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ペトラ遺跡のスタバで、ベドウィンのぶっちゃけ話を聞いてきた

ヨルダンの世界遺産ペトラ遺跡を歩いていた僕は、思わず足を止めた。

ス、ス、スターバックス???

まさか。2000年前の古代遺跡の敷地内に、スタバがあるはずがない。

見間違えか。最近は視力がどんどん落ちてきている。28年間裸眼で生きてきたが、そろそろコンタクトを検討する必要がありそうだ。

念のため、看板を近くで見る。

「STARBUCKS」

STARBUCKS。スターバックス。スタバじゃん!!!!!

見間違えではなかった。ペトラ遺跡に、スタバがある!!

これは行かなければ。僕は大のスタバ好きで知られている。大学時代は、中目黒駅前にある蔦屋書店内のスターバックスでアルバイト。2021年の夏は、青春18切符を片手に47都道府県のフラペチーノを巡る旅に出た。

昨年の友人の結婚式では、引き出物がスタバカードだったことに大興奮。式終わりには友人に「結婚おめでとう」ではなく「スタバカードありがとう」と伝え、周囲から失笑を買っていた(深く反省している)。

つまり何が言いたいかというと、スタバは僕の青春なのだ。スターバックスには、僕の青春が詰まっている。

だから絶対に行かなければならない。ペトラ遺跡のご当地スタバとなれば、なおさらだ。

しかし、時刻は午前7時。まだ営業していないようだ。

スタバには帰りに寄ることにして、ひとまず遺跡内を進む。

ペトラは古代アラブ系遊牧民ナバタイ人の隊商都市遺跡。映画『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』の舞台としても知られる。巨大な岩をくり抜いて造られた墓エル・ハズネをはじめ、ローマ劇場や大神殿などの建造物はどれも迫力満点で見応えがあった。

ただ、遺跡を観光している間、僕の頭の中はスタバでいっぱいだった。ペトラ遺跡のスタバでフラペチーノを飲みたい。

広大な遺跡を巡った後の帰り際、スタバに立ち寄ってみた。洞窟の中が見える。どうやらオープンしているようだ。

「ウェルカム!」と出迎えてくれたのは「スターバックス・ペトラ遺跡店」のオーナー・ハールーンさん。彼はアラブの遊牧民族ベドウィンだ。

まずはフラペチーノを注文。といきたいところだが、フラペチーノはないという。スタバなのに、フラペチーノがないなんて!!

メニューはコーヒー、紅茶、コーラなどのソフトドリンク。カプチーノもキャラメルマキアートもない。ということで、紅茶をいただくことに。

スターバックス・ペトラ遺跡店。スタバの要素はほぼないが(笑)、なんとWi-Fiが使えた。すごい!

なぜスターバックスという名前でカフェをやっているのか、ハールーンに聞いてみた。

「スターバックスという有名なカフェがあると聞いたから、スターバックスと名乗ろうと決めたんだ。すぐに看板も作って用意した。アイデアを思いついたら、すぐ行動に移すタイプなんだ。このカフェは政府にとってもいいはず。スターバックスと名乗ることで、お客さんがいっぱい来るでしょ。ペトラ遺跡を盛り上げることは、国にとってもいいことだから」

なるほど。

「スターバックスに行ったことはあるの?」
「ないね。どんなところなのかはよく知らない」

ここまでくると、もはや潔い。

看板とWi-Fi以外は、スタバの要素はない。店内はお客さんにとってのサードプレイスではなく、ハールーンのファーストプレイス。彼は、ここで寝泊まりしているという。

「営業時間は?」
「僕が起きた時間が営業開始時間だよ、アハハ。疲れたら、営業終了」

うらやましい。僕もそんなふうに仕事をやってみたい。

お茶目でノリのいいハールーンだが、急に表情が真面目に変わる。

「観光客のみんなに、ベドウィンのありのままの暮らしを知ってほしいんだ」

ここはハールーンが寝泊まりしている場所なだけあって、ベドウィンの暮らしが再現されていた。

なぜハールーンは、このようなことを言ったのか。たしかに、僕たち観光客は短い旅行期間で、ごくわずかな表面的な部分しか見ることができない。それでいて「ヨルダンは〇〇だった」「ベドウィンはこんな人たちだった」とあたかも知った気になってしまうふしがある。気を付けなければ。

だが、原因は観光客だけではない。ハールーンは言う。

「ここにいる多くのベドウィンたちは、お金儲けのことしか考えていない。遺跡内はチケットを持っていたら自由に歩けるはずなのに『ここ入るのに、いくら』とお金を要求してる。あれはよくない」

