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きみがいるだけで


高校3年C組、教室の入り口を入ってすぐの黒板前の角席が私の席。1年間に何回か席替えをしたが、私の席はいつも変わらなかった。冷茶は気づくといなくなるから、というのが理由。授業をサボると空席が出来て、その席は誰なのか先生に聞かれるからバレる。だから、自分の机と椅子を教室から廊下の角に運び出して、私の席の周辺の皆に隙間を埋めてもらい空席をなくせば、私の脱走はいつだって成功した。が、しばらくすると先生たちに見破られて、私は目立つ角席に置かれ監視されることになった。非行に走っているのでも、登校拒否でも、格好つけて目立ちたいのでもなく、どこにも当てはまらず、しっかりしてるようで危うくて、興味のないことを理解できない心配な生徒だ、と担任は私を気にかけていたようだ。(いきなり就職先にも、嫁ぎ先にもわざわざ挨拶に訪れたのには驚いたけれど、ありがとうございました。)

朝から降っていた雪が午後の授業の頃には、校庭を真っ白に埋め尽くした。降雪は5センチ。海岸にも雪は降り積もっているだろう。雪が波間に溶ける様子、砂浜の雪が積もっては波に呑まれる様子を見たい、と心が奪われた。我慢していたら余計に気持ちが止められなくなって、窒息しそうな教室の世界史の授業を抜けることにした。カバンとコートを抱き抱えて、一瞬の隙をついて教室を抜け出した。先生の甲高い声に呼ばれた気がしたけれど、振り向かず教室を出て校門をすり抜けて坂道を下って、走ったり歩いたりして海に行った。

見たかった海なのに雪なのに、その景色を私はよく覚えていない。けれども海から家に帰ると 、担任の先生からの電話で「今日の見た景色を作文に書くこと、明日は必ず学校に来ること」を約束した優しい声はよく覚えている。雪と波の前にひとり立っていることがただ怖かった、怖いけれど雪と波に私は溶けて消えたいと思うような時間だったと作文に書いたと思う。怖かったから、あの景色を覚えていないのだと思う。

さて、私の息子は、小学校に入学して学習机を部屋に置くと、自分の秘密基地みたいに机で遊んでいた。トミカはいつも自動車メーカー別に列を作っていて、この列を壊さないように私は掃除をしているが、ある日一番上の引き出しに砂がたっぷり入っていることに気づいた。私は椅子に腰掛け机に向かい、長い時間考えていた。「なぜ、砂が?」
そのときに、私は雪が降る海を見たいという衝動にかられた自分を思い出した。人にはそれぞれ事情がある。止められない理由がある、と勝手なことを作文に書いた。だから、二段目の引き出しの少しの砂を見つけて、洗濯機の中から出てきたU字磁石と結びつけて、私は息子の理由を推理した。雨の日には庭で遊べないと言っていたから、ここで砂鉄を集めていたのだ。授業参観の国語の時間もひとりだけ、理科の教科書の磁石に夢中になっていた息子のブームは砂鉄だ。

集中力が続かない、曖昧な表現や団体行動が苦手、時間の経過を把握しづらい、被害者意識が強い、興味のあることにはものすごい力を発揮するが、興味のないことには不器用な対応しかできない、うまくいかないと情緒不安定になるというと、今は症状について理解されていたり、支援があったりするようだが、今から17、8年前は、親の躾が行き届いていない子ども、親の愛情が不足しているかわいそうな子どもとわざわざ留守番電話に吹き込む人がわりといた。

問題点を見出だし分析して解決策を見出だす作業が私は好きだ。手順が分かりやすくて、やるべきことがはっきりするからだ。だから、息子と日々の記録と担任の先生の記録をを携えて大学病院に通い、検査とカウンセリングを受け、治験をした。「僕は僕の取扱い説明書を貰うんだ」と息子は言っていたが、結局家族まるごとADHDだとわかったら、それは家族の取扱い説明書になった。問題点を解決すべく専門家の力を借りて子育てに真摯に向き合っています、という状況を知ると、相変わらず走り出したら止まらない息子なのに、元気でとても良い、それは将来変貌する個性かも、とか周囲は手の平を返したように誉めたりするから、それはそれで息子も私も戸惑った。

