幼稚園から嫌いだった集団生活

母は専業主婦だったので、3歳から幼稚園に通ったのだけど、本当に幼稚園が嫌いだった。
母と楽しくお家で遊んでたのに、なぜ知らん人たちと共同でやりたくもない事をしなければならない?という感覚だったと思います。

お歌を歌ったり、かけっこしたり、本当に嫌でした。子どもがみんな子どもらしい事が好きって発想がナンセンスですよね…

年中さんのとき両親が離婚して、母の実家地方へ移り住み保育園へいくことになったのだけど、こちらはもっと嫌いでした。

なかなかの田舎で民度の低い子どもたちと長時間過ごす苦痛。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。もうこればっかりだった。
 出来るだけ目立たないようにして、時間が過ぎるのを待つ。人と違った事はしないように息を潜めるような幼少期を過ごした私なのである。

ジメジメしたまま小学校へ入学。
こちらも集団生活になじめず、自分の言いたいことも言えないまま6年間を過ごした。
 同級生の心ない言葉に傷ついたり、先生からのパワハラに耐えなければいけなかった。当時、学校の先生はハラスメント三昧だった。
 今だったらニュースになるような事もたくさんあったよな…
かと言って学校を休む勇気もなく、なんとなく行ったけど勉強もスポーツが得意なわけでもなく、地味に卒業した。

中学校はメンバー一同、小学校からのスライドだったため、なんの変化もなく…部活動というのが始まり、なんとなくバレー部に入るも先輩からのいじめにあった。
暴力ではなく、先輩が2人1組でペアを選ぶという練習で毎日わたしだけ選ばれない…
1人壁打ちなんかして過ごした。

今だったら速攻で部活を辞めてただろう。けど弱々な私は辞める勇気がなかったのだ。
かと言って、当時練習に精を出すなんてこともしなかった。
ただ、同級生たちとは仲がよかったからなんとか続けた。

中学生になるとませガキが発生した。
クラス、学年のヒエラルキーが顕著になる。
今になればありえない話しだけど、わたしのクラスでは知的障害(ASDやADHD)のやつがトップに君臨していた。下品で最低なやつが授業をぶち壊し、クラスもめちゃめちゃだった。
 それをスルーできるスキルもなかった私はひたすら目立たないように、自分に攻撃が向かないように注意していた。ここでも身を潜めて時間を過ごしていた。

高校生になり、立派な陰キャJKになった。
クラスはほぼ女子という環境はよかった。男子が嫌いだったから。しかし、さらに田舎ものたちが集まり訛りと民度の低さに困惑した。

言いたいことも言えない、勉強もスポーツも出来ない、何をしたいかもわからないまま高校生になってしまった私は漠然とファッションへの興味を持ち、音楽を聴くようになった。それがハイスタンダードだった。

田舎からはるばる原宿や下北沢、高円寺へと足を運び、知ってる人がいない事がこんなに心を穏やかにしてくれるんだ。って事を感じた。

高校生活は東京へ遊びに行くためにバイト三昧でおわった。進学先も就職先も決めないまま卒業した。

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