Uターン日記 2020年3月
1(日)
朝、巣箱作り。
種を植えて苗作り。
近所の子供が手伝いたいと言ってきたので手伝わせる。そのお母さんがいつも俺のことをおじさんと呼ぶことが気になる。そこはお兄さんにしといてと思う。
その子と、行者ニンニクを植えて、しいたけとなめこの原木に水をかけて、巣箱を設置。その子の友達が来てどこかに遊びに行ったので、チェーンソーで、丸太を切って椅子作り。
お隣の畑のM浦ばあさんがきて、ネギの苗をたくさんもらって植え付ける。
果樹の剪定をするというので習いながら手伝い。デコポンが収穫しないと木が弱ると言うので収穫。じゃがいもの植え付け間隔が狭すぎるので植えなおせと言われたが適当に流していたら、手伝うから植え直そうととても悲しげな顔で言ってきたので止むを得ず植え直した。俺はこれまで結構畑仕事をしてきたから、じゃがいももこれで大丈夫というつもりだったが、おばあさんは俺が初心者だと思っているから、せっかく植えたのに収穫出来なかったらかわいそうと思って悲しげな顔をしていたんだと思う。やり方に口出しされるのはめんどくさいなあと思いながらも気持ちはありがたかった。大根ももうとうが立つから収穫しろと言われる。でも家に大根はたくさんあるしなあと思っていたら、ご近所さんがたくさん外にいたから皆に声をかけて知らない子供も畑に呼び込み収穫をさせる。みんな楽しそうにしていて良かった。
片付けをして、地主さんにデコポンを届けたり、チェーンソーを返しに行ったり、明日からの海外ツアーの準備でユニクロや百均で買い物して帰宅。
帰宅後、夕食。
20:00〜22:00快快会議。楽しかった。
荷造りをして就寝。
2(月)
朝食後、新幹線で羽田空港へ向かう。
地元掛川から羽田空港まで2時間も掛からないことが、ふと信じられなくなり何度も乗り換えアプリで調べてしまうが掛からないらしく、ちゃんと到着。
無事手続きも終え出国、フライト。
『ジョーカー』を初めて観る。俺もあんななりきる系の演技を何の自意識も出さずにする事ができるだろうか?いや無理だ、と久々にこんな事を考えた。
飛行機はコロナ禍で空いていて基本皆が3席分を一人で使っていて快適だった。初の南半球でワクワクする。飛行機のフライト情報が見るのが好きで、それを見ながら、窓から見える景色と比べるのが楽しい。まず陸が見えて、走っている車が見えて来て、バイクに乗ってる生の人が見えて来る瞬間がいつもワクワクして好きだ。
到着すると思っていたより暑くない。入国審査の際に数時間前にインドネシアでコロナウイルスが日本人からインドネシア人に感染したというニュースを見た。とうとう、こんなタイミングでと思った。が問題なく入国できた。外に出てすぐ喫煙所へ。明るく開放的な喫煙所は久しぶり。
劇場に向かい、久しぶりにカンパニーメンバーに会ってうれしかった。そこに置いてある水のペットボトルに全てのメンバーの名前が手書きで付箋で貼ってあって、このウェルカム感がとても嬉しかった。そして夕食。滞在中の日当はご飯と移動手段の現物支給ということだったが、毎日、毎食、インドネシア料理が食べれるのはとても嬉しい。インドネシアとマレーシアのチームはほぼ喫煙者。そしてインドネシアの現地スタッフはどこでもタバコを吸って(劇場内でも)、ポイ捨てで開放的。そして、今どんどん喫煙者に厳しい世の中になってきているけれど、地球の為に吸いたいヒトはじゃんじゃんタバコ吸って早く死んだ方がいいんじゃないか?禁煙できない弱い愚かなヒトくらいの感じが地球に住む動物としてバランスいいんじゃないかと思った。人ばっかりぬけぬけと長生きしようとして、、と思った。
その後ホテルにチェックイン。トイレに黄色い水が溜まってて流してない?とか、喫煙可の部屋だけど灰皿がないとか、テレビが傾いて映りが悪いとか、これで三つ星なんだとか思っていたけど、別に文句はないし、ありがたい。
3(火)
朝食でホテルのビュッフェへ。朝から豪勢なインドネシア料理が食べられてありがたい。インドネシアは食料自給率が高くて豊かそうだなと感じる。
9:00〜18:00リハーサル。蒸し暑くて久々にたくさん汗をかいた。昼食も夕食もインドネシア料理。好きなだけ食べる。ありがたい。休憩中にうろうろ劇場の敷地をしてみたら、ジャックフルーツとバナナがたくさんなっていて、猫もたくさんいて、ツバメも飛び交い、タバコはどこでも吸えて、楽園じゃんと思った。そしてインドネシア人は、皆目が合うとまず笑顔を返してくれる。微笑みの国インドネシア。
帰宅後、前回やっていた映像を確認して文字起こし。
4(水)
朝食。あいかわらず美味しくて豊富でありがたい。
