自分史 02_NY留学期 01
大手デザイン会社を退職し、まずは身体を休めた。
暫くは原因不明の蕁麻疹が続き、内臓系もボロボロだった。次の転職先も探さず、一旦雇用保険の失業手当の申請だけはした。
当時の雇用保険は退職後3ヶ月目から支給が始まるので、それまでの期間は給与の無い状態となるが、デザイナーの仕事が激務過ぎてお金を使う時間も無かったし、当時は実家から通っていたので何とかなった。
1ヶ月ゆっくりし身体は回復しつつ、デザイン会社を辞めた時に決めた「川上に登る」という課題に対し、どうやってキャリアを築くかを自分なりに考えた結果、次なる目標は「一旦NYへ行き、世界レベルの人と会う」と決めた。
当時目指したのは、プロデューサーになる事。
おちまさとさんや秋元康さんみたいな企画で勝負出来る人を目指した。その為にはまずデザインしか知らない自分の人脈を広げたかったが「名古屋には目指したいような突出した人はほぼいない。東京へ行き人脈を作ろうと思ったが、どうせならもっと上のNYに行こう」という極めて単純かつ浅いロジックで意思決定をしていた。
しかも「飛行機も乗った事が無い田舎者がNYに行ってどうやって人脈広げるの?」という極めて重要な問いは全く考えていなかった。その当時は直感だけ行動していたので、直感的に「次はNYだ」と確信して進めていた。当時の自分は完全右脳型の直感行動人間だった。
自分史でまた後述しますが、リクルート時代に論理的思考力を徹底的に訓練した時期があったので、今ではすっかりロジカルな分類になった。そのスキルがある事で得られた恩恵はかなり大きいが、一方で「直感だけで行動していた時」の方が自分の可能性を広げられていたと思う。実は今現在の自分のテーマは「直感力を鍛える」であり、それもまた後述しようと思う。
話を戻すと…
NYへ行くとだけ決めたが、伝手も何も無いのに「どうやって行くか?」は考えないといけなく、浅〜く調べた結果、まず アメリカの英会話学校Berlitzの名古屋校に入学し英語を1ヶ月学び、語学留学としてNYのWallstreet校へ転校する。期間は自己資金ギリギリで滞在出来る40日間。手配は全てBerlitzに任せ という方法を選んだ。当時は社会の仕組むもほぼ分からず、取り敢えず色々と適当にサインして段取りをしていった(これが留学後に大変になる…)
一方、親族や彼女(現 嫁)はやんわり反対していた。
何故なら当時は世界的に中東系のテロが多発していた。9.11のNYでのアメリカ同時多発テロの大惨劇や、NY行きを決めた月に起きたロンドンでの同時爆破テロがNYの地下鉄でも起こるかもしれないとニュースで騒いでいた為だ。ただ、自分は謎の自信があり「大丈夫大丈夫。何とかなる」と言ってなんとなく理解してもらった(正確には言っても聞かないから無駄だと諦められた)
ちなみに、今思い返すと想像を絶するが、NYの地理や現地の情報は全く調べず、英語の勉強もBerlitz名古屋校での1ヶ月間のみ という無謀な状態で渡米当日を迎えた。
その日の朝の事は鮮明に覚えている。
快晴で風も気持ち良く、清々しい朝だった。
親父からは、頑張ってこい と「5万円」の入った封筒をもらった。実は人生で親父からお金をもらった事は無く、とても驚き、目頭も熱くなった。(我が家の教育方針は 自分史01 にて)
そして、彼女が車で迎えに来た。空港まで送ってもらう為だ。
車の中ではお互い話もせず、いや、色んな不安な気持ちと暫く会えない寂しさで会話が出来なかった。当時彼女と付き合ってまだ半年くらいでほぼ毎日会っていたので、1ヶ月以上会わない事も初めてだった為だ。
沈黙の中、車窓から入る風が頬に優しく触れていた。
中部国際空港に着いて、人生初めての搭乗手続きをした後、手荷物検査の方に進む。ここでいよいよお別れだという瞬間、騒がしい声が近付いてきた。
太い声の輩のような連中が近寄り「世界のキヨ、頑張ってね!」という横断幕を広げた。それはいつもバカばかりしている地元の仲間達だった。サプライズで隠れていたようだ。それにより朝の静かな空港が急に賑やかになった。
ただ…大変有り難い気持ちで一杯だが、まるで何年もアメリカに修行に行くとか永住するかのようなお別れトーンだったので
「いや、約1ヶ月だから。」
と冷静に突っ込みを入れつつ、横断幕を早く畳むよう指示した。ただ、仲間達がいる事で緊張が解れたので感謝していた。その仲間達は今でもゴルフ仲間である。
そしていざ人生初の飛行機に乗り込んだ が、当時 中部国際空港からNYまでの直行便は無く、成田空港を経由してNYに行かないといけなかった。その為、人生初のフライトがプロペラ機で、狭いし揺れまくった。飛行機とはこんなに怖い乗り物なのかと驚愕した。
成田空港に着いて、次はユナイデット航空の便に乗りNYへ向かった。今思うとANAやJALにすれば良かったのだが、Berlitzに全ての手配を任せていたので、アメリカのユナイデット航空に勝手にされていたのだ。
機内はプロペラ機より広いが、初のジャンボジェットであり1人緊張していた。そして最初の難所は金髪のCAのおばちゃんが「Chicken or Beef?」と聞かれたのだが、自分が英語を聞き取れず取り合いず「OK」と言って、こいつマジでアホだ という顔で諦められ、勝手にBeefにされた。食事が来た後に、そう聞かれていると分かった。
飛行機は約13時間のフライトで、緊張で寝れなかったので、何度もアメリカサイズの機内食を食べた記憶しかない。ただ、アメリカ人のCAの態度があまりにも横柄だったので、既に日本の良さを感じていた。
そしてようやくNY(JFK空港)に到着。
空港に着いたら現地の日本人がいる という情報だけ聞いていたので、探したら日本人の運転手の方が見つかり車に乗り込んだ。
そして、そこから壮絶なNYの生活が始まる…
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