デンマークの片田舎で「休みを増やしてくれ!」と主張したら受け入れられた話

「休みを増やしてくれ!」と声を大にして言うことは、少々気負いするものじゃないでしょうか。

とは言っても、比較的自分の主張は言うと決めているので、声を小もしくは中にしてくらいならいままでも言ってきた。

ただし、「申し訳ないんだけど…」の枕詞付きで。

デンマークは世界の幸福度ランキングの上位にいつも君臨している国。

その要因の一つに、労働者がしっかりがっちり守られていて、しかもみんなの意識の中にそれが常識として根付いている点があると思う。

ボランティアとして学校のキッチンやら掃除やらをお手伝いしていた時、毎日働けると勘違いされて(?)、1か月の休みが3日位のなかなかなハードワークをしていたときに「次の休みドコ?!」の疲労困憊モードに突入したわたし。

はじめは渡されたシフトをしっかり見ておらず気づかなかったけれど、数えると14日連続シフトで、しかも人がいないのかがっつり7時間労働。

それはないよぉぉぉ、である。

いろんな人に不満を漏らしたら
「ここはデンマークだ!休みをもらうべきだ!
デンマーク人でそんなに働く人はいない、休みをもらうんだ!」と。

ということで、責任者のところに行き「休みを作ってくれ」と伝えることに。

すると、
「OK! 今からこの人とこの人に連絡するね、そしたら三連休だよYay!」

ということで、急に3連休もらうことになったという。
言ってみるもんだなー。

ちなみに、スケジュールをみんなで見ながら気づいたけど私がひたすら連勤をするシフトになっていたのは、みんなのサマーホリデー分をカバーするためと、まさかの自分も後ろに2週間の休みがまるっと入っていたからということが発覚。

「それでも3連休はもらっておきなよ」という、結局ただただ私が休みをたくさんもらう展開で終了。

とは言え、この「言えばなんとかなるかもしれない」感覚はとても大事だと感じる。きっと日本でも言えば何とかなることも多いんだろう。
ただし、決定的に違うことがある。

それは、「言える土壌があるかどうか」。
私にとってはこれに尽きる気がする。

自分の意見を言うことは「出る釘」行為ではない。
その考えが承認されるかは別として、「とりあえず言ってみる」ことは疎まれないし、むしろ言わないとどうしたいのか分からないのだ。

私が個人的に好きな事務のギッテさんは
「デンマーク人はまじでめちゃくちゃ文句言うからね!」と言っていた。

私も言う。
日本人だから言わないわけではないけれど、ただ面と向かって自分の権利を主張するために、上長に自発的に言うことは「どう思われるか」「みんなはそんなこと言わずにやっているのに大丈夫かな」という心配も多く付きまとって、結果的に言えたとしても心労が祟るのだ。

だからこそ私は、少なくとも私の周りでは自分の主張を言うことが許されると感じられて、むしろ素敵なことだと思わえる環境を整えたいと思う。
きっと1回はちゃんと最後までその人の意見を聞いて、受け取ることが必要なんだろう。

出来るかできないか、はその次のステップだ。

ちなみに、ギッテさんは昨日の夜コンサートに行って今日の朝10時に帰ってきて、10時半にオフィスを開けたらしい。
「ちゃんと了承を得たからいいのよ!」
と、ちゃんと確認するところがデンマーク人らしい気がするし、普通の出社日なのに「前日のコンサート楽しみたいので次の日遅れます」が通るのもすごい。

やっぱり、言ってみるもんだな。

おわり。

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