落とし物や忘れ物や遺失物も山ほどあって、傘は47本まで数えたけれどその先は数え飽きてしまったし、あちこちにお詫びに行くことも多々あって、とにかく私は朝起きたらメイクをして家事を素早く終わらせて呼び出されてすぐ出動!に備えたし、電話が鳴れば学校からの悪い知らせだからとりあえず耳を塞いだし、壊れなくていいものは必ず破壊されているし、今その知識必要?な知識が止まらないし、しょっちゅう呼び出されるならと毎年役員を引き受けたし、、ああもう、エジソンのママたちがあるある!って今、跳び跳ねているはず。

反抗期の真っ只中の息子は、自分を持て余してしまい生きているのが苦しいと泣いた。教室を脱け出していた私も、私を持て余していたから、頑張ればうまくいく、なんて言葉に力がないことはわかっていた。だから私は息子と夜の庭に出た。なぜ僕を生んだのだと泣きじゃくる息子と庭に出た。そのときに住んでいた家はとても庭が広くて、背の高い木々に囲まれて、物置のプレハブも立っていたし、とうもろこしを植えられる畑もあったし、ブランコもあったし、バーベキューも出来た。土と草と炭の匂いの満ちた庭に私たちは寝そべった。命がなくなるってことは土にこのまま消えていくことだよ。生きるのがつらいなら、このまま土になれるか、目を閉じて身体を動かさないようにしてみよう。命が消えるってことはどんなことか想像してごらん。
土は固くて腰が痛い、蟻が足首を歩いている、けれども我慢比べだなあ、変なところで意思の強い息子だなあと私も意地になると、タイミングよく霧雨が降りだし、息子は顔を拭きたい、動きたい、やっぱり死んだらだめだと呟いた。夫がわざとキッチンから漂わせたニンニクチキンソテーの食欲を誘う香りに負けたのかもしれないし、なにかを諦めたのかもしれないし、自分の母親は面倒くさいと思ったのかもしれないし、自分の心を封じ込めてしまったのかもしれない。希望が見いだせたとは思えないが、とにかく3時間くらい土の上で固まって濡れて、お風呂に入って布団で寝たら、息子は翌朝から学校へ行った。庭の様子を心配して、小さな窓から覗いてくれていたお隣の老夫婦には「大丈夫です、ありがとうございました」と庭先から親子で頭を下げたらカルピスをくださった。
あれほど学校が嫌だと行ったのに、その後は高校生活を多少暴れたけれど満喫して、単位の計算を間違えて大学を5年通い、就職して転勤で関西に行くことを決め、一人暮らしを始めた。空気を読めないところがあったり、独特な集中力や言い回しをしたりするけれど、心優しい関西の皆さんは、関東の人はこっちと違うねと地域の違いとして捉えられて、うまく生きているらしいから、関東の皆さんごめんなさいと息子は頭を掻く。

先月の月末に息子はいきなり帰省してきた。私の誕生日にサプライズで中華料理を食べに行くという企画を企てていたらしいが、前々日に「たぶん母さんは突発的な出来事に弱いと思う。黙っている自分もなんだか落ち着かない。だから誕生日には飯に行くというサプライズを準備しているので、よろしく」と自白する。私は1ヶ月先の予定は楽しいことでもプレッシャーを感じるが、2、3日前ならちょうどいい待ち遠しさになる。息子には私の取扱い説明書が握られているようだ。私は大人になっても注意力の欠如と過集中が入り乱れ、子どもたちと毎日をじたばたと失敗ばかりで過ごしてきたが、大好きな中華料理を長男がご馳走してくれて、次男はマカロンが飾られたゴージャスなチョコレートケーキを買ってくれた。関わってくださった方々のおかげで、ちょっとかっこいい息子に育ってくれた。「母さんの最大の失敗はアレだよ。二段弁当の入れ間違い。大学生の俺におかずがふたつ入ってた。売店でおにぎり買ったからよかったけど。」と長男が思い出すと、「中学生の俺は、その日は一日中、米米CLUBって冷やかされたんだぜ」と皮の熱い餃子にハフハフしながら次男が応える。ご飯がふたつ、米米CLUB、、。入れ間違えた兄弟のお弁当。たとえばきみがいるだけで、心が強くなれること。

添えた写真は長男が持っていったお弁当です。友人たちがウケてゼミで使うパソコンの壁紙にしていたそうです。