DYINGDAY
2023年10月13日にDYINGDAYは解散しました。
次の日には諸々書けるだろうって思ってたけど、めちゃくちゃライブの余韻が凄すぎて全然文章に起こす気になれずもうちょっと先でいいかなぁ〜って考えてた矢先、良太がブログ書いたのを見て、ハッとして、鮮度も大事よな、って事で書き始めました。
俺は今日に至るまでのバンド人生を振り返ってみたいと思います。
たぶん余裕でぐちゃぐちゃな文章やろから暇潰しで見てね(俺やで?)
良太のブログ読んだあとやから、コジ目線verって感じになるかな。
中学生の頃からとにかく音楽、バンドが好きやった。
最初19にハマって、そこから3B LAB.⭐︎が好きになり初めてライブハウスというところに自分でチケットを買って足を運んだ。
暗転するまで前の方がスカスカやったから、ほんなら前で見ようやって言って友達5人と前の方でダウンジャケット(ファー付き)来たまま前で待機してたらSEなった瞬間に揉みくちゃにされて全員終演後まで離れ離れになってもうて。
確か難波ハッチやったかな?
階段の所でなんとか合流できて、みんなジャケット破れて羽が出放題。
え?バンドやばない?あんなぐっちゃぐちゃになってもいいん?
って5人で興奮し狂って、その帰り道にみんなでバンドやろやーって言いながらじゃあ俺ギター!、俺はベース!みたいな感じで決めて、当時親に頼み込んでやっすいアンプ付きの初心者セットを買ってもらって、そこからみんなで遊ぶときは俺の家でアンプや電子ドラム鳴らして(ばちくそ騒音迷惑)遊び始めたのがきっかけでした。
そこから結局楽器を続けたのは友達の中でほぼ俺だけになってしまって、でも今まで誰かに誇れるような特技とかもなかったし、バンドマンになってメジャーとかじゃなくてもいいからフェスとか毎年出れるようなバンドマンになりたいな〜って思い始めました。
ちなみに、その当時よく遊んだ友達ってのが13人いて
DYINGDAYの13って曲はその友達の事を想って書いた曲なのです。
で、18の時に神戸の居酒屋でバイトしてた時に現キンクロの店長のふじむーさんに出会い、ライブしたいならでたらええやんって当時マージービートとスタクラに遊びに来いって誘われて連れて行ってもらい、その時はautumn colorやKOM、Brack topがライブしててそれまた衝撃受けて、当時メンボサイトwith9でメンバー探して初めてオリジナルバンド組んでブッキングライブに出て、ってのが俺のバンド人生の始まり。
でもやり始めてはすぐに解散が決まって(しかもデモ発でツアー組んでて9本中2本目でメンバー全員辞めてしまって)
原因は俺にあったんやけど、でもライブハウスってキャンセルなんてしたら2度とバンドできなくなるんじゃないかって当時は思ってたから、残りのスケジュールを1人でノルマ払いながら(払えない)弾き語りを回ったりもして。
で、その時に対バンを何回かした事あったDYINGDAYのベースボーカルが辞めるってのをmixiで知って、すぐに良太にメッセージ送って、「ベースボーカルできるねんけど入れてくれん?」って送った気がする。
俺からしたら当時のDYINGDAYめっちゃカッコいい同い年おるやん!堺?へー、そうなんや!負けずにがんばろ!
って思ってたからそんなバンド、メンバー抜けて燻るん勿体無いわって思ってた覚えあるなぁ。
1st demo、2nd demoは既にあって聞いてたから、え?なんなん?プロなん?ってぐらい衝撃も受けた。
(レコーディングスタジオdo-do福山マジック。神様。)
すぐに全曲覚えて、スタジオで合わせたらすぐ受け入れてくれて、良太と尚受け入れてもらえたんがめちゃくちゃ嬉しくて中途半端やった大学を親に内緒で中退してそのままの勢いで堺の中百舌鳥近くに引っ越しました。
両親には本当に申し訳ありませんでしたっ!!!
そこから堺での生活が始まったんやけど、え?なにここ?バケモン級のレジェンドバンドしかおらんやん!
