初期設定の愛 13.兄
そういえば、最近見かけないのが、2歳上の兄だ。
家族会議にも不参加だった。
もともとは、この兄からの1本の電話がきっかけだった。
「おい、コージ、そろそろ帰ってこい。会社はお前がやるべきだ。」
私は当時、地元から離れ、他県でサラリーマンをしていた。
この兄は米国帰り。父の会社の後継含みで、父の元で仕事をしていたはずだ。そう思い込んでいた。
何があったのか、親子喧嘩かな? くらいの認識だった。
まー、しばらく手伝うか、くらいの感じで、勤め先を退職した。
兄の電話から、ひと月半後、父の会社へ正社員として入社したのだ。
その兄は、私への後継指名の時点ですでに、隣町の電気機器メーカーへ転職を果たしていた。
その早業には私も気が付かないほどだった。
半年ほど、被っていたが、ほぼ、入れ替わりの形だ。
そういえば、彼が、会社から消える少し前の営業会議。
といっても、父、兄、私の3人なのだが、その席で彼が泣いたのだ。
兄の涙を見たのは確か、兄弟喧嘩の後、父に怒られた兄の悔し涙。
小学4年生くらいだったか、私が2年生のころだ。たぶんそれ以来だ。
喧嘩両成敗、我が家には適用されていなかったルールだ。
兄弟喧嘩の後は、常に兄が怒られてた。
母が、兄と私に一本づつ、果物ナイフを持たせて、「さー、殺し合え~」 と号泣しながら、絶叫したことがある。
それほど、凄惨な兄弟げんかだ。
自分は一度も怒られた記憶がない、ただの一度もない。
兄のうっぷんは、当然弟の私に向かう。
両親のいないところでは、しょっちゅういじめられた。
暴力はあまりなかったが、言葉の暴力だ、「お前はあっちいけ、こっち来るな。」 まあ、避けられていたのだ。
そんな兄に、生まれてはじめて助けを求められたのだ。
兄からの「召集令状」。そんな気分だったのだ。うれしかった。
埼玉まで営業へ行って、契約をとれなかった。そんな発表の後に、その兄が泣いた。そんなことで泣く必要ない。彼なりの惜別の涙だったのか。悔し涙か。
父と兄の間で、どうも何か密約があったんだと思う。
兄は米国でMBAを取得している。
私から見たら、我が家のスーパーエリートだ。
財務諸表も読めるだろう。後継者候補筆頭だったはずだ、というより、もう継いでいたはずだが。
背後の事情がだんだん見えてきた。
14.女神の前髪 へつづく