タイムスリップコップンカー【毎週ショートショートnote】
川面へ沈む夕陽にコインをかざし、溜息する。
チャオプラヤの対岸に望むワットアルンが、10バーツに収まって手中にある。日本円で約50円、実際は数億倍の金と長大な年月を費やし、三大の一つに連なる巨大仏院は建立された。
修復事業に参加しないか。一介の宮大工に声がかかった経緯は不明だが、ただただ荷が重かった。
暁の寺とも呼ばれるワットアルンには、特定の条件が揃うと時を戻す魔法がかかると云う。本当なら今すぐ戻って断りたい。真新しい二色のコインの表、ラーマ9世が僕を嗤っている。
何度目かの溜息の拍子、コインが跳ねて道を転がった。
「ฉันทำมันตก」
「ありが……コップンカー」
微笑んで名刺を示す女性。今日からお世話になる通訳さんか。
「名刺交換。スーリップ…スーレークだっけ?」
「アリガトゴザィマス」
屈託ない笑顔につられ、僕も笑ってしまった。
実はカーは女性形。男性はクラップだと後に知る。
旧い10バーツを傍らに思う、妻との馴れ初め話。
副題:夕仏・ชื่อ+แลก・コップンカー
ฉันทำมันตก(落としましたよ)
ชื่อ(チュー/スー:名前)
แลก(レーク:交換する)
※名刺交換:正しくはレーク ナーム バット แลกนามบัตร
文中のタイ為替レートは1980年代後半のものです。