ブログ企画【繋】第82回「さがしもの」
5月にして異例の真夏日や猛暑日を記録するなど、令和飛ばしてんなおいって感じですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私はその暑さにつられて急に布団を薄くしすぎたことと、一度うっかり冷房をつけっぱなしにして寝てしまったことが響いて、しっかり風邪ひきました。うーん、初夏の取り扱いむずかしい。
さて、毎月1日に全国各地のメンバーがひとつのテーマで文章を書くブログ企画【繋】。
今回はモリミカさんより、こちらのテーマをいただきました。
令和元年も1ヶ月が過ぎました。皆様におかれましては、佳きスタートをされたことと思います。
今回のお題は、「さがしもの」でお願いします。
多分、繋の中で、一番年配と思います。皆様にはまだピンとこないかもしれませんが、毎年さがし物の時間が増えている現実があります。
自分では若いつもりですが、毎日何かをさがしています。
敢えて「さがしもの」と平仮名にしましたのは、物忘れによるさがし物だけではなく、意図してさがすことも含めたいと思います。
皆様の感性で素敵な発信をお願いいたしますm(__)m
テーマ発案者:モリミカさんより
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学校からの帰り道、駅を出た私は母から頼まれていたおつかいを思い出し、その足でスーパーに立ち寄った。お会計を済ませ、店を出る。スーパーへ寄ったため、いつもと違うコースで家路へ着く。少し歩いていると、馴染みの理髪店と惣菜屋の間がぽっかりと空いている。いつの間にここなくなっちゃったんだ、と思いながら、ここには何が建っていたんだっけかと記憶をたどるも、さっぱり思い出せない。小学生の頃通っていたそろばん教室からの行き帰りに必ず通っていた馴染みの道だったのに、いざそのうちのひとつの建物が取り壊されその空間だけに焦点が当たると、こうも記憶というものはあてにならないのだなあと思う。
取り壊された建物を前に、ここには何が建っていたのかと記憶をたどるこの感覚は、身の回りのさがしものを探す感覚に似ているなと思う。
人は一生のうちに、たくさんのものをさがす。
自宅の鍵から、しまったはずの算数のプリント。大事な書類が入ったUSBに、去年この時期に来ていたカーディガン。お財布や携帯電話といった身の回りのモノが見当たらなくなったとき、そのさがしものは、今まで他のモノたちと同じように自分の生活の中に自然に溶け込んでいた状態から、急にスポットが当たりそのモノのことで頭がいっぱいになる。最後に見たのはいつだろう、最後に触ったのはいつだろう、そのときと同じ行動をしてみようか…といった具合に、そのモノがあったときのことをできるだけ鮮明に思い出しながら、くまなくあたりを捜索する。
建物が取り壊される前、さがしものがさがしものになる前、その建物は、そのモノは日常に違和感なく溶け込んでいたはずだ。しかしそれが取り壊され、見当たらなくなり、「ない」状態になることによってその建物やモノの存在は日常の中から突如取り出される。その度に、建物もモノもひとつの風景として連続的な連なりをもって存在していたのだということを思い知る。ひとは対象を知覚するとき、その対象を全体として捉えるってゲシュタルト心理学の中にも出てきたなあ。
けれど、私たちがさがすさがしものは、身の回りのモノだけに限らない。
しょうらいのゆめや自分の適職、今より条件のいい職場。いや、それよりもっと私が本当にやりたいこと。大切な場面での適切な言葉、理想のパートナー、第二の人生の方向性から、タイトルが思い出せないあの曲まで。
けれど、これらのさがしものは「さがしもの」と一言で括っても、その結末はどれも同じをたどるばかりではないだろう。
身の回りのモノの「さがしもの」だったら、見つかるか見つからないかの0か100だと思うけれども、形のない「さがしもの」や明確な正解が存在しない「さがしもの」なんかは、見つかるか見つからないかという単純さだけでは帰結しえない。
「さがす」という動詞の行く末になり得る言葉は「見つかる/見つからない」だけではなく、「折り合いをつける」「別のものに変える」「新調する」「暫定1位」「もういいや諦めよう」など、さがしものとなる対象の数だけ違った終着点があるようにも思う。
まだまだ探す気ですか?
それより僕と踊りませんか?
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?
「夢の中へ」井上陽水
さて、いい終わり方が見当たらないので、ここらで夢の中へ失礼しようと思います。
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他のメンバーのみなさまは何を探されているのでしょうか。以下からどうぞ。
ブログ企画【繋】メンバー
鈴木NG秀典(すずきんぐ)「鈴木NG秀典ーだー。〜君は馬場より美しい〜」
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