ちょっと怖いんやけど…ってビビりながら少しの間生活してたこともあるけど、LeftとPOST KNOTが1番最初に優しくしてくれて、その上にDown the Rabbit-Holeがいて。
ミツルさんは家が近くて周りに友達も全然いない俺をガストやラーメンとか食べに行こやって誘ってくれてバンドの事とかめちゃくちゃ教えてくれたなぁ。
当時ずっとビビりながらやけど。俺は。笑
大阪 堺!ってライブ始める前に言い出したのは完全にみつるさんの影響ですよ。
だってかっこいいやん、堺って名乗れるの!
影響受けて言い出したときに、俺がほんまに堺って言っていいんかな?堺の出身でもないのに…ってずっと思ってた時期もあったり。
でも良太と尚が、コジも立派な堺バンドの一員やからボーカルのコジが胸張って言ってくれたら俺らはそれでオッケーやでってなんかの打ち上げ中に言ってくれたから、その時に吹っ切れたのは覚えてたり。
気づいたらDYINGDAYの舵を俺が取るようになってて、
良太と尚ができない部分で俺は頑張ろう!って思ってバンドってどう動かしたらみんなに知ってもらえるんかな?
レーベルってどうやって関わるん?
ってかCDって世の中にはどうやって出すんや?
みたいな感じで、2人にはろくに相談せず今思えば結構1人で突っ走ってしまった事も何回もあって、あの時の感じは2人にはごめんっていまだに思ってる。
なんか根拠のない自信ってやつでDYINGDAYなら売れれる!ってずっと思ってたなぁ。
そんな感じでひたすら活動してたらTHE NINTH APOLLOと出会い
初めての全国流通を経験させてもらい
タワーレコードにでっかく自分の顔が写ったアー写があり
もうずっと興奮してた。
地元の連れとかに自慢し狂った。
俺みたいになんも続けれなかった人間でもCD出せたんやって。
そこから
憧れのバンドにツアー呼ばれたり
憧れのフェスに呼んでもらえたり
憧れのライブハウスで企画できたり
興奮しっぱなしでひたすら平日土日関係なく駆け抜けた。
それが楽しかったし、自信に繋がったし。
俺は元々アルコールが苦手でお酒飲めなかったからその分良太と尚が打ち上げでスパークして飲み狂ってくれたから繋がれたバンドやライブハウスもたくさん。
絶対無理させてた。
でもその代わりに運転死ぬほど頑張ったりした。
そしたらひたすらメンテナンスもせず走り続けたDYINGDAYに今までなんとか回ってた歯車が狂い出して、メンバー間がちょっとぎくしゃくしちゃって。
俺は俺でバンドの事を思ってとった行動が2人にはしんどい思いをさせてしまった事もあって、3人で決めてきたはずのアレコレを俺が1人で決めてしまったり。
もう今やから話すけど、当時俺が、特に尚にめっちゃあたりが強くなってしまって、
もう言い合いもできないぐらいにまでいっちゃった事もあって。
俺が勝手に決めたセットリストをLINEで送るだけでお互い確認もせずステージ立ったり。
良太は優しいからさ、ずっと間に立ってくれて俺達の関係を修復しようとしてくれて。
でも俺も尚もプライドが邪魔して全然本心で話せなくて、あぁもう無理かなって何回も思った。
正直、3回目のBIGCAT企画、俺がずっと勝手にDYINGDAYの舵をとってきたのに疲れてしまって9割ぐらい良太に丸投げしてしまったんよ。
告知も誘ったバンドへの連絡、旭さんへの連絡、もう全部。
俺は俺でSNSをアンインストールして全く見なくなったりして。
あの時、出てくれたバンドにも俺のせいで死ぬほど迷惑かけてしまって、心配かけてしまって、今だに1番後悔してる。
でもあの日に優しく声をかけてくれたバンド達がいたから
あぁこのままじゃ最低なままや。
3人でもう一度腹を割って話そう。
って思えて企画の次の日に集まって今までの事、これからの事を本音で話し合った。
結果、尚が脱退して俺と良太はDYINGDAYを続けるって判断になったんやけど
くそ後悔した。
なんでもっと上手いことやれなかったんや。
もっとあったやろって。
たぶん尚は脱退したらDYINGDAYには関わりたくないって思ってたやろうし、俺もちゃんとごめんなさいって言えたかわからないし。
ちゃんと脱退した感じやったけどすごい俺と尚は特にふわっとしたまま別れちゃって。
だから
最後の新神楽にオープン前に来てくれて会えて話せたのが死ぬほど嬉しかった。
尚が楽屋にお疲れって来た時、マジで心臓止まりそうやった。
ほんまに連絡とらなかったから。
尚も相当迷ったらしいけど。
DYINGDAY今まで続けてくれてありがとうなって言葉をくれてマジで泣きそうやった。
あの最後楽屋で話せた事で、今までのわだかまりが全部とは言わないのかもしれないけど、俺は解消できた気がしてるよ。
最後無茶振りで、叩いてくれてありがとう。
奇跡な2分間やったな。
次会う時は普通に友達同士に戻って、お互いの子育ての話でもしたいね!