部屋に戻って、今日のリハの予習でイマジンを聞く。口笛で吹きたいと思って。歌詞を読んでいると、難しい単語を使っていなくて、世界が平和になる様に英語圏以外の人にも世界中の多くの人に届くようにという思いを感じていいなと思う。俺も今回はインドネシア人に英語で喋る予定だから見守りたい。というか、今は言語も単語も増えすぎていて、本来はこんなにたくさんの言葉はいらないんじゃないかと思う。語彙力はいらないんじゃないか。その方がエコな生活になるはず。ピダハンもそうだ。動物に、地球に住む仲間になる為には、言葉を減らしてシンプルなコミュニケーションをとる、言葉以外で感じている事を大切にすることが皆の幸せに繋がるはず。
劇場に向かい、リハーサルが順調に進んでいるということもあり、皆で午前中は近くのマーケットへ。
初めての買い物。ライフルの弾の形の水筒が買えて良かった。農園の看板を作るか迷ったが、YAMAZAKI PARADISE、か、PARADISE YAMAZAKIか迷ってやめる。
午後から18:00までリハーサル。夕食を食べ帰宅。
早めに就寝。
5(木)
朝食後、朝から健康診断を受ける為に病院へ。インドネシアでは公演をする際に警察の許可がないといけないらしく、その為に外国人が健康であるという証明書をもらう。
何人か微熱があり、公演ができるか不安になる。
インドネシアでも、大きなイベントが中止になり、入国制限もイタリア、韓国、イランにかけて、日本の警戒レベルも一段階あがった。
午後にリハをして、夕食。インドネシアの俳優が、「ピスピス」言うと猫が集まってくると言ってやってくれたら、すごい勢いで集まって来て驚いた。
帰宅して、シャワーを浴びてNHKでニュースを見て就寝。
6(金)
朝食後、ロビーへ。
制作から発熱者が何人か出た為、日本人チームは休みになる旨を聞く。基本ホテル待機ということだったが、コロナウイルス対策で散歩は推奨されているということを免罪符にして、マーケットへの買い出しについていくことにする。畑の看板を作るのが目的。
タクシーでマーケットへ。通訳のニナに協力してもらって、看板屋さんに自分の畑のパラダイス感を伝えて、デザインは店主に任せる。約3000円で明日の17時以降にできるということ。楽しみだ。
一度、劇場に買い出しした荷物を置いて、昼食を食べる。今日から感染拡大を防ぐ為、ブッフェスタイルを考え直すということで、手袋をつけたスタッフが取り分けてくれる。現地スタッフのラナンが体調を崩してマスクをして
いた。もし日本チームの体調不良が新型コロナウイルスだと考えると本当に怖い。とても良くしてくれて、笑顔で迎えて頑張ってくれているインドネシアの人達に病気を移してしまったとしたら申し訳なさすぎる。
ホテルに帰って、昼寝。
夕方に日本チームが集まって、今日の検査報告と明日からのスケジュールに関して打ち合わせ。基本、お腹からくる発熱だろうということで少し安心する。とりあえず明日から食事の仕方を変えるらしい。公演をする為に警察から提示されている条件が、毎回全員熱を計る、アルコール消毒を配置する、救急車が外で待機する、ということらしい。公演形態も変わるかもしれない。
ホテルのブッフェで夕食を食べる。制作のU松さん、ほんと素敵。年は変わらないが、動じないし、皆のアネキって感じで頼りになる。
夕食後、SNSを見ていたら、cinraが始めた「inspire High」という13〜19歳対象のサービスの動画がアップされていて、気になっていたので見る。谷川俊太郎さんがゲストの回。発する言葉に共感する。自分が13〜19歳の頃にこのサービスがあっても利用しなかったろうが、大人になって同い年のTつぁんがこれをやっていることが嬉しい。俺もゲストになりたい。大人になると若い子にいろいろ言いたくなるんだよなーと思う。まあ、これに参加しなくても俺に会いに来てくれたらいくらでも相手するけど。
7(土)
朝食でブッフェへ。今日は食事で食べ過ぎて疲れないようにと思っておかゆにしたが、結局、麺やパンも食べてしまい食べ過ぎた。
リハーサルで、自分が担当しているところが上手く回らない。何が良くないのかわからない。何が前とは違うのかわからない。
8(日)
初のホリデー。
朝食をゆっくり食べて、話をしたい人が来るのをだらだら待って、結局2〜3時間いた。話したい人と話せて良かった。動物園に一人で行こうかなと思っていたが、現地の人が一人では心配って感じの反応で一緒に行ってくれる感じになって煩わせるのが嫌だったから一人でアンティークマーケットへグラブバイクで行く。
全然欲しいものが無かったので、劇場へ向かい、とりあえず衣装の直しをして、頭が働かない分、潰せる不安材料は潰して置くことにする。少し気が晴れて、遅めの昼食を食べる。一人のインドネシアスタッフに昼食食べてなくて、、と伝えたら、3人くらいが、かわるがわる来て、食べてないんだって?食べなよって伝えに来てくれて、少ない言葉でしかコミュニケーションが取れない分、ストレートに情報が広まるなあと思った。あと皆が親切ということと大前提としてある。
