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やるべきことはやりません【#91何があってもマイペンライ!】

朝のゴミ拾いを始めて11日目。「ゴミ拾い行ってきます」と家を出るとき、同居しているおばあちゃんから「奇特な人ね」と言われた。

振り返るとさらに一言。

「やらなくていいことをして、やるべきことはやらない」

嫌味だろうか。僕はとっさに言い返す。

「楽しいことをやろうとしてるだけ。めんどくさいことはやらない」

ゴミ拾いをしながら、考えた。なぜ僕はゴミ拾いをしているのだろうか?

それはやっぱり楽しいからだろう。先ほどの言葉は考える間もなく反射的に口から出たのだが、あながち的外れではないように思える。

僕は楽しいことにしか興味がない。人生って楽しむためにあると思っているから。

ではなぜゴミ拾いが楽しいのか。最大の理由は、自分発の行動だということだ。誰からも頼まれていない。自分が勝手にゴミ拾いをやってみようと思い、行動に移した。自分の内なる衝動に従うことの快感よ。

そしてもう一つ。期間限定のプロジェクトである点が大きい。僕のやっているゴミ拾いは、ただのゴミ拾いではない。「毎朝10分のゴミ拾いを30日続けたら、どうなるのか?」というテーマのプロジェクトなのだ。つまり、実験であり、結末が決まっていない物語。筋書きのないドラマなのだ。楽しいに決まっている。

一方で、楽しさを感じられないことに対しては、驚くほど腰が重くなる。おばあちゃんが「やるべきこと」と言っていたのはおそらく自分の部屋の掃除のことだと思う。「街のゴミ拾いをするのはいいけど、その前に自分の部屋をきれいにしたら?」と言いたいのだろう。

気持ちは分かる。けれどそもそも僕は自分の部屋が汚いとは思っていない。仮に汚いとしても、部屋を掃除したいという内なる衝動が湧いてこない。

「やるべき」と言われても、やる気が起きないのだ。いや、逆か。「やるべき」と言われるから、やる気が起きないのだと思う。どうも、あまのじゃく日本代表です。

「やるべき」「みんなやっている」「普通はやるでしょ」。これらは三大禁句だ。この言葉を聞いた瞬間、僕はやらないことを決める。なぜなら楽しくないからだ。

やるべきことは、つまらない。みんなやっていることは、面白味がない。普通にやっては、自分がやる意味がない。

やらなくていいこと。誰もやっていないこと。意味が分からないこと。そんなことをバカみたいにやる人生にしたい。

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岡村幸治(コージー)
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