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音声燻製【毎週ショートショートnote】
招かれて部屋へ入ると、敷居の際で白檀が香った。
香炉の焚きが荒くて鼻にくる。ふて腐れた『いらっしゃい』の香り。例によって分家の誰ぞと揉めたらしい。
「こんばんは馨さん。香会はいかがでした?」
白檀がふっとほどけ、奥から沈香が燻る。上った血が落ち着きつつある『ごめんなさい』の香り。物心つく頃からの縁で、彼の香りは一から十まで知っている。今や聞香で会話が成立するほどだ。
「言いたい人には言わせておきなさい。私達が聞くべきは、声ではなく香です」
動かない正座の横へ肩を並べる。香道家の跡取りに生まれ、厳格な躾が災いして発声障害を負った。薫物の煙で喉が燻せたのだと、周囲の心ない声が一層彼を無口にする。
私に言わせれば向こうに聞く力がないだけだ。彼の香りはこんなにも雄弁だというのに。
彼には内緒の私の本音。
「あ、りが……と」
極上の伽羅より貴重でかぐわしい、私だけにくれる一声。