ペトラ遺跡最大の見どころであるエル・ハズネ前では、僕もベドウィンたちから勧誘を受けた。「ラクダに乗れ」「これ買え」とかなりしつこい。それは観光地ではよくある話だとしても、エル・ハズネを眺める丘を登るのにお金を要求されるのは、違和感があった。

ペトラ遺跡の入場チケットは、1日券が50ヨルダンディナール。日本円にして、約1万500円だ。これだけ高い入場料を払っているにもかかわらず、敷地内で別料金を請求されるのはおかしい。しかも入場ゲートや公式のアナウンスがあるわけでもなく、絶景をみられる丘を登ろうとすると、ベドウィンたちが通せんぼしてきて「登りたいならお金を払って」と言ってくるのだ。

これはもはや公式の入場料ではなく、彼らの小遣い稼ぎと言っていい。ベドウィンたちに対して、正直僕も嫌悪感を抱いた。

一方で、ハールーンの話を聞いていると、単純にベドウィンたちだけの問題ではないことが分かってくる。

「1984年から、僕らの暮らしは変わってしまったんだ」

彼の話の中で、何度も何度も「1984年」というキーワードが出てきた。1984年にいったい何があったのか。

ペトラ遺跡が世界遺産に登録されたのが1985年。つまり、1984年は世界遺産登録の前年にあたる。

そもそもペトラはナバテア王国の首都だった町。アラビア、エジプト、フェニキアなど交通の要衝として栄え、古くからベドウィンたちが暮らしてきた。

世界遺産の概念が誕生するよりもずっと前から、古代遺跡としての価値が発見されるよりもずっとずっと前から、ここは、人々の生活する普通の町だったのだ。

ところが1984年、ペトラで暮らしていたベドウィンたちの生活は一変する。ペトラ遺跡の世界遺産登録を目指し、ヨルダン政府が、遺跡内に住むベドウィンたちを遺跡外の新たに建設した村へ移住するよう促したのだ。

学校や病院の近くに住めることや、現代的な生活を歓迎するベドウィンたちもいたが、なかには伝統的な生活を続けることを望むベドウィンたちもいた。しかし、ペトラ遺跡を世界遺産に登録し、世界的な観光地にすることはヨルダンの国家プロジェクト。ヨルダン政府の強引な手法で、彼らの伝統的な暮らしは奪われた。

現在、多くのベドウィンたちは近隣の村で暮らしている。そこからペトラ遺跡に「出勤」し、ドリンクやお土産を売ったり、観光客をラクダやウマに乗せたりして生計を立てている。

もともとベドウィンは「遊牧民」だったが、現在は定住して現代的な暮らしをしているベドウィンがほとんど。そうなると、お金を稼ぐことも必要になってくるわけだ。

ペトラ遺跡の世界遺産登録・観光地化は、かつてペトラで暮らしていたベドウィンたちに2つの大きな変化をもたらした。一つは、彼らの伝統的な暮らしを奪ったこと。もう一つは現代的な生活と観光客からの収入の機会を与えたこと。

このような経緯もあり、ペトラ遺跡内では、ベドウィンが自由に商売できることになっているようなのだ。

ハールーンは質問に何でも答えてくれるので、最後に気になることを聞いてみた。

「観光地化によってベドウィンたちの暮らしは大きく変わってしまったと思うんだけど、観光客についてぶっちゃけどう思う?」

「観光客は、みんなウェルカムだよ。僕は、ペトラに来てくれるみんなのことをもてなしたいだけなんだ。ここに来て、僕と話して、ベドウィンの文化や歴史を感じてほしいね」

多くの旅人を魅了してきたヨルダンの古代遺跡・ペトラ。ここは、様々な人の立場の事情が複雑に絡み合う迷宮だった。

観光地化が必ずしも悪いわけではない。観光収入によってベドウィンたちの生活が潤っているのも事実だ。ベドウィンのなかにもいろんな考えの方々がいる。現代的な暮らしができて幸せだという人もいれば、遺跡内でこれまでどおり平和に暮らしたかったのに無理矢理追い出された人もいる。強引な売り込みやぼったくり商売をするベドウィンもいれば、ハールーンのように、観光客に対してもベドウィン特有の「おもてなし」文化をもって接する人もいる。

世界は正義と悪に二分されているわけではない。明確な正解と不正解が存在するわけではない。この世界の複雑性を心に留め、これからも旅を続けたい。

スターバックス・ペトラ遺跡店オーナーのハールーン(右)と筆者コージー(中央)、遺跡内を案内してくれたRYOさん(左)

※こちらのスタバにはペトラ在住のRYOさんに連れて行ってもらいました。RYOさんのご紹介がなければ、ハールーンさんともお話しできませんでした。RYOさん、本当にありがとうございます!!

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岡村幸治(コージー)
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