見出し画像

あのときのリレー

運動は苦手だったけれど、足が速くなる夢を見たことがきっかけになって、私は小学4年生から高校3年生までリレーの選手だった。そしてその思い出のバトンは、時を越えて繋がることがある。

小学6年2組Bチーム

小学校最後の運動会。6年2組は1組には負けるわけにはいかないと、学級会で作戦会議が開かれた。私たちは小学校3年生までは町の中心部にある小学校に通っていた。1学年が12クラスのマンモス校から、山の上に開校された学校に移ると1学年は2クラスになり、クラス替えをしても1組と2組は何事においても毎年ライバル関係だった。運動会の6年生のクラスリレーはクラス全員で2チームを作る。ライバルの1組に勝つためには、足の速い人を集めたAチーム、遅い人を集めたBチームに分けて、1位は必ず獲る、と運動神経のいい男子たちが作戦を提案し、クラスの誰もが納得した秘策だと盛り上がりを見せた。

「ねえ、本当に皆はそれでいいの?」と私は前の席の「オヤジ博士」に聞いた。彼は東大を目指す秀才で、運動は苦手だが博学でクイズが得意でちょっと髭が濃くて、モデルのような外国製の花柄のワンピースを着こなすお母さんはとても優しそうだ。「Bチームで走れば皆に迷惑をかけないで済むから、それでいい」とオヤジ博士は小声で答える。将来は総理大臣になって町にケーブルカーを開通させると言うバイオリニストの「総理」は「Bチームで参加すれば自分だけ恥をかくこともない」と隣の席のオヤジ博士にこっそり賛成する。運動がとても苦手だった経験のある私はこの作戦になんだかとても気分が悪くて、でもその理由を説明する力がなくて、多分とても不貞腐れていて、周囲に聞こえるような一人言を洩らしていたのだと思う。担任の先生は、卒業までの行事はクラス皆の意見で決めれば良いと、作戦には関わらずにプリントの丸付けに集中していたが、私の苛立ちを察した様子で、一瞬私をちらりと見た。それに気づいた司会者のドッジボールの得意な「投手」とサッカー好きの「キーパー」が「不満があるなら、女子で一番足の速いお前がBチームのアンカーになれよ」「そうだよ、アンカーが抜き返せばいいだろ」と黒板にBチームの最後に私の名前を書いた。そして、この作戦は絶対に秘密で、予行練習ではAチームは本気で走ってはいけないこと、Bチームは本気で走ることを約束していた。

予行練習のことは全然覚えていない。でもその夜に、私は勝ち目のないチームのアンカーだということを、両親には話していて「皆がゴールした後に、周回遅れで走ることになったら惨めになるから、がむしゃらに走らずに流して走れ」と父からも母からもアドバイスされたことはよく覚えている。悩める12歳、反抗期の入り口の私は光が見出だせず、お気に入りのベイシティローラーズチェックのスニーカーで走ることを決めた。悩んだら可愛いを選ぶことを悟った小6の秋。

運動会の当日、Aチームが1位でゴールしたのかは知らない、覚えていない。他のチームがゴールしても2組のBチームはまだ走者が残っていたから、私はどう走るべきかを悩んでいたのだ。何事も全力で頑張れと教育されてきた私が、初めて体験するアンカーの手抜き。それを知ってか知らずか、私が立ち上がると、オヤジ博士がぼそっと私に耳打ちした。「頑張れ」って。

バトンを受けて走り出すと、あちこちから拍手と声援が聞こえた。恥ずかしいから早く終わらせようと、大きく腕を振って息を止めて、全力で駆けた。そして最後だけゆっくりとテープを切った。ゴールに立つ校長先生も役員のお母さんたちも偉かったねって誉めてくれた。偉くなんかないのに、と半べその私に、母は「何でお出掛け用のスニーカーで走ったのよう」と困った顔をしていた。


高校1年3組赤ブロック

高校1年の体育祭。各学年12クラスを6ブロック編成にする。12クラス÷6ブロック×3学年=6クラス。1クラス45人だから、270人が同じチームとして競う体育祭って壮絶だわねと思いを馳せるが、卒業アルバムを処分してしまったので、想像する光景は映画関ヶ原になってしまう。

クラスからは男女1名ずつのリレーの選手を選抜する。私は赤ブロックのリレーの選手になって、顔合わせのために3年生の教室に出向いた。アンカーの1人手前の11走者は3年生のアサミさんで、彼女は私の憧れの人だ。近所に住んでいる同級生の男の子のお姉さん。背が高くて細くて美人で髪と瞳が茶色くてちょっと不良ぽっくて物静かで優しい。子供会のドッジボール大会で同じチームになったとき、とても運動神経がよくて小さい子を庇う様子を見てから、私はファンになった。剣道部の先輩が、「お前もリレー出るなら、3年の女子を紹介しとく」とアサミさんのところに連れて行ってくれた。「あ、この子近所の子、ね」とアサミさんは私を覚えていてくれて、「うへへへ~い」ととろけてしまい、剣道部の先輩に気持ち悪がられた。

体育祭の予行練習では、最後の種目のブロック対抗リレーは本番の半分の6番目の走者までしか走らないと放送があった。5番目の私は走らなければならない。トラックの真ん中に選手が集まると、「練習なんだから流していこうぜ」と笑うラグビー部の先輩の声や、「練習だって負けんのは嫌だろ」と叫び返すサッカー部主将、地味にストレッチを始める野球部の面々の後ろの方で、1年生の私たちは萎縮していた。「5走?」と声を掛けて来たのは、陸上部の「わかちゃん」で、彼女は小学校も中学校も一緒だ。小6の時に隣のクラスだったわかちゃんだ。「わかちゃんも5走?」と靴紐を結びながら聞くと「うん、よろしくね」とささっとジャージを脱いで短パンになった。わかちゃんは直線は強いがコーナーが苦手なのは知っていたから、狙うならそこ、私は傾いて走るのが好き、とついうっかり私も短パンになった。「えー、練習なのに1年がジャージ脱いでるー、やだー」「本気禁止ー、ダメダメー」と女子の先輩方には大ヒンシュクをかってしまった。

結局、スターターの合図と共に喚声が湧くと、誰もが本気で走りだす。6走の2年男子の先輩は「俺のアンカーは今日だけだ。1番で持ってこいよ」と私の肩を叩いた。5走の1年女子二人は、バトンを受けて飛び出して、緑ブロックの女子がリードしたが、赤ブロックの女子がコーナーでそれを刺した。が、アンカーへのバトンパス前に緑ブロックがスピードを上げ、バトンは同時に繋がれた。ということを、私は放送委員の清里くんの実況で聞いた。放送委員のテントの隅でジャージを履いている私に、「結局いつも本気で走って、見ていて疲れちゃうよ、まったく」と言う清里くんって、そういえば小学校で一緒で、サッカー好きの「キーパー」じゃん。マジか、同じ高校だったのか、と声には出さなかったが、顔には出ていた。「お前、俺のこと、今、気づいただろ」「う、うーん。体育祭本番もどうぞよろしく、」