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クリティカルシンキングは批判的思考と訳さない方がよい

クリティカルをなんと訳すか?

#クリティカルシンキング を学ぶならそこは抑えておきたい。論理を問う問いだ。

批判的と訳す人が昔から多い。批判的思考。わからなくもない。では、クリティカルヒット、クリティカルな状況(シチュエーションクリティカル)と言った場合にクリティカルをなんと訳すか。

批判的とはならないだろう。

批判的という意味だけではない

クリティカルの原義は判断らしい。判断とは、弁別であり、 #弁別 の意義は核心を捉えることだ。それが派生して核心を問う技法として「批判」が訳にあてられていると理解している。(多分辞書にはあまり書いてない)あと、核心だからそこは「重要」であり下手に扱うと「ヤバ」なものなのだと思う。

だからクリティカルヒットすると相手に大ダメージを与えるし、クリティカルな状況はヤバヤバ(死語)状況なのだ。クライシスも同根の言葉である。

カントの純粋理性批判をちゃんと勉強できていれば、そこにも言及したいのだけれど、カントも理性を理解したかったわけで、disしたかったわけではないだろう。「批判」は真理を知ることだと思う。(全然違ったら恥)

批判と非難/批難は違う

非難/批難にはひとを糾弾するニュアンスがあるが、批判にはそれはない。クリティカルシンキングは、問いを通じて真理に至るための思考だ。

昔読んだ本にグロービスのクリティカルシンキングがある。

このシリーズは版を重ねる度に様変わりするので、今も同じことが書いてあるかはわからないが、初版では、3つの問いとしてwhy/so what/trueが挙げられていた。クリティカルシンキング、略して #クリシン にはこのような代表的問いだけでなく、数限りない真理を見抜くための問いがある。

もちろん、問いの種類が大切なのではない。問うた結果得られる果実が大切なのだ。問うための問いはいらない。

前回問いについて書いたのは社内でこんな話をしたからだ。 #自己紹介 はまたにする

チャオアトゥッティ

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