黒鳥の恋~Amour de cygne noir
――白鳥なんていなかったの。
青ざめた月夜の湖に首を垂れ、黒鳥は水面を見つめます。
嘘の呪いで恋人を欺いた報いでしょうか。元の姿を失った黒鳥は独り、来るはずのない王子を待っているのです。
黒鳥のオディールは闇の娘。光の白鳥たちは彼女を恐れ、嫌って近付こうとしませんでした。触れれば自分の羽が汚れ、闇の呪いに染まるとばかりに。
――ただの黒い羽よ。呪いなんてかけないわ。
訴えて何が変わるでしょう。淋しいオディールは仲間に入れてほしさに、闇の王の力を借り、白鳥のオデットとして光に混じりました。
輝く髪に青空の瞳、白い羽衣のオデットは、たちまち皆の人気者。本当の私はお前たちの嫌う黒鳥よ。居心地の良さに真実を明かせないまま、オディールは白鳥の仮面をかぶり続けました。
そしてある月の晩、人間の王子と出会ったのです。
***
始めは遠ざけるための嘘でした。
自分は呪いを受けた王女で、昼は白鳥、夜の間だけ人の姿に戻れるのだと。呪われた娘に誰が好んで近寄るものか。白鳥たちと同じように王子も離れていくはず。王子のひたむきさに惹かれながら、かつての苦い記憶がオディールを臆病にさせました。
けれど共に過ごす夜の重なるうち、オディールは夢を見てしまいました。
生涯一度の永遠の愛を。誓えばめでたく呪いは解け、二人は幸福に結ばれる。
呪いの娘と承知で、真っ直ぐ私を見てくれる王子。たとえ正体を明かしても、変わらず共にいてくれるのでは。
どんなに愛し合おうとも、生きる世界の異なる二人。添い遂げられるはずもないものを。
***
花嫁選びの舞踏会で、あなたを伴侶と誓う。
王子の約束を喜びながら、嘘をつき続ける苦しみに耐えかねたオディールは、闇の王に伴われて舞踏会へ行き、王子の誓いを受けました。
その直後、ついに白鳥の仮面を脱ぎました。
呪いは完成した、お前が愛を誓った娘は偽物だ。闇色の髪と瞳、夜の羽衣で言い放ち、王子を残して去りました。
***
――白鳥なんて、最初からいなかったのよ。
明けゆく空を仰いで羽を広げる黒鳥を、懸命に呼び止める声があります。
振り向いた瞳に愛する王子が映りました。
変わらないひたむきさで黒鳥を見つめ、手を指しのべる王子。泣き笑いににじむ視界でのばした羽が王子に届き、人の手に変わろう刹那。
朝陽が白々と黒鳥を照らしました。
霧けぶる湖上は光に満ち。王子が目を凝らしても、羽一筋の闇さえ見つかりませんでした。