ある1人の少年が、小石のような男になるまでの物語
今回は少し感情的な記事になると思います、
少しでも誰かにとってのプラスになって欲しいという願いを込めて、、、、
【絵を描き始める】
僕は幼い頃大病を患っていて(現在も完治したわけでは無い)、3歳くらいまでずっと病院の中。家に帰ることもできず、ずっと病院で暮らしていました。
絵を描き始めたのはその頃でした、
何かを見て興味を持っただとかそういう理由ではなく、ほんとうに"絵を描くこと"しか出来ることがなかったんです。
毎日描いて、お母さんや看護師さんに見てもらう。
そしたら沢山褒めてくれる、
「小石は絵が上手だね!」「小石は将来画家さんかな?」
幼かったので直接的な記憶はないが、よく言われていたと両親に聞かされました。
唯一のできることである"絵を描く"こと。病室から出ることができない僕は、次第に絵を描くことが大好きになっていきました。
【別れ】
僕と同じ病気の女の子が同じ病室に居て、仲良くしていたらしいです。
幼くて記憶はほとんどありませんが、同じ病気と戦う仲間として認識していたのかもしれません。
順調に回復していった僕。隣を見ると沢山の管がまだ付いている女の子。少し大きくなった僕は、なんとなく彼女とはもう会うことができないような気がしていました。
体の管が全て取れて、人工肛門も外れ、体力以外はなんとか普通の人に近い生活を送れるようになった僕はとうとう退院し、家に帰ることができました。
はじめてのお家です。
病院を出て、初めて広い世界に飛び出した、あの時の興奮と歓喜の感情は今でもなんとなく覚えています。
今の僕が家にずっといるのが嫌いで、常に外に、自由な世界に出ていたいというのはやはり、この生まれてからすぐ入院、外に出られなかった経験から来たものかもしれません。
家に帰った僕は、これまでできなかった外遊びを沢山しました。
野原を駆け回り、自転車でスピードを出しすってんころりん。常に体はあざだらけ、ただでさえ体が強くなかった僕は親によく怒られました。
そうやって、自由に外で飛びまわることを繰り返す僕でしたが、絵を描くということをやめることはありませんでした。
家の中の柱、段ボール、テレビ、机、あらゆるところに落書きし、広告の裏にも数々の絵を描きました。
生まれた瞬間から僕を支えてくれた絵を描くということ。
やめることは無かったし、僕にとっての一番好きなことでした。
退院してから何年か過ぎ、幼稚園へ入り、普通の生活に馴染んできた僕。
そして時は進み、小学生へ。
順調に育ち、僕は体が弱いだけでほとんど普通の人間になることができました。
そんな時です、ある一通の手紙が届きました。
僕が入院していた時、同じ病気を抱えた戦友の女の子の両親からです。
‥‥‥‥‥‥良い知らせでは無かった、、、病気が悪化し、亡くなってしまったのです。
その時の衝撃は今でも鮮明に覚えています。
同じ病気を持って生まれ、僕はほぼ完治し普通の生活を送る。
しかし女の子は、、、、、
もしかしたら僕は女の子のようになっていたかもしれない、、、
病気を持って生まれることもそうだし、同じ病気を持っていたと言ってもそうです、
世の中は平等じゃ無い。一寸先は闇。今生きていられるのは神様の悪戯、気まぐれでしか無いのかもしれない。
そう思いました。
僕は心の中で戦友と別れを告げ、誰よりも強く、強く生きていくんだと決意しました。
今回はここまでです、
続きはまた後日✍️