尚も子供、おめでとう!
話は戻るけど、良太とバンド続けるってなって、その時って良太はバンド辞めたら絶対ダメな人種って思ってたし、俺とならバンドやってくれるって言ってくれたから続けれました。
そこから友達の後輩リョーマがサポートしてくれてなんとか止まらず続けれたよ、ありがとう。
そんな中、鹿毛さん(新神楽のボス)がDYINGDAYに入りたいって言ってる若手おるでって言って紹介してくれたのがシンヤでした。
すぐに俺はシンヤに会いに行って、とりあえずスタジオ入ってみようって感じで。
最初は大丈夫…?って不安やったけど、話してるうちに面白い人間性やったから、じゃあ死ぬほどスタジオ入って練習しよう!って思ってひたすらスタジオ入ったな!
良太がちょうど免許取り直しで大阪いなかった時期も2人でひたすら練習入ったなー。
2時間611のイントロの練習とかしたなぁー。
サポートという期間が最初あったけど俺と良太はシンヤがいいって割とすぐに思った。
いつ正式発表する?みたいな感じで。
でも6個年齢離れてれるから気持ちが俺らの一方通行やったらどうしよとかも思ったなぁ。
でも、加入してくれた。ありがとう。
シンヤが加入してからは良太と3人でバンドのあれこれは決めていった。
ちゃんと3人の意見を出し合って決めていった、全部。
じゃあやるか!新体制!!
ってなったらコロナよ。
もういきなり全てがストップ。
レコーディング予定もライブスケジュールも全部白紙。
あちゃーってなったけど、逆に俺らはシンヤと新体制でライブできる楽しさが勝ってたからバンドに対しては割と前を向けてた方やったんちゃうかな。
白紙になろうが、ライブなかったら曲作ればいいやんって俺は割と前向けてた気がする。
で、なかなかリモートでしか会えない日々が続く中で俺から2人に曲作ろってコンタクトとりまくって良太の家集合!って。
だってそれしかできなかったしね。
そこから産まれたのがサブスク配信してるSign Postです。
でもそれと同時にライブできないからってモヤモヤしてても仕方がないから今のうちに20代駆け抜けた代償として生活基盤を整えるのはアリよねってなった。
良太に今の間にやれる事やろうって言った。
俺もそうした。
そこからコロナも落ち着いてさぁまた昔みたいにできるのかな?って思った時には3年以上の月日が経って気づいたら33歳と27歳
シンヤ加入決めた時は29歳と23歳。
そらさ、昔みたいに平日馬鹿ほどライブしてアホみたいなツアー組めんよ。
組んだりしたら絶対また壊れる。
シンヤはまだ27歳、ぶっちゃけまだこれからなんでもできる20代。
燻って欲しくない。
それがバンド人生でも、プライベートでも。
また誰かがおかしくなってしまう前に、
尚がいた時以上にいいライブできる状態なのに
いろいろ話すきっかけがあった時に良太からの今のまま解散って提案。
ぶっちゃけ俺もうっすら思ってた。
シンヤのバンド人生を考えた時に絶対昔以上に活動すべきなのに俺達2人に引っ張る力があるか?って。
誰かが脱退したり病んでしまったりするぐらいの活動になるなら、今本当に最高の状態のまま一度終わらせて、また気が向いたらやれるような感じでもいいんじゃないかなって。
そう考えるようになってしまいました。
めちゃくちゃ悩んだけど、ずっとライブに来てくれて応援してくれる人達には本当にごめんなさいって気持ちやけど、これが3人にとって1番いいよねってなりました。
