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ブログ企画【繋】第62回「もうダメかも知れないものが飛んでくる時何思う?」

毎月1日に全国各地のメンバーがひとつのテーマで文章を書くブログ企画【繋】。
唐突ですが今回は、まず先に他のメンバーの方々の記事を読んでいただいてから、最後にこの記事へ戻ってきていただきたいです。
その意図は後ほどお話しますので、早速ですがいってらっしゃいませ。

ありぱんだの徒然日記
津軽三味線山中信人の朝刊・夕刊〜
カズMAXのオフィシャルブログ「アコギロックだましい♪」
鈴木NG秀典(すずきんぐ)「鈴木NG秀典ーだー。のブログ」
モリミカのブログ
内田祥文のKeep Hope Alive
peixe grande take ※テーマ発案者


はい、おかえりなさいませ。ちゃんと帰ってきてくれてありがとうね……
皆様ももうご存知の通り、今回のテーマ発案者はtakeさん。

テーマに添えて、

Jアラートがなり、確実に自分の頭上に何かが落ちてくる。
それはVXかサリンか核原子か水爆か中性子か
今の情勢で「もうダメかも知れないものが飛んでくる時何思う?」

とありまして、

「う〜〜わ!今回むずっ!」

というのが最初に抱いた正直な気持ちでした。自分じゃ絶対選ばないようなザ・時事ネタ、政治ネタ。
でもまさにこれが、誰かが考えたテーマをいただいて自分なりの視点で書くというこの企画の醍醐味なのかなと思いました。
それに、自分がこれまで着手していなかった世界を切り拓いていただけるのはありがたいです。

とは言ったものの、実は今回、ぜんっっっっっぜん書けなくてですね。近年書いた文章の中で、一番苦戦しました。悩みすぎて夜しか眠れなかったもん。

切り口はそれなりに出てくるものの、それらが膨らんでいかない。北朝鮮や国際政治に関する文献をあたってみても、自分の知識と世界情勢の認識力の乏しさをひしひしと実感するだけで、そこから広げられない。どうしよう。詰んだ。

というか、そもそもの何かが引っかかっている。

そこで、この引っかかりが突破口となる展開に賭けることにしました。

この企画に入れていただいて間もないのに、おそらく前例のないこんな勝手なことをしていいのかわかりませんが、読者の皆様にはまず最初に他のメンバーの方々の記事を読んでいただき、7人それぞれが「もうダメかも知れないものが飛んでくる時何思う」のかを踏まえていただいたうえで、今からわたしはその最後に、このテーマへの解釈を加えた全体の「あとがき」となるような文章を書いていきます。

でも、この時点でさえなかなか強気のライティングなのに、ここからさらにテーマの真髄を揺らがしかねない喧嘩を販売していくことになりそうです。

takeさん、メンバーの皆様ごめんなさい。

でもわたしは、前例のないことは、楽しいことだと思います。


前置きが長くなりました。
改めて、

「もうダメかも知れないものが飛んでくる時何思う?」

というこのテーマになぜそこまで苦戦したかって、ごめんなさい、わたしはこの質問の意図がわからなかったのです。
いや、聞かれていることの意味はわかるんですけど、果たしてこれを答えることで、読者の皆様に何をお見せしたらいいのかがわからない。

何を求められているのかーー。
政治観や生死感を聞かれているの?それとも最後の晩餐的な、何気ない平和な日々に感謝して一日一日を大切に生きようみたいなミクロな視点?
でも、ぱっと思いつくこれらはなんだかどれもありきたりな気がして、そこから飛躍させることができなかった。

そのとき、前述した引っかかりに気づいたのです。

そもそもさ、もうダメかも知れないものが飛んでくる時何かを「思う」のか?「思える」のか?

