継続は力なれど必ずしも妙たりえず
嫌味な上司に黒電話をぶん投げて、会社を辞めた親父。
そこから半年程はフラフラしていたそうです。
当時は、スキーがブームだったそうで、
板を担いで電車に乗ってやれ札幌だ、長野だ、新潟だ、家とスキー場のとんぼ返りを繰り返すような生活だったとか。
ただ、当然遊べば金を使うし、使えば金はなくなるので、
色んなバイトをしていたそうで。
ガソリンスタンドだの、レストランのウェイターだの、
中には地下鉄のトンネル工事、なんかもあったそうです。
時代の違いと言ってしまえば、それまでなんでしょうがとはいえ、20代も中盤にさしかかり、大学を出ていったん就職したはいいものの、対人関係がうまくいかず、会社を辞めてバイトしながらスキー三昧。
「不安では無かったのか?」
親父曰く、全く不安では無かったそうです。
むしろ、「スキーが楽しくて仕方が無かった」のだとか。
ちょっとオーバーな物言い担ってしまうかもしれませんが、
親父の最大の武器である「心配のネジを外す」方法の一つが、
「何かに夢中になること」だと私は思っています。
「夢中になる」というのは、「長く続けること」ではなくて
「どれだけ、その物事にのめり込めるか」。
「のめり込めない」ことを「長く」続けたとしても、決して「夢中」にはなれないし、何より毎日を「面白く」過ごすことはできません。
一方で、自分が「何」にのめり込めるのか、を知るためには、ある程度トライしてみる期間も必要だし、一つの物事だけでなく、色んなことに手を出してみないと分かりません。
私が転職を決意した理由も、結局は現状に「熱狂できない」ことに気づいたから。もしこれが、数ヶ月や1、2年試しただけであれば、まだ手を変え品を変え、「楽しみ方」を工夫すればもっと「夢中になれるかも」と思っていたかも知れません。でも、10年間それなりに色んな経験をさせてもらい、恵まれた仲間と上司に囲まれ、会社の中でも最高峰の難しい仕事に挑戦する機会を与えられて、尚、冷めてしまっている自分がいることに、嘘はつけませんでした。
また、色々な御縁があって「面白そうだ」と思える別の仕事を知ることができたのも、退職を決意した理由の一つです。(そうでなければ、多分退職して次のステップに進もうとは思っていなかったと思います。)
だから、退職を機に様々な方から「何故だ?」と問われるのですが、
「色々あっても尚、今の会社は憎めないし、恵まれてる環境だとは思うけど、夢中になれないと思ったから辞めます、色々しゃべってる理由なんか全部後付けです」ということを返答しています。
親父の場合「我儘」な性格が非常に良い方向に働いていて、誰に教わった訳でもなく、自然とそういった「面白いことを優先する生き方」が身に付いていったようです。
だから、一度興味を示したものについては、自分なりの楽しみ方を模索するし、楽しみ方が分かると、それを飽きるまでやり尽くします。
そして、飽きがくると、さっぱりやめて次にいく。
ちなみに、親父がフラフラしていた当時ぼんやりと思っていたのは
「アメリカに行きたいな」ということ。
それも、何も深く考えておらず、「格好いいから」だったそうで。
一見、浅はかな考えかもしれませんが、この絶えず何かに「興味を持つ」ということが、後に親父の人生を大きく動かしていくことになるのです。
「将来を考える」というのはとても大切なことです。
でも、誰にも「将来どうなるか」は分からないし、正解は一つではありません。ならば、今自分の周りにある様々なことに「興味を持ち」、そこから自分が「楽しめそうな」物事を探し、何かに「夢中」になって過ごしてみる、というのも、「幸せ」に生きる為には必要なことじゃないか、と親父の生き方から思う次第です。
この後、親父にも色々縁があって、その後延べ30年ほど、とある会社で勤め上げることになるのですが、それはまた次の機会に。