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2024年を終えて
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2017年4月のある日。茅ヶ崎市駅と辻堂駅の間にある僕の実家に住んでいた。
夜ご飯を食べ終えて一息ついた後、上着をウィンドブレーカー、下を短パンに着替え、玄関でランニングシューズを履く。愛犬のハナが、散歩に一緒に行くと勘違いをして、尻尾を振りながら近づいてくる、柴犬らしいクルンとなった尻尾がゆっくりと揺れている。もう老犬だから、尻尾の毛が薄くなって、昔は赤茶色かった毛の色も今は白柴くらいに白い。
玄関からは父の皮靴の匂い、土の匂い、雨を吸った傘の匂いがする。家の鍵だけポケットに入れ、外に出て、5キロくらい離れた海岸に向かって歩き始める。脛に当たる風が少し冷たく、まだ寒さを感じる。
家から出て左に曲がりゆっくりと走る。少しずつスピードを上げていく。国道1号線を超え、片側一車線の道をひたすら海の方向に向けて走りはじめる。
踏切を超えてすぐの左手に薬局があり、店内から眩い光が漏れ出している。中で何人かが買い物をしているのが見える。主婦や、おじいさん、雑誌を眺める人、白いレジ袋を掲げ、自動ドアをくぐり出てくる人、そこから漏れ出る店内BGMの軽快な音楽と女性の歌い声。少しスピードを上げて走り過ぎる。世の中を置いていくみたいに。
薬局を超えたあたりから道が少し狭くなり、道の明かりも少なくなる。
汗が噴き出るように、頭と顔、首と胸から流れ出る。やがて暗い道の先に、右端の建物と左端の建物の間にうっすらと、海の水平線と、その上にぽつんと浮かぶ烏帽子岩の影が闇の中からぼんやりと浮かんでくる。
そこからは真っ直ぐその影を見つめながら一直線に走る。
息が上がる。ここ数日間に感じた、やるせない思いや恥ずかしくて消えたくなったような瞬間、怒りなどが段々と脳から剥離されていく。汗と一緒に、後方に流れて消えていく。走っているうちに、自分の内が徐々に空いていく。体が内からだんだんと透明になっていく気がする。そこに地面や草の匂いが入ってくる。いくらでも走れるような感覚。不意に自分が少しだけにやけているのがわかる。
海岸手前の134号線の横断歩道を渡る。防風林の隙間にある海に通じる歩道を、息を整えながら歩く。
湿った木のベンチに座り手をつく。
暗い空と暗い海の境目を探すようにして見つめる。足を止めたことで、透明になっていた自分自身や頭の中の思いが戻ってくる。
左手に遠く江ノ島から届く灯台の灯りだけが微かに光を放つも、景色のほとんどが暗闇。
目を凝らして、自分を忘れて、その向こう側に何があるのかだけを考える。誰もいない。音もしない。生暖かい海風が汗に触れて涼しく心地よい。
南米コロンビアの首都ボゴタにNANAをオープンして今の人生にたどり着く7年前の話。
物心ついた時からずっとマイペースだった僕は、他人にあまり興味がなく、目の前の世界で夢を持つことや目標を掲げることを知らず、かといって周りと調子を合わせることもできず、独りでいるのが好きで、学校や職場での生活に多少の息苦しさを感じる日々。一人でぼーっと過ごす時間や、毎晩走って海まで行き、遠くて暗いあの景色を眺めて、景色の先を想像する時間だけが思い出としてちゃんと残っている。
大学を中退した後の南米一人旅を通じて、カラフルな国旗から連想されるような、優しくて自由なコロンビアの人々に感銘を受けて見える世界が変わった。
またいつかコロンビアに戻ることを強く夢見て、ちゃんと成長しようと誓って、Encounter Japanの門を叩いた。
苦しくて逃げた瞬間、諦めてしまった瞬間、逃げなかったタイミング、が人生にはある。思い出すいくつかのシーンをあげてみる。幼稚園では同級生と仲良くなれず教室にいるのが辛くて清掃のおばちゃんに着いて回りゴミ焼却だけ見てたこと。小中学生の時は先生の話を全く理解できずテストの答案用紙を提出せずに持って帰って内緒で捨ててたこと。大学の建築学科を中退した時。
メキシコに来てからGOENレオン店を頑張っても頑張っても人気店にできないままにケレタロの新店舗へ異動した時。新規事業の寿司ケータリングを実行できなかった時。甘ちゃんな性格だったので、挑戦の数が少ないぶん逃げた数も少なく、どちらかというと「底辺を歩むこと」の連続だった。
人生で1番辛かった「Encounter Japanコロンビア支社設立とレストランNANAの設立」。社内外の色んな人に心配され、揶揄され、挑戦を否定された。何よりも一番過酷だったのは、僕のことを応援してくれている人や、「Encounter Japanのコロンビア進出」を本気で信じてくれている人達までが疑いの目で見られ、そのせいで揶揄されたこと。
コロンビアを夢見始めてから7年、Encounter Japanに入社してから6年半。
会社の黎明期にインターン生としてスタートした僕は、会社の成長と共に、代表の西側さんはじめ先輩方の背中を見て、とんでもない業務量とプレッシャーに対して、何もできない自分とのギャップの中で過ごしてきた。
グアナファトのホステル&バーでの唐揚げ作り、皿洗い。朝のトイレ・ホステルの清掃。悲しくなるくらい拙いスペイン語での接客。GOENレオン店の開業、日本食小売の準備、マグロの解体ショー、ホテルでのコンサル業務、GOENケレタロ店の開業。一人の人間としての能力がとても低かった僕は、序盤の唐揚げ作りから既に躓いていて、罵倒の声を時に浴びながらもその時そこにいた同僚や先輩方に何度も助けてもらって、この数年間、「苦労」と「仲間と一緒に感じる幸福」の大忙しの日々を駆け抜けているという充実感があったし、人生の前半戦を巻き返すような成長ができていると日々感じていた。