なんだか、これを言ってしまったら元も子もないのかもしれないのですが、生命の危機が差し迫った未曾有の事態においては、複雑な思考を働かせる余裕なんておそらくほとんどなくて、その場その場の状況に合わせて最善と判断した生命維持の行動をとっていくことで精一杯な気がするのです。


考える<思う<感じる<よぎる

意識レベルの中でも「考える」とか「思う」って、なんというか遅いかんじがします。ゆったり、もったりした思考。対して、「感じる」とか「よぎる」は、前者よりもパッて瞬時に掴みとるような直感的なスピード感がある。

今回のテーマの結びの「何思う?」に違和感を抱いた理由はそこにあって、もうダメかもしれない生きるか死ぬかの状況下で「随分と余裕だなおい」って思ってしまったわけなのです。なんというか、日本から遠く離れたどこかの国で起きた災害をテレビで眺めているかのような、対岸の火事感。

もっとさ、生命が危険にさらされている状況下では、人はより動物的本能に忠実に、思考よりも感覚を優先してサバイバルするんじゃなかろうか。そんで、冷静に状況を整理して自分の考えや気持ちに向き合い出すのは、もっと時間が経ってある程度の身の安全が確保されてからな気がする。

これはどこかで聞いた話だけれど、人は震災発生から1週間くらいは、なんだかんだでハイテンションで乗り切れるらしい。でも、避難先での生活の疲れも出てくる2週間〜3週間後になると、自分が置かれている今の状況や将来のことを冷静に考え始めて、体調を崩したり気分が不安定になりやすくなるという。

そう、だからね、「明日地球が滅びる。最後の晩餐、何食べる?」系の質問に対しても、内心ずっと「いやだから随分と余裕だなおい」って思っていたし、その問いに迷わず一番好きな食べ物を答えられるその素直さを羨ましく思ったりもした。

ちなみにわたしはいつも決まって、

「ウィダーインゼリー」

と答える。

解せぬ、みたいな顔する相手にかまわずこう続ける。

『いや、だってさ、地球最後の日ってことはさ、地球規模の災害か、世界大戦か、太陽フレアか、はたまた宇宙からの侵略者襲来か、それなりの重大な危機が迫る状況ってことでしょ。そんなときに悠長にラーメンふーふーして食ってらんないよ!荒れ果てた大地でポケットから取り出したウィダーを10秒で飲み干してこう言うの、「ここはわたしに任せな」。これまでのどんなウィダーのCMよりウィダー感あるよ。多分そのときのわたし、人生で一番かっこいいと思う』


そう考えると、こうやって腰を据えてじっくり物事を考えたり、誰かの気持ちに想いをめぐらせたり、最期は「おっぱいもみたい」とか考えたり(笑)、自国の政治や世界情勢について語ることができるということは、まだまだ世界の平穏がかろうじて保たれているということの裏返しでもあるのかもしれない。

だって、こんな自国の縁起でもない弱気な想定をした文章を公に発表するなんて、時代が時代(まあ当時はブログどころかインターネットもなかったけれど)だったら言論統制で規制されそうだもん。

そして、これは言い換えれば、相手の挑発に乗って冷静な判断力を欠いたカードを切ってしまうことの危険性をも示唆しているのではないだろうか。

北朝鮮による連日のミサイル発射や核実験への各国の対応とメディアによるその報道、そしてSNSのタイムラインやニュースサイトのコメント欄なんかを見ていると、世界の平和と秩序を乱す北朝鮮の過激な言動が癇に障る一方、ヒール(悪役)をつくることで世界がまとまっていくような怖さも感じずにはいられない。

たとえるならば、学校のクラスや職場で、みんなで誰かの悪口を言って共通の敵をつくることで、良くも悪くもその集団への帰属意識や連帯意識が増していくような空気感。怒りや敵意といったネガティブな感情の、伝播しやすく、また共有しやすくもあるという性質が、負のエネルギーをより強大なものにしながらまとまりを帯びていく。

それゆえ、そのネガティブな感情が集団内の人々を結びつけるものとなり、それを原動力として外交上での意思決定の場面まで進んでしまったら、それこそ「もうダメかも知れない」。

直接的な軍事攻撃よりも、Jアラートも鳴らずに人々の中に蓄積していく潜在的なネガティブ感情の扱いにこそ、思わぬ火種が潜んでいる気がしてならないのだ。


じゃあどうするか。

そんなときこそ、悠長にラーメンふーふーして食べるべきではないだろうか。あの、Twitter映えすることで名高い「二郎」なんかに並んじゃってね。

「アブラナシヤサイカラメマシニンニクスクナメで!」

「ヤサイマシマシカラメマシアブラスクナメニンニクで!」

「ニンニクチョモランマヤサイマシマシアブラカラメオオメで!」


え?わたし?

「ウィダーで!」



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