遅めのランチを食べて、少し昼寝をしていたら、マレーシアチームのイデルがインドネシアの奥さんの家に、ご飯を食べにみんなおいでと誘ってくれて車でイデルの家へ。階段を登る大きな亀や犬や猫が沢山いると聞いていたのもあって面倒くさがらずに行けた。素敵なうちで、お金持ちでもあり、立派なテラスと庭で美味しいご飯を頂いて、最近の奥さんの趣味というボルダリングをやらせてもらった。筋力ではどうにもカバーできない技術。もっとできると思っていたが全然出来なかった。みんなとただだべるとかいう時間がなかなか無かったので行って良かった。イデルの家の動物は全て保護されたものらしい。犬のヘムシーが、すごく太っていてフォルムが犬というよりイノシシで可愛かった。ごちゃごちゃ考えず、ご招待は素直に受けるべきだと思った。
9(月)
体が重い気がするので、朝食はお粥。
今日から2日間でドレスリハーサルをしなければ行けないし、今日から体調不良者も全員復帰してとにかく集中してやらなければいけない。と思っていたが、不安通り自分のパートが上手く回らない。何故かわからない。
インドネシアのスタッフたちは、話したことない人も、「おはよー、こーじ」などと自分の名前を覚えてくれている。リハーサルに来て2日目とかから名前で呼ばれたりしたから、最初は、「?聞き間違いかな」とか思っていたけれど、ちゃんと名前を覚えてくれている。きっとインドネシアの演出家バンバンや俳優が俺の話をしてくれているんだろうと思うと、本領発揮をできていないことを申し訳なく思う。落ち込まず、がんばろう。
10(火)
朝食でビュッフェ。
お粥ではなくがっつり食べる。
劇場に行き、衣装の手直しから。おでこをペットボトルの切り口で傷つけてしまったので、そこをライターで焼いて丸くする。
劇場をクリーニングするおじさんが、すごくゆっくりしたテンポで話しかけてきた。英語なんて全然喋らなそうな薬物中毒っぽいおじさんだが、前からコミュニケーションをとってくるひとだったが、今日は特に英語なのかインドネシア語なのかもわからないけど、そんなことはお構いなしって感じで話しかけてきた。名前はジョーン(多分)、お前はヘビースモーカーだ、アメリカのタバコなのか?ご飯は食べたか?みたいな感じ。左手に着けた薄いビニール手袋をエアコンの室外機で乾かしてもう一度使う感じが、インドネシアを感じていい。
なんか調子がおかしい気がしたから、熱を計ると37度ジャスト。熱を出すなら最後のチャンスだが、なんとか昼までに抑え込めて良かった。
リハをするが、自分が日本人で言葉はどうせわからないということで、日本でやった時より適当にしてる部分があるよなって思って良くないなあと思う。
夕食後帰宅。
なんとなく着けていたNHKからプロフェッショナルで萩本欽一が出ていた。面白いことを言ってやるじゃなく、一生懸命やってるのが面白くなっちゃうと言うようなことを言っていて、最近は俳優として経験が増えてきたことで一生懸命さを忘れていたと思った。気付けて良かった。一生懸命やろう。
11(水)
ホテルのビュッフェで朝食。
インドネシアの俳優に、インドネシア人の平均月収25000円より稼いでいるのかどうかを聞いてみたら、低かった。
今日からリハーサルが夜までになるのでインドネシアチームも昨晩から全員ホテルに滞在していて、一緒に食べる。
午前中は、部屋でドレスリハーサルに向けて頭の整理。
12:30にホテルを出て、劇場へ。
到着後、ランチ。
14:00〜16:45、リハーサル。とにかく欽ちゃんの言っていた「一生懸命」を意識して、いい感じになった。
17:00に夕食。
ご飯ばかり食べて、甘やかされている感がある。今回のプロジェクトはお金がないと言われているなか、ご飯を三食与えられて、ホテルでたっぷり寝て、ギャラも日本の価値基準でしっかりもらって、お金の出所が気になる。インドネシア側は行政からではなく、全てプロデューサーのサリさんの知人からの寄付らしい。どういうことになっているんだろう。
19:00からドレスリハーサル。滞りなく終わる、が、上手く流れていない。
帰りの車でマレーシアの俳優に疲れたか聞かれたが、全然疲れていなかった。エネルギーをうまく使えなかった。さぼっているつもりではないが、甘えてさぼっていたんだろう。その子がギャグで、明日は俺をずっと見とくから、俺がリードしたらフォローすると言われた。それはギャグだったけど、インドネシアだからインドネシアの俳優にリードしてもらおうと思っていたが、そこは、リードしようと思った。
12(木)
朝食でビュッフェ。