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コロンビアは絶対に成功する。
ただ自信とは裏腹、日々の業務に加えてEncounter Japan Colombia支社代表取締役社長としてコロンビアへの進出準備をこなすのは、段違いにハードルが高くて、全く上手に進めることができなかった。コロンビアの財務・税務・労務を理解するのは勿論、目の前の第一課題はまず「ボゴタのレストランの開業と成功」。
レストランの場所選び始め、コンセプト、内装デザイン、内装工事、メニュー、食材業者の選定を全て自分が決定権を持って進めていくことは重かった。7年前からの夢、そして7年間一緒にいた会社の未来が、一つ一つの決定によって姿を変えてしまうかもしれない。プレッシャーに取り憑かれ、精神的にも体力的にも何度もバーンアウト。当時コロンビアの事業を奔走してくれたインターン生の陽駿の「僕も死ぬほど辛いです」「やったりましょう」の言葉に何度も意識が戻った。軽く言っているように聞こえたこともあったけど、その軽さがよかった。実際には軽くなんか無く、僕と同じくらい熱い気持ちでずっと奔走してくれた。
GOENケレタロ店で事務作業をしていると、レオン出張から帰ってきた代表の西側さんが、「社内で小川くんが代表で本当に大丈夫なのかって心配してる人多いけど、もう結果出すしかないんだから。俺は小川くんが絶対成功するってずっと信じてるから。絶対に成功して、俺が正しかったってことをみんなにちゃんと証明できるように。頑張って!俺も頑張る。」いつものギラギラとした熱さの中に、度重なるMTGを終えた後の若干の疲労の色とそしてその奥で悲しそうな色が垣間見えたような気がした。
僕の最も尊敬する人である西側さんは、どこか宇宙語を話しているような捉えきれないものがあって、尊敬と同じレベルで同じくらいに怖さも感じている。経営者として、経験も実績も圧倒的だし、どこまでも定量的で、かつしなやかに色んなことを同時にこなしている。でも、どこかで自身を遠くから俯瞰して、小説を書くかのように生きているようにも思える。そして僭越ながら自分もそんな、小説を書くようにして生きているところが似てるような気がして、だからこそより尊敬している。
きっと、社内メンバーとの会話の中で色々とコロンビアについて言われたんだろうな。
やるせない気持ちと情けなさで居た堪れなくなり、事務所で一人になった後に、仕事を中断して脇目も振らずに店の外に出た。涙が落ちそうなのを見つからないように、一旦外の空気を吸いに逃げだすしかなかった。
周りから伝わってくる心配や疑問だったり、自分へ向かったある種の嫉妬のような空気。今まで同じ業務をしていたシェフやコシネロたち始め同僚とも、実際に目の前の業務や課題として感じること、見ているものや課題への目の向けどころが少しずつ変わってきたことで空気のずれのようなものは直接肌で感じた。みんなの気持ちがちゃんとわかったからこそ、切なかった。
自分の行動が正しいのか自信がなくて、孤独で、毎日降ってくる守備範囲を超えた難題達にはもうヤられかけてた。もう辞めてもいいかなと自分に許可を出しかけて、西側さんのところに話に行こうかなと思ったときに最後の最後で吹っ切れて、
「Encounter Japan Colombia支社を大成功させて、代表の西側さんの言ってくれたことを絶対に正解にしないとダメだし、これからコロンビアで出会う仲間やお客さまも全員幸せにして、ちゃんと尊敬されるような人間になりたい!全て圧倒したい!」
と、辞めることを辞めた。
NANAがオープンしてから約半年、2024年もあと1日で終わる。オランダのロッテルダム、僕の恩師であるノリさんの家族の自宅からパソコンを叩いている。茄子の切り方すらわからなかった時代から、ノリさんには料理・飲食店のセオリーから恋の相談から人生の相談まで、肩の力を抜いて話せて、いつも本質を教えてもらってきたし、今でも定期的に電話してもらってる。NANAの立ち上げにも遠くからずっと応援してくれた人の一人。4年ぶりの再会、そして数年ぶりにゆっくりと年末年始を過ごしたいと思い立ちオランダまでお邪魔しにきた。
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NANAはオープンする前日まで解決しない問題がいくつも横たわっていて、代表取締役の僕に至っては当時VISAさえも付与されていない、キッチン機材も直前まで搬入されるのかわからない、オープンがいつまでも絶望的に信じれなかった。そんな決死のNANAがオープンを迎えて2ヶ月目から超スピードで成長し、会社全体で3つ目のプロフィットセンターと言われるくらいにまでになった。勿論、だからこそこれからが勝負で、一瞬も油断できない。
オープニングパーティが行われた6月18日。毎日死にそうに疲れてたけど、とびきり笑い声があふれるcalle63のアパートや、西側さんや陽駿、メキシコから来てくれたペルさん、日本からお祝いに来てくれた元インターン生時代の仲間の堀くん達と仕事終わりにZONA Tのクラブまで繰り出した日々が今でも鮮明に思い出される。朝から次の日の早朝まで僕たちの人生は多忙と充実を極めていた。人生の青春がそこにはあった。
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2024年の12月31日、Encounter Japan Colombia支社を、NANAを一緒に作ってきてくれた全ての仲間に感謝したい。駆け抜けた日々を超えて、気づけば時代の願いを背負って、生きていると、思う。今でも懸命に走り続けている、と思う。