事業失敗、家はまだある。
私の母は短大に通っていた頃20歳を迎える前に働き先の飲食店で父と出会った。
母は当時父を嫌っていて、信用のない人だと思っていたそうでした。
その母がどうして父を好きになったのかは聞いた当時謎でした。
しかし、母の家族は母の父、私のおじいちゃんが私のおばあちゃんに暴力を振るう家でした。
だからいつからか、早く家を出て自分の家族が欲しかったと私に話をしてくれました。
母と出会った頃の父は飲食店を経営したいと思っていたらしく、修行をしている真っ最中だったようでした。
また母は女子校で短大も女子だけの学校、初めてお付き合いしたのは父。男の人を知らない母はまんまと経験豊富な父に捕まってしまったと話を聞いた当時学生だった頃の私は納得した。
父は夢を叶え自分のお店を駅のそばに構えた。
売り上げはのれんの外に列が出来るほど、うなぎのぼりで年収は1000万以上を超えたそうだった。
父は1店舗の成功を収め、次に売上の伸びそうな立地を聞きつけ、そこに2店舗を出す為資金を動かした。
その頃のビジネスは父曰く
借金は泣いてでもしろ
とのことでした。
言い方は色々とあるかもしれませんが、借金をしたとしてもプラスで戻ってくるのが当時の定説だったのか、父の周りの定説だったのかはわかりません。
そして読みは見事に外れ、
どの業種をも苦しめたバブルも弾けた。
人の流れは父の構えた店舗とは逆の方向へ。
2店舗目は人件費含め開店資金は水の泡となり、店舗を手放してからもお金は父から離れていった。
でも問題は父が先程の定説を胸に以降も実行していたことだった。
そして、父