心配のネジを外した男
少し間が空いてしまいました。
現在の勤め先の退職日が漸く決まりそうです。
組織を抜けるって本当にエネルギー使いますね。
10年も勤めた会社なので、思い入れも強いため最後にごちゃごちゃしたくない、という自分の思いもありますが。
昨日、友人と昼食をとった際、
「転職することに不安はないのか?」と聞かれました。
彼も同期で事業部は異なりますが、同じ釜の飯を10年食ってきた間柄。
「不安とか心配とかは一切しないようにしてる。」私がこう答えると、彼は「確かにな。」と笑っていました。
実は、この心配を「しない」ということが、親父が会社を辞める時に、文字通り、「たったひとつ」決めていたことだったのです。
40歳から英語を学び出して以降、東南アジアを中心に出張に行ったり、海外からのお客さんを案内したり、忙しくしていました。
親父がタイから国際電話をかけてきて「海外と電話できるなんて凄いね」なんてやり取りをしたのを覚えています。今となっては、時代を感じますね。
私も成長し、大学に入ろうか、という頃。
50代後半になっていた親父は、鬱屈とした思いを抱えていたそうです。
あと数年経ったら定年になる。
定年になったら会社に「辞めさせられる」ことになる。
なんで、年齢だけを理由にして会社に働き方を決められなきゃならないんだ。
会社に自分の人生を左右されたくない。
小学生の頃、何が何でも学級委員のバッジが欲しい、のと同じ理屈で、
親父にとっては我儘を抑えられないことでありました。
なので、この我儘を押し通す、という一点の理由のみで、親父は起業することを決心します。
何かがやりたい、こんなビジネスを始めたい、といった当たり前のことは一切考えておらず、とにかく自分の力で金を稼ぐ、という一心で先に会社の登記準備だけ進めていきました。
当時私は私立の大学に入学したばかり。
無鉄砲にも程がある。
一緒に暮らしていた祖父からは「やめておけ、お前には経営は無理だ」と大反対されたとか。
そりゃそうでしょう。
起業したところで飯のタネがなければいっか露頭に迷うのは目に見えているわけで。
しかし、親父は頑として譲らず、
2004年、会社に辞表を提出したのです。
この時57歳。
この時の心境を親父に聞いてみました。
「うまくいかなかったらどうしよう、とか心配はなかったのか?」
その答えの一部が冒頭の私の同僚に対する答えなのです。
「ない。心配とか不安とかは全く考えなかった。もし立ち行かなくなったらドブさらいだろうとコンビニバイトだろうと、なんとかして家族を食わせていく金を稼いでやる、と思っていた。だから心配なんて、自分が失敗した時の言い訳にしかならないようなことは、一切考えないようにした。」
これは、起業のセオリーからすれば、決してお手本にしてはいけないやり方です。
まったくもってこのやり方には賛同しません。
今、親父がうまくいっているのは、運が良かったからに他ならないと思います。
ただ、「単に」運がいい「だけ」とも言い切れない、でしょう。
結局の所、自分の思いに正直に行動した結果、今があるわけで、あのまま会社に残っていたら今ほど生活にハリを感じていたか分かりません。
私も、この時の親父の生き方があったから
自分の気持ちに正直に生きてみよう、と考え
もっと広い世界を見るために会社を辞めることを決めました。
こんな無鉄砲な親父ですら、
どうにかこうにか、生活は成り立っています。
だから、もし、貴方が今の生活スタイルに悩んでいたとして、心配のネジを外す、まではいかなくとも、もう少しネジを緩めて自分の気持ちに正直に生きたって、バチは当たらないのではないでしょうか。