わがままでごめん。
けど、また始めれる可能性を残して一度解散って形を選びました。
約束は1ミリもできないんやけど。
解散を決めて、じゃあ色んな人たちに連絡しなきゃって思ったけど、良太の性格上たぶん誰にも言ってないよな〜って思ってたし、俺が直近で連絡取り合ってた人達から報告しようって感じやったので、ほんまに全員に連絡しきれないまま、解散発表しました。
だからそのあたりも申し訳なく思う。
良太も書いてたけど、どの面下げてって感じと辞めるやつなんて知らんわって思われたりするし、連絡するのをためらってしまってビビってしまった。
色んな人達からどうしたん!?って連絡くれたりして、申し訳ない気持ちはたくさんです。
解散発表して
福岡、広島、名古屋、大阪、東京、大阪ってライブしました。
まっじで全箇所最高すぎた。
え?DYINGDAY愛されすぎてない?って。
最初はやっぱり寂しい気持ちが勝ってたけど、正直俺はそんな事よりもあの一瞬一瞬が楽しかったし最高のライブを更新できたから感無量です。
またきっとDYINGDAYやれるよね?
やれると思う。
だから一度離れて解散しようね。
俺にとってDYINGDAYは誇りです。
根拠のない自信だけで、憧れだけで走り切りました。
誰かにとって、子供やった俺が憧れたバンドのようになれたよね?
良太、一緒にずっとバンドしてくれてありがとう。
俺なんかのやり方で迷惑かけっぱなしやったけど、任せるでって言ってくれてありがとう。
あと苦手やった酒、死ぬほど飲んでくれてありがとう。
良太のステージジャンプは誰も勝てないよ。
シンヤ、DYINGDAYと出会って入りたいなんてクレイジーな事思ってくれてありがとう。
もっと曲作りたかったよな。
そこは俺の力不足です。
上から目線でもなんでもないけど、ドラムめちゃくちゃ上手くなったよな!マジで最高やわ。
このまま続けたらもっといいドラム叩けると思ってるで。
あと、俺らに対して失礼お笑いの使い方最高やで。
出会ってくれたみんな
先輩、仲間、後輩
関わってくれた人達
マジでポンコツな俺達やったけど、関わってくれた全員のお陰で自信を持ってかっこいいバンドやれてるって思い続けてやれました。
俺も絶対この繋がりを死ぬまで生かしたい。
ダサい事もしたくない。
俺の人格をつくってくれたのはDYINGDAYに関わってくれた人達です。
俺はこの先、どうしようかな。
またバンドするかもしれないし、やらなくなるかもしれないけど、そこはこれからのキッカケに期待して、楽しく音楽と向き合って行けたらいいなって考えてます。
あ、これは解散理由とは全く関係なかったんやけど、すごいタイミングで子供が産まれました。
女の子、凪ちゃんっていうねん。
だからタイミング的に9月、10月はライブ入れてなかったんです。そこだけはわかってくれたら嬉しいかな。
凪ちゃんにもバンドしてる姿みせたいから、またどんな形でもいいから頑張ってみようかなって思ったりもするけど、そこはわからんね。。笑
良太とシンヤの人生、俺の人生
別々に歩み出すけど、変わらずお付き合いしてくれたら嬉しいです。
ほんまにDYINGDAYを応援してくれたみんな、ありがとうございました!!!
バンドは最高や。
いいバンド人生でした。
また会いましょう。
大阪、堺、DYINGDAYでした!!!