人毛マネキン【毎週ショートショートnote×2000字のホラー】
特に他意はなかった。
セールストークとして新規女性客の髪を褒めた。
「すごい美髪。長いのに艶があって、真っ直ぐサラサラで。僕も結構キャリア積んでますけど、こんな素直な髪質のお客さんは珍しいです」
初見なら多少盛った方が掴みやすい。リップサービスでもプロに言われて喜ばない客はいないし、おまけに小綺麗な若い男だ。
「……そんなこと」
案の定、声のトーンが上がる。服装や化粧からして定期で通う金も暇もあり、一旦ハメたら浮気しないタイプ。ぜひとも常連に引き込みたい。
「多少お洒落してみても、この齢じゃ誰も気にしないわ。そろそろロングも卒業かなって」
「思わず見とれましたよ。似合ってるのに勿体ない。……ねぇ、今日は毛先揃えるだけにしませんか? 大胆に行くのは次回のお楽しみで」
さりげなく接近してボディタッチ。美容師のテクで変身願望を満たしつつ次の布石も打つ。当然『齢の割には』は禁句だ。
涙ぐましい努力で取りつくろった、賞味期限ぎりぎりの見切り品。こういうのに限って、一皮むけば欲と自尊心のカタマリだよな。ハサミを握る俺は別人格にシフト、息を吐くように客をたらし込む。
他意なんかない、大なり小なり商売人はやってる事。
「知ってます? 美容院のマネキンって、人毛は高級品なんですよ。あなただったら僕、張り切って毎日練習しちゃうな」
もっともカット用は、切る髪なくなったらポイ捨てだけど。
使い古しのヘアマネキンを新聞で包み、産廃用ゴミ袋に投げ込む。
物が物だけに、処理が甘いとあらぬ誤解を生む恐れがある。切った髪、溶剤、壊れたハサミにセット機材、美容院はいちいちが面倒な危険ゴミの宝庫だったりする。
「あーあ。こんな感じであの女も棄てれねぇかな」
袋詰めされた頭部の群れを見下ろし、半ば冗談、半ば本気でつぶやく。最近は可燃で出せるマネキンも増えたし、業者も面倒なのか、ノーチェックで粉砕かけて埋めるって噂だ。
上手い事やれば、一個くらい混ざってもバレないんじゃないか? 赤マジックで『マネキン在中』と注意書きを貼り、担いで店裏の回収スペースへ向かう。
初見でうっかり褒めちぎった客は、半年経って厄介なモンスターに化けていた。クレームや過当要求は仕掛けない代わり、ほぼ毎日予約を入れてはミリ単位のカットを注文する。定期で金を落してくれるから文句も言えないが、無期限の拘束と単価の安い反復業務が俺をイラつかせた。
「相変わらず良い状態ですね。ますます綺麗になる」
「いつもありがとうございます。この髪に触ると落ち着きます」
「今日はちょっと冒険してみましょう。素敵なアレンジを見付けましたよ」
エスカレートする美辞麗句。いい加減ネタも尽きたが、今更方向転換できない。何百回聞かされた『……そんなこと』があの女の髪みたいに俺を縛り付ける。崩壊寸前の仕事人格は、顔面に固定された営業スマイルの裏、無防備な生マネキンに想像のハサミを振り下ろしている。
「済みませーん」
宅配便のトラックが表に停まる。ゴミ出しを中断し玄関へ。個人サロンの都合上、荷受けは定休日に集中し、休みの方が返って忙しい。体力は削られるが、直立状態より足腰は楽だし、何よりあの女を拝まずに済む。
「……何個口ですかね。多いなら……」
正面玄関に放置されたクール便の段ボール。
直感で『ヤバい』と思った。新聞を寄せ集めて囲い、品名不詳の伝票をガムテープで潰す。丁度マネキンの頭がすっぽり収まりそうな。回収車はまだ来ない、縛った袋を急いで解き、首の間に押し込んで隠す。
蹴り開けた裏口の真ん前に、箱。
二段の重箱がコンクリに裸で置いてある。反射的に上がった足を堪え、箱の前に屈む。
お愛想で手を付けて以来、毎回作って来た弁当重だ。緋色に塗られたフタの隙間から、嫌ほど見慣れた黒いものが数本はみ出ていた。
見るな。見るな。頭のもう一人を無視し、片手で重箱のフタを開ける。
行儀良く折り畳まれた綺麗な髪が、弁当みたいに盛り付けてあった。
――た。
――た。た。
震える手の、中から――た。コンクリの――た。っ、た。上へ点々と――たた――ぬめった感触が滴り始め――た。
吐きそうな不快感の中、
『少ない』と思った。
ずるりとこぼれた髪束を放って上段を除ける。
強迫的な圧縮度で下段を埋める、切り刻まれた写真。同じアングルばかり執拗に追い、コレクトされた手とハサミと鏡越しの笑顔。
こんなもん切ったら、二度と使い物にならないな。
思ったのがどっちの自分かは分からない。滴のきれてきたハサミを写真にかぶせ、元通りフタをして発送用段ボールを取りに戻る。
「集荷何個口ですかね。多いなら台車出しますんで」
玄関の外でドライバーの声が僕を呼ぶ。
送料が無駄だし、やっぱり一個にまとめよう。ゴミ袋からクール便を発掘、新聞を外しにかかる。
品名は『ナマモノ』と『マネキン』どっちがいいかな。
本文改行・字下げ込み2000字。
こちらは、たらはかにさん主催【毎週ショートショートnote】より
今週の裏お題『二段お重人格ごっこ』を、2000字のホラーに書き起こした二重お題作です。