牧師の辞めぎわ①
日曜日の朝8時。真冬の北関東らしい、刺すような寒さ。私は礼拝堂の暖房をつけ、石油ストーブの上にやかんを置く。お湯が沸いたら、大きなポットにお茶を作る。湯を沸かす合間に週報を印刷し、30名足らずの週報ボックスに入れる。昨年亡くなった人のボックスはとばす。言いたいことだけ散々言って来なくなった何人かの人のも、とばす。教会の受付を整える。照明をつける。
今日は説教、奏楽。黙っていたら司会も私だったけれど、さすがに無理なので、先々週にある役員さんに代わってもらった。でも役員さんは「じゃあ、私と交代で。」あ、交代、なのね。来週は私、司会と説教なのね。
私は牧師。謝儀をいただいている。だから教会のことは何でもやる。そう思っていた。けれども、この頃、明らかに負担が増えている。みんな、礼拝の15分前に来る。ここの教会の人たちは来るのが遅い。今は特に、受付の人だって、牧師がぜんぶお膳立てしたところに座っているだけ。礼拝後はお茶が出てくるのをなんとなく待っている。最初は私がサービスで出したのをありがとうと言ってくれてたけれど、あっという間に「出してもらって当然」になった。誰かが「薄いわね」と不満を言う。
私一人だけが40代。あとのレギュラーメンバーはみんな70代以上。お歳のこともあるけれど、近ごろいっそうやる気がない。お客様。理由の一つは思い当たる。私が今年度辞任するからだ。私も私でやる気がない。見た目は仕事しているようだが、その原動力は魔法の言葉。「もうすぐやめられる。」