インドネシアチームと食べる。俺が肉も野菜もお金に変えないのは何故かというところから俺が何を考えて今のライフスタイルを作ろうとしているか説明できて良かった。1時間半くらいゆっくり過ごす。子供の写真を見せてもらったり、暇だ暇だと思っていたがこういう時間の流れ方って贅沢でいいなと思う。インドネシアチームでも俺のようなヤングマンはスペシャルだと話していると聞いた。
部屋に戻って、部屋の掃除はタオルと水と灰皿の交換だけで良いとキーパーと話して終わりにする。インドネシアではトイレットペーパーは無くても水で洗うだけでおっけーで、濡れたままパンツを履く。すぐ乾くしそんなに気にならないし。日本でもトイレットペーパーがなくなったらコップで水を持っていって手で洗えばいいじゃん。部屋の掃除とかトイレットペーパーとか、そういうちょっとしたことから皆が少しずつ余暇を作っていければいいと思う。コロナが流行ることでなくなるような仕事はなくなれば良い。本来なくても生きていける仕事なんじゃないだろうか。資本主義は要らないものを要ると錯覚させて売る、どんどん生活を過剰にする。コロナをきっかけに皆のペースが落ち、本当の幸いを見つめ直すきっかけになれば良いなと思う。牛乳しかり、今廃業に追い込まれてしまったら農家さんは大変だけど、こういう機会がないと、考え直すことできないから。牛乳、生クリーム、ヨーグルト、バターは我慢できる。もう少し高級品になってもいい。年に一度誕生日に食べる贅沢なものという、ケーキの復権も乙だと思う。
昼に劇場へ行き昼食。
昼食後、フィードバック。
マレーシアチームの二人が体調を崩した為、今日の公開ドレスリハーサルの内容を変更してやることに。
19:30〜ドレスリハーサル。できはまあまあという感じだったが、若い子がすごく多かった。いつも送り迎えをしてくれているドライバーやご飯の用意をしてくれているおばちゃんが、俺が「とてもセクシーで良かった」と言ってくれた。今回、お金がないお金がないと言っているインドネシアでの環境のなか、毎日三つ星ホテルまでの送り迎え、三食美味しいご飯付きで甘やかされていることに引目を感じていたけれど、観にきたたくさんの大学生たちが興奮してこんなの観たことないと喜んでいたと聞いて、やれて良かったと救われた。自分よりも若い子や子供に観てもらうのは未来に繋げた感があって良い。自然と心からそう思ったことに年をとったなあと感じた。
13(金)
朝起きて、ダムタイプがベネチアビエンナーレの日本館アーティストに選ばれたことをニュースで知る。ダムタイプの紹介文を見ていて快快みたいだなと思った。ダムタイプのステートメントが良いなと思った。以下
『ダムタイプは システムである
活動開始以来、特定のディレクターを置かず、様々なメンバーが参加し、フラットな関係での共同制作を行い、その活動の領域を拡張してきた。
ダムタイプは、さらに拡張する
ダムタイプは、観察する 自然を
テクノロジーを
社会を
人間を
post-truthの時代を
「真実の向こう側」を
「時代の穴」を
post-truth 「Truth」自体を疑うこと
今まで信じてきたシステムが崩壊しようとしている分断された混沌しかない世界で、今まで事実だ と思われていたものが不確かに感じられ、人々は自分たちが信じたいものを「真実」と思い込む。
「真実」は、もはやかつての「真実」ではない 「未来」は、もはやかつての「未来」ではない
「希望」は、もはやかつての「希望」ではない
「幸せ」は、もはやかつての「幸せ」ではない
インターネット上の言説空間=post-truthをどう受け止め、霧のように重さの無くなった言葉に包 囲されている情報環境の中で「当たり前」を純粋な視線で見つめ直し、「今をどう理解し、生き、 そして死んでいくのか?」 問い続けなければならない。』
劇場で昼食を食べて、フィードバック。結構ダメなところがあった。修正のリハをやって初日。
100人来る予定だったが、半分の50人程度。コロナと劇場が分かりにくい場所なことと無料なことの影響らしい。
昨日よりは良かった。ベストを尽くしているつもりだが、なんか乗り切れない。
14(土)
朝食。最近はインドネシアチームとご飯を食べることが多くなっている。いつもはクレイジーでバカな感じで振る舞っている演出家のバンバンが静かに新聞を読んでいて、そのギャップがかっこよかった。まあ、そうだよねと思った。バンバンの言っていることには共感できる。生き方それからバンバンの劇団のホームページをチェックして、テレビで放送されたリンクがあって、バンバンの劇場が、竹でできた野外劇場で良かった。
劇場へ行き、フィードバック。
マチネ、ソワレ、無事に終える。やはり観客は予約の半分程度で、さみしい。
15(日)
朝食、インドネシア人と。
劇場へ行き、皆でチームTシャツを着て記念撮影。
コロナの影響で20〜30人と聞いていたが80人ほど来た。
