも縋るように、友人や知人を、見ず知らずの人を頼ったことはありますか?
私はあります。
大学生の頃、横浜の大学に通いながら、バイク便のライダーをやっていました。情報・出版・広告・建築など、いろいろな企業に出入りしながらバブルの東京・横浜を中心にした関東圏をバイクでかっ飛んでいました。
ある時、首都高速で事故をしました。
旧型のグロリア。ボディーも厚めの鉄板でできていましたから、今のクルマに比べたら固いのなんの。グロリアが車線変更をしたときに左横側を当てられ弾き飛ばされてしまいました。
気がつけば、バイクに挟まれた状態で道路に横たわっている!
バイクに足が引っかかって抜け出せない!(汗)
確か、おっきな後続車がいた!(恐)
まずい、轢かれる!!!
覚悟を決めるのに1〜2秒くらいだった気がします。でも、運良く、後続の10トン車は停車してくれて、事故死は免れることができました。(運はこのときに使い切った気もしていますが。苦笑)
動けないでいたら、周りのトラックドライバーたちが救助に降りてきてくれました。バイクを起こして、挟まった脚と体を引き起こし、安全な場所に移動させてくれたんですね。こんな見ず知らずの若造に手を差し伸べてくれる、年齢もまばらなトラックドライバーたち。転倒の衝撃も身体と頭に残っていましたから、ボヤーーーッとした視線に写しながら、手を掴み、肩を借り、なすがまま全てを預けていたことを思い出します。
(高速機動隊員がかけた一言『よく生きてたね〜。』は、昨日のことのように思い出せますが。苦笑)
人の悪意が目につく時代であっても、人の善意は危機的な状況で必ず発揮される。頼もしさ。優しさ。この行為を見て、触れるだけでも、人で生まれて良かったと、誇りに思います。
今なら、泣いて感謝して後日挨拶に出向くと思いますが、当時は世の中もよく知らない大人に反発心を持つ若造ですから、感謝の気持ちはあっても反射的に表すこともできず・・・。また助けてくれた人たちも何処の誰とも告げずにパッと解散してしまいましたから、なんとも恥ずかしさの残る思い出です。(汗)
ここまで書いて、何が言いたいのかを忘れかけてしまいました。(苦笑)
結局、何が言いたいかというと、平常と異常の間にあるものは、大きなギャップとなりえる、ということです。
コピーを読むと、興味・関心を獲得するためにギャップを作ることに腐心したであろうことが読み取れます。ただ、どこまでいってもリアリティを感じられない。コトバだけの表現になっているように思えました。
『助けてくれた』は何を助けた? 『いいねをくれないあの人』とは誰?
多くのケースを思い起こさせ、誰にでもフックさせるために、示す範囲を極大化し過ぎた。ピンボケな表現に陥り、抜け出せなくなってしまったと読める。
SNSでコミュティーが形成される現代、『いいね』というキーワードは関係の親密さを表すことは理解できる。そのため『いいねをくれない』というコトバによって疎遠さを伝えた、と作者は感じていると思いますが、SNSのコミュニティーとこのコピーの現場との関係が見えてこない、という状況も発生している。
そう、全てが受け手に委ねられたコピーになっているのです。
コピーの役割で大切なのは、作者自身が想像した内容を、寸分違わず伝えきることがどこまでできるかになります。完璧に伝えることは、ほぼ不可能かもしれませんが、それに近づける努力は絶やさないようにしなければ、それこそSNSで炎上を招きます。
このコピーは伝えきるために、ピンポイントを具体的に書くことの大切さを教えてくれるコピーと言えます。ただし、この内容で審査員はファイナリストに選んだ、という現実もあります。コピーが表現したかったであろう経験(それぞれ状況も内容も違うと思いますが)をした人も何人かいた。だから反応できた。
東日本の震災後、多くの災害を経験した日本人が持つ寛容さが成せる想像力もあることを留意しておきたい。
※コピーの版権・著作権等の使用に関する権利は、静岡コピーライターズクラブに帰属します。
https://shizuokacc.com/award/