「例の漫画」から学ぶ人間の断絶
話題になった #例の漫画 。この経営者に強く共感した。しかし、共感しない人は多いだろう。これは、 #断絶 を浮き彫りにし、その人がどこに立っているのかを明らかにする話なんじゃないだろうか。
「例の漫画」を知らない人はまずこれを見てほしい。
仕事でデザイン外注をすることがある。僕が継続して仕事を頼む人は、仕様を踏まえつつ、発想を一歩飛躍させた案も提示できる人だ。
当社のイラストレーションを数多く頼んでいる#イラストレーター の #つぼいひろき 氏もそんな人物の一人だ。
彼は、方向性を示せば細かい指示をしなくても期待を必ず上回るアウトプットを出してくれる。だからずっと頼み続けている。(本人はいやいやもっと細かく指示してくれと思っているかもしれないが)
逆に、以前定額制のイラストサービスを使ったことがある。そのときは2つの理由でがっかり があった。一つは、まさに「例の漫画」のとおりだ。「書いてほしいイメージを言語化して仕様にしてくれたら描きます」と何度も言われた。僕の気持ちは完全に「例の漫画」の経営者の気持ちと同じだった。「そこまでやる時間があったら自分で描く」「自分でやるレベルを超えてこないなら外注する意味がない」。
もう一つは仕様より手前の話だ。あくまでビジネス向けなので「落ち着いた」印象を忘れないでほしいといったら「サイバーなシナプスを表現しました」と言われたことがある。もちろん、意図と全然違う。飛び越えるというのは方向性が同じで一歩飛び越えることであって、あらぬ方向にいくことではない。
この境目には、 #オーナー か #作業者 かの断絶がある。作業者は指示通りにやることが仕事だ。ミスで減点されるが目標を超えても加点はない。オーナーは期待と成果の差分で評価される。期待を超えることが常に求められる。
「例の漫画」で #美大生 は作業者からオーナーに脱皮した。この脱皮は僕も仕事でよく目にする。その姿は美しい。
翻って、自分がプレイヤーとして心がけていることも書いておこう。僕は常に一歩上に向けて努力したいと思っている。同じ相手に同じものは2度提供したくない。次はまた一歩高い水準を。まだまだ拙かろう。でも、自分のできるベストを尽くす。こういうスタンスで仕事をしている。結果として、それが不断の成長につながるはずだから。
だから、マネジャーとしても、最近流行りの「指示を明確に」とかいうのは抵抗がある。作業者を作ることにつながるからだ。
人事制度のコンサルの仕事をすることがある。その際に、会社員の等級について見ることがあり、もう何十という会社の制度を見たが、等級制度の場合、作業者の仕事は最も下の方の等級に位置づけられている。(ここを超えたと判断されないと本当は上には上がれないんだけど、日本的温情で作業者が年功で上の等級にあがっているのが実態なのかもしれないが。)
明確な指示にさらされると、作業者になる。実に1年で作業者に切り替わるのを目にしたことがある。それほどに「明確な指示」は罪深い。「わたしは教会をつくっているんだ」という使命感は指示された仕事からは生まれないだろう。
方向性は示すけどやり方は自由にするのが僕の基本スタンスだ。自分ではできないところに手を延ばせるから人を雇う。自分でやる1馬力よりも自分と誰かの二人で2馬力以上がでるから雇う意味がある。それでなければ、人を使う意味は薄い。
採用時、オーナーなのか作業者なのかは見抜けない。大学生でもオーナーの人物はいるし、社会人経験が長くても作業者は多い。この断絶を何が生んでいるのか。3つ考えていることがある。
これについてはいずれそれぞれ別記事で書きたい。このそれぞれで複数の記事になるほどに長いからだ。
ちなみに断絶周りではこの2冊を最近読んだ。
いずれもアプローチが異なるが分断について書いている。
今日は在宅なので少し時間をかけた。明日は書かない。
Alla prossima settimana!