まあいい感じに終われたと思う。
その後だらだらとロビーで打ち上げ。初ビール。
2年ぶりの再会から2週間でさよなら。もう再演の予定はないから会うことはないかもしれない。何かの機会に会うかもしれない。そんなにさみしくもない。
夕方に帰宅。シャワーを浴びて寝る。
目が覚めたらまだ21時。朝まで寝れたら良かった、何しようと思っていたらマレーシアチームがイデルの家で飲んでいるからおいでよとのことで、家にお邪魔する。結局2時過ぎまで遊ぶ。マレーシアチームは芸能人なので、遊び方が都会的。演出家のジョーが一人でずっとドラムを叩き続けて、友人一人がその前でずっと聞いていたのが久々にめちゃくちゃ笑った。行ってよかった。
あとマレーシアから来ていた観客に、日本でやってからのインドネシアで今回どうだった?と聞かれれたことで「自分はシャイだし、嘘をつくのが苦手なのでフレッシュな感じでやりにくい再演は苦手で、でも2年前と同じ作品をやることで自分がどう変わったか知れたからそれは良かった。」と答えていて、自分でなるほどと思った。
ギリギリのタイミングで入国して、ギリギリで公演ができて良かった。でも観客、関係者にコロナの患者がいたかいないかはわからない。全員の体温チェックと消毒はしていたけれどインタラクティブな環境だったから、もしいたら広がるだろう。ただこの作品をインドネシアでやれたことは、今後のインドネシア文化にとって良かったと思う。
16(月)
8時に起床して、ホテルのビュッフェ。思っていたよりたくさんのインドネシアスタッフがホテルに残っていたので、あまり話せなかったスタッフと話す。いつもご飯の配膳をしてくれていたNiaが凧の作家だと知って、facebookで友達になった。プロデューサーのサリさんも凧のフェスティバルをやっているとのことで、次からにインドネシアに来る時は凧のフェスティバル時期に来たいなと思う。
その後数人で買い物に出かけて、目的の腰巻を買ってホテルに帰宅。外出自粛要請で観光地は閉鎖されて、お店も休みが多かった。
空港に出発の5時間前に着き、待機。ライターを貸してあげたら、メルシーと言われてフランス人かー、と前世はフランス人だと思っている俺は嬉しさを感じると同時にフランスってコロナどうなんだっけ?と思って、ライターにコロナ菌がついてたら、、と少し思う。俺はコロナに掛かってもしょうがないと思っていて、不自然なことをヒトがしてるからこういう状況になっていて自然淘汰を受け入れようと思っている。でも、自宅にいる病気で抵抗力の落ちた母親や姉、姪っ子に移したら良くないという不安はある。この矛盾した気持ちをどうしたらいいか、というかみんな自分のことより周りの人のことが心配でこんなパニックになっているんだなと思った。大麻解禁以外に社会のスピードを落とす具体的な方法が思いつかず、コロナをきっかけに皆が本当の幸いとは何かを考え直すチャンスと思っていたけれど、自分は博愛のつもりが利己主義だったのかもしれないと思う。
残ったお金で、家族にお土産を買おうと思ったが空港内で買えるものが全然なくて結局チョコを買っただけだった。掛川で生活を初めてから、タバコと実用品の道具くらいしか買っていなかったから物を買うのが苦手になっているのかなとも思った。
インドネシアで2週間過ごして、コロナの影響もあってホテルと劇場の往復ばかりだったけれど、みんな(特に男)がのんびり過ごしていることが印象的だった。インドネシアの通訳さんが「この国は冬がないから、みんながアリとキリギリスのキリギリスで、備えをしなくてもそのまま幸せに暮らしましたって感じ」と言っていたことが一番腑におちた。だから日本ではこの穏やかさで暮らしていくことは難しいのかもしれない。けど、近づきたい。空港でセグウェイでスマホでながら運転してたり、ふざけあったり、営業中の店内の床に座ってご飯食べてたり、別にそれでいいじゃんって思うし、そのゆるさを持っていきたい。
21:45ジャカルタ発。
17(火)
5:50羽田着。
9:00掛川着。
荷解きをして、姪っ子と一緒に梅ちゃんにフダンソウをあげて、水浴びをさせる。
昼食後、畑へ行き、草刈り。何人かが声を掛けてきたり、畑に雑談をしに来たりした。
夕食後、すぐ眠る。
18(水)
朝食後、ダクトの仕事で御殿場へ。
車での移動時間が長いので、もしインドネシアでコロナに感染していたらと思いマスクを付けて過ごす。帰国時にサクッと検査できたらいいんだけど、やはり不特定多数に会っていたので不安はある。
19(木)
朝から御殿場の現場へ行き、昨日の続き。
営業ということで昼食は業者の人と一緒に食べる。一切会話が弾まない。しんどかった。自分はすぐ人と打ち解けられると思っていたけれど、何で話す気にならなかったんだろう。共通して興味を持てる話題が見つけられなそうだったのと、ヘルプ(俺のこと)なんて頼んでる場合じゃないだろと、その業者が言っているのを仕事中聞いて真意がわからずわだかまりがあったから。
順調に終わって17時過ぎに帰宅。
帰宅後、明日まく種の整理をして、彼女と電話をして就寝。
20(金)
朝起きて、梅ちゃんの小屋掃除。姪っ子と一緒にフダンソウを梅ちゃんにあげる。
その後、姪っ子と一緒に育苗用に野菜の種をポットに撒く。
自宅前の畑にカブやオクラの種を撒く。
昼食後、ヤマパラへ行き、暗くなるまで種を撒きまくる。自然農法で、無農薬無肥料でうまく回すために、コンパニオンプランツのことや何科をどこに何をどう植えるかが大切っぽい。計画不足が否めなかったけれど、2年前に初めて友人宅で自然農に出会って試していた時よりは本に頼らず自分で考えられる様になっていることに気付く。
夕食を食べてから、種の片付け。
21(土)
朝食後畑へ。
柑橘類に肥料を与える。
帰宅後、お彼岸で父のお墓へ。
帰宅後、チェーンソーを借りるのと蜂の待ち箱の回収の為親戚のSおじさんを訪ねる。お茶の消毒をしていた。蜜蜂の待ち箱にはゴキブリ2匹。
その後ホームセンターで畑のベンチ用の木材購入。親戚の宴会場にバイト代をもらいに行ったが葬儀の仕出しで不在。
山に行き、蜜蜂の待ち箱を二つ回収。ここにもゴキブリとアリがいた。ゴキブリは街にいるものと思っていたけれど山にもいるんだなあと思った。
帰りに猟師さんの家にお酒を持って挨拶にいく。お礼にハッサクを頂く。
種苗店に行き、緑肥用のヘアリーベッチの種を買う。緑でふわふわでかわいくなるから撒くのが楽しみ。
昼食。
その後、木材をやすってニス塗り。乾くまで花の種を撒いていたら、一緒に仕事をしている友人N仁が家族で遊びにきた。コストコの帰りらしい。子供3人は畑に興味津々で、すぐ何のためらいもなく「パラダイス」と呼び出して嬉しかった。レタスと大根を収穫して遊んで、お礼にコストコで買ってきたチョコをもらった。
その後ニスの2度塗りと花の種を撒く。
夕食。
22(日)
友人N仁の仕事でダクト工事。クリーニング工場のダクト交換と掃除。
洗濯で使った汚水のプラントがあり、社会の資料集でしか見たことがなかったので、水がきれいになる工程が見れて面白かった。最後のところには金魚が居て、生きてるうちは水もOKっていうチェックのためかなあと思った。
時々一緒に働いているヘルプの人が昨日行った種苗店と同級生で友達だから名前出してくれたらサービスしてくれると思うよと教えてもらって、地元の強さを感じる。
夕方に帰宅後、畑に緑肥の種を撒くために草刈り。
23(月)
起床して、朝飯前に草刈り。三時間ほどやり集中力が切れたところで朝食。
朝食後続き。
草刈りを終えてヘアリーベッチの種を撒く。これは豆科の植物でふさふさして可愛いから生えるのが楽しみ。
その後、母と二つの祖父母と犬のお墓参り、親戚の家にバイト代をもらいに行き、粗大ゴミを出しに行って帰宅。
帰宅後、畑の丸太をチェーンソーで切る。前より上手くなっていて嬉しかった。
丸太で椅子とテーブルと看板置きとベンチを作る。あとはヤスリをかけてニスを塗れば畑の公園としての環境面は整う。
夕食後、分蜂が始まっていることを知り、慌てて照明をたいて待ち箱の準備をする。危うく今年も時期を逃すところだった。
24(火)
日の出前に起きて、山に待ち箱の設置へ。
お茶畑の霜防止用扇風機が回っているところを初めてみた。
8時の仕事前に4カ所仕掛ける。何とか間に合った。あと一カ所は親戚の Sおじさんの家にと思っていたが、先日お茶に農薬を撒いているのを見て、立地は良いが蜜蜂こないかもと思い迷う。
仕事で名古屋へ。コインランドリーのダクト撤去とか色々やって、
思ったより早く帰ってこれたので、チェーンソーを返しがてら、最後一つの待ち箱を親戚のSおじさんの茶畑に設置。あとは待つだけ。楽しみ。
帰宅後、友人Kちゃんとお茶。ドルを買ったり、原油の先物やったり、実際のないマネーゲームを始めたという話を聞いて、寂しい気持ちになった。一番地元で会話を重ねてきた友人だったので、そこは相容れないなあと思った。何とも言えない気持ち。
25(水)
朝食後、姪っ子とフダンソウを梅ちゃん用にとって、ついでに土に埋めていた鹿の頭を掘り出して洗う。ツノを掴んでハンドルみたいと遊んでいた。
梅ちゃんにフダンソウをあげて、しんでしまったインコのキイチとかんちゃんの話をしたら、姪っ子がインコの人形を持って、あー疲れちゃった、さようならと死ぬところを何度も再現してくれた。今に戻ろうとしたら、ケンカ中で会話をしていなかった母と姉が話し合っていたので、姪っ子を連れ楽園へ。姪っ子のコーヒー屋さんごっこのお客さん役をやりながら水やり。姉が迎えにきて、一番上の姉の家に遊びに行くということだったので、レタスと白菜を持たせる。
その後、楽園の丸太をヤスリ掛けして、ニスを塗る。
自宅からドラムコードや延長コードを使って何とか電源が引ける距離の畑、よかった。
畑から収穫物以外を持ち出さず持ち込まないという想いでやっているから、椅子にした栗の木の丸太にニスを塗るかどうかだいぶ迷う。ニスを塗ったら朽ちにくくなるけど、借りている畑で朽ちにくくしていいのだろうかと迷うが、すごく薄めて塗ることにした。結果塗ってよかった。
その後、ベンチの調節や、明日種を撒く場所の準備、鹿や猪の頭も飾る。
慣行農法をしている自宅前の畑がカチカチになっているので、自然農法に寄せるべく緑肥を植え付けられる様に準備する。近所の子が手伝いたいと言ってきたのでがっつり手伝わせる。楽園の方は開かれているけれど、自宅前の畑は閉じてやっているから、そこに人が来ることに違和感があった。1時間近く文句も言わず(地味な作業だとは何度も言っていたけれど)、小学3年生で偉いなあと思う。
せっかくだからその子に楽園の一部で何か育てさせようと思い、一緒に草を刈り種を撒く準備をしていたら17時になったので帰宅させた。
途中、話していたら、会ったことのない9歳で病気で死んだお兄ちゃんがいたらしい。
姉がお土産に、ポポーの挿木用の枝、里芋の種芋、食べる用の里芋を持ち帰ってきてくれたので、ポポーの枝をポットに植え付ける。
その後日暮れまで前の畑に種を植え付ける準備をして夕食。
夕食後、小池知事の会見を見て、東京にいたら気が滅入ったかもなあ、一足先に離れて、畑仕事に精を出せてて良かったと思った。でも4月に沖縄旅行に行こうと思ってるけど、世の中の空気的には難しくなってきたなあと思う。東京なら人の出入りが激しいから目立たないけれど、静岡から出入りしてると目立つ。そしてインドネシアから帰国後2週間、あまり派手に動かず、家でもマスクをしてるのとか、面倒臭いから出るべきじゃないのかなあとも思っている。
26(木)
朝から、庭と家の前の畑に緑肥の種を撒く。土が丸裸で、化学肥料を使っているから微生物も少なくめちゃくちゃ固くなっている。ミミズは1匹しか会わなかった。蘇らせたい。
昼前に、楽園に溜まっていた伐採木を小関建設に持込、50KGで千円。10円で軽トラ一杯にチップをもらう。これが需要と供給。今の資本主義のバランス。
重機で積んでくれたおじさんに何に使うのか聞かれて、畑に撒くと伝えたら、お茶畑やってる人や堆肥作ってる人がもらいに来ると聞く。コンパネを持ってきたらもっとたくさん積めるから持っておいでと言われる。すごく好感がもてるおじさんだった。単純な肉体労働者の朝から夕方まで働いて飲んで寝る、みたいな健全さを感じた。
帰宅して、畑にヘアリーベッチの種を撒き、その上からもらってきたチップを掛けて踏んで鎮圧。
姪っ子が畑に来て、一緒にハンモックでのんびりしていたら姉が来てネギの収穫を始めたので、自生しているネギっぽいやつを味見しつつ、わかりやすい様にネギをひと所に植え替える。
午後、畑に同い年の人がお茶をしに来る約束だったが全然こない。
ネットで頼んでおいた、レモングラス、ホワイトセージ、サルナシ、ニリンソウを植え付ける。
ミラクルフルーツは以前枯らしたので、鉢植えで大切に育てる。
柚子の剪定をして日暮れ。
19時頃に畑に来るとM野さんからLINE、「待ってます」って来て、「、、日が暮れてからじゃ案内できないなあ、家の隣だから待たずに連絡くれたらすぐ行くけど」と連絡するが、人の紹介で知り合ったので変な人だなあと不安になる。
家に帰ってシャワーをさっと浴びて、LINEで、「着いた」と連絡があったので畑へ。お茶畑を携帯のライトで照らして見ていてちょっと怖かった。畑を少し案内するものの暗いからお茶かご飯に行こうと誘って、定食屋へ。ご飯を食べて話をしていたが、テレビやキッチンの音がうるさいのと、その人の声がこちらまで届かず、場所を変えようとお気に入りの喫茶店ジュアンへ行くが不定休の休みと当たってしまう。隣のセブンイレブンで立ち話。やはり変わっている。同い年で中学も知っていたので知り合いの名前を何人か出すが話したことないからとあまり記憶にないそう。たぶん学生時代はいじめられていたんだろうなあと勝手に思う。なかなか話が転がらず疲れたが、悪い人ではない。が、無理に会うこともないなと思って小一時間話して帰る。
27(金)
起きて梅ちゃんの小屋掃除。
今日は雨予報なので、小雨のうちに楽園に行き、芽出しをしてもなかなか芽が出なかった紫のじゃがいもを植え付ける。
刃の欠けた農機具やナイフをグラインダーで削り、砥石でとぐ。
道具箱の整理。
ともかく、畑仕事以外はあまりやれていなかったので、それ以外のことを色々やる。
昼食後昼寝。
車が空いたので、買い物や罠免許の住所変更をしたりする。ホームセンター以外の大型店舗が苦手になっている。
最後に種苗店でウコンと生姜の種芋を買う。
家を離れている間に昨日会ったMさんから電話があり、家にいるかと聞かれたが1時間は帰らないけど何ですかと聞いたらキャベツを持ってきたから置いておくということだった。少し邪険に扱って悪かったなあと思う。単純だ。でも会話がなかなか成り立たないのはしんどい。勝手な想像だけれど、幼少期思春期をどう過ごすかっていうのは人格形成にすごく影響があると感じる。
28(土)
朝食後、楽園へ。
特にやることはないけれど様子を見に行く。昨日降った雨でどのくらい池に水が貯まるかわかった。
なんとなくうろうろして、結局姪っ子と凧あげを家の前でする。
その後畑の草刈り、草マルチ。
自然農法の本を読書。
昼食。
うろうろ。
姪っ子の子守で公園に行く。畑の前を通りかかるとお隣の畑のM浦さんが居て少し話をする。公園につき初のママ友感に戸惑う。子供と遊ぶのはいいが、そこに親の視点が入ることが苦手だ。学童保育のプレイングパートナーをやっていた時も思えば親の視点はなかった。子供を他の子供の遊びにどう入れてあげるかが分からなくて、姪っ子もすぐ飽きて、凧も風がなく上がらずすぐ帰る。
家の階段で姪っ子が歌の発表会をしてくれるというのでお客さん役をやるが、前置きと準備と横道が多くてなかなか始まらず、飽きた頃に踊り出してダンス公演が始まって、子供の思考の転がり方が面白かった。
自分が楽園に行きたくなったので誘って行く。
コーヒー屋さんごっこに興味が持てなかったので、クリスマスごっこになり、まず畑に生えている色んな花を摘んで、紫陽花の木に飾ってツリーにする。そのあと毎日クリスマスだという設定だったので、靴下を栗の木にセットしてハンモックで寝て起きるとプレゼントが届くという遊びをする。姪っ子が花をこっそり積んで靴下に入れてくれて、自分は寝て起きるだけで楽だった。
交代して、靴下にたくさん入らないからと長靴に入れたらそれが気に食わなかったらしく、終わりにして帰宅。
昼寝。
夕食を食べて、テレビを見てだらだら。
彼女と電話。資格取得で衛生管理責任者を取るということをとてもいいねと言って、カラーコーディネーターとかアロマじゃなくてよかったと伝えたら、後々それも取ろうと思っててバカにされて嫌だったと連絡がくる。運転免許の様に実際業務に必要な資格か、持ってないよりは持っていた方が信頼されるみたいな肩書き的な資格かの違いで、肩書きなのはなんかくだらないと思ってしまう。
29(日)
朝から大雨。
本を読んだりだらだら。
昼食後、雨が止み、畑を見に行ったりだらだら。
14:30〜17:00まで、掛川で活動をしているエコロジーライフ研究会の講演会へ行く。掛川で有機野菜を栽培販売しているしあわせ野菜畑のO角さんが講演。
掛川は、種の袋に書いてある温暖地一般地の境目あたりだからどちらか尋ねたら、温暖地ということを聞けてよかった。さらに栽培適期は春は早め、秋は遅めということがわかってよかった。あとO角さんも僕が最近お気に入りの大石種苗店に苗は頼んでいるし、あそこで聞けば何月何日って的確に教えてくれるよと聞いた。
本当に行ってよかった。
コロナ対策で閉め切らずにやっていた為体が冷え切り、帰宅後暖かいところにいたら寝てしまい、21時に起きた。
起きて、ポン酢の移し替え。まだ一升瓶一本分あった。
30(月)
7:30〜16:00まで、久々に魚金でバイト。
終わってから、山に近いので、蜂が来ていないか、巣箱のチェックに行くが反応なし。
帰りにホームセンターに寄って、梅ちゃんのご飯を買って帰宅。
テレビで、舞台関係者がコロナでの公演自粛に対する税金導入をって会見をニュースで見て、そこにいる人たちがダサくて、知らない人で、イメージ悪くなるからやめてくれって思った。
夜、快快メンバーとオンラインだべり。そのために昼寝もして準備。センスを信頼しているメンツとのだべりは齟齬がなく楽しい。結局4時間。
31(火)
朝、幼なじみの議員Yくんが畑に遊びに来る。特に手伝いしてもらうことは無かったから、一緒にゆっくり一服して世間話をする。
その後、うちの雨樋が壊れていたのを、お隣に来ていた同じ町内の業者のKさんに材料をもらって、屋根に登ってY君に手伝ってもらって一緒に直す。野菜で2人にお返ししないと。
その後親戚の魚金の仕出しの手伝い。2時間くらいで終える。親戚が山が荒れてるけど畑にして好きにしていいよと言ってくれた。帰宅。昼寝。
夜、友人Kちゃんとお気に入りの喫茶店へ。そこで話をしていて、山崎パラダイスもひと段落ついたから、次は親戚の山を『山崎山』に開墾することを思いついてかなりモチベーションが上がる。皆でバーベキューをしたり、山の幸が取れて、養蜂ができて、キャンプなどイベントができる感じにする。