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初期設定の愛 10.逃亡

 2年の夏休み。
先輩が引退し、いよいよ新チームだ。
バッテリー練習日とは、ピッチャーとキャッチャーだけの投球練習日だ。
他の部員はお休み。このお陰でほぼ夏休みは毎日部活だ。
僕はなぜかキャッチャーになったのだ。まあ、補欠だが。
 
バッテリー練習日は特別に自転車登校が許可されていた。
練習終わりにピッチャーのO君に誘われた。
自転車でO君とフラフラツーリング、特に目的地はない。
そこらへんを適当に飽きるまでツーリングするだけだ。
 
部活終わりの女神とKちゃんだ、Sさんもいた。Sさんは女神の幼馴染だ。その井戸端会議に遭遇、まっすぐ帰るのが名残惜しいのだろう。女子にありがちなやつだ。
その距離20mか、そのままO君はその集団方向へ躊躇なく直進している。
そもそも、暇つぶしのツーリングなのだ、O君にとっては大好物の獲物だ。
彼女たちとは同じ小学校出身で、旧知の仲だろう。
 
O君がお尻を上げて、スピードを加速する。
私は徐々に減速。その距離10m、もう限界だ。
O君は横断歩道を直進し、あー、もう合流している。
何か話し始めている。
いまだ、音もたてづに急速Uターンして、全速力で逆方向へ。
 

しばらくしてから、O君が慌てて追ってきた。
「お前なんで逃げるんだ!Kちゃんが、お茶でもどうぞ、だってぞ!」
かなり怒ってる。
だが、その質問に対する明確な答えはない。
”O君すまん。うまく説明ができないんだ。” (心の声)
 
 
彼女が視界にはいらないように気をつける。
自分の心の平穏を守るためだ。
このころ、彼女を見ると、心臓がきゅっと縮こまる、足がすくむ、なぜだかよくわからないが、そんな不思議な症状が現れはじめていた。

このころは、彼女への不可思議な感情の理由などをあまり考え込むこともなかった。もう考えることを止めていた。
考えてもしょうがないこともある、そんな境地だ。
 
ただ無心に逃げること、これに一点集中した。
自分の感情を守りたかった。
いろいろ忙しいんだ、俺だって。
彼女へ真剣に向き合うと正気を失う。
そう感じていた。
今はごめん、逃げさせてくれ、見逃してくれ、そんな思いだった。
 

秋になり、従兄の”かずくん”が教育実習でやってくることになった。この中学の卒業生だ、当時、千葉の大学の建築学科の大学生だ。
 
1週間だけみたいだ。前の週にわざわざ電話をもらった。
「コージ, 来週からよろしくな。」「うん、わかった。何組なの。」「いや、まだ分からない。」そんな会話をした。
”かずくん”は、ずっと自分を気にかけてくれている。「コージ、コージ」会うたびに、笑顔で声をかけてくれる。”かずくん”のお母さんは私の母のお姉さんだ。”かずくん”が大学生になってからは会ってなかった。千葉にいたからだ。
”かずくん”にすごく会いたかった。
”かずくん”を自分の従兄だと、みんなに自慢したかった。なかなかの美男子なのだ。
 
月曜日、どうもかずくんは女神のクラスに配属のようだ、まさかの展開だ。
“まずい、最悪だ。”

火曜日、気になるが、しょうがないよと言い聞かす。

水曜日、掃除の時間、今なら、人影に紛れて挨拶できる。
意を決して、勇気を胸に、階段を上る。
そして左折、めざすは突き当り、一番奥だ、突き当り角の教室、ここはやや広めにできている。廊下の面積分が教室の一部になっている。
 
こんなに遠いのか。とても遠く感じた。
教室をのぞくと、ちょうど、”かずくん”と佐伯さんが2人でオルガンをもち上げている。オルガン下の吐き掃除のためのようだ。
まさかの展開だ。しょうがない。大丈夫、きっとうまくいく、そう言い聞かせた。勇気をふり絞り、1歩2歩3歩と近づく。
そしてUターンした。やはりだめだ。
Uターン後は良く覚えていない。階段付近で我にかえったが、そこから再トライする気力はなかった。
ごめんよ、”かずくん”。心の中でそうつぶやいた。
結局従兄には挨拶できずじまい。
とても怖い、従兄に声をかけると女神が振りむく、それがとても怖い。
相変わらず、理由はよくわからない。
 
その時、女神とは久しぶりの接近遭遇5mくらいか、まあまあ良い記録だ。
かわいかった。だんだんかわいくなっている。顔は能面のように笑顔はなかったが、それでもいいのだ。すこし、ほっこりした気分もある。
愛おしい。怖かった。
 
ところで、この”かずくん”だが、教師にはならず、地元の役所に就職した。
女神から逃げたこの日以来、この”かずくん”とは会っていない。なぜだろう。時々考えてみる。
”かずくん” に会うと、きっとこの日の女神を思い出す?
そうなのかもしれない。これは仮説だが、たぶん正解だ。

11.最後の文化祭 へつづく
 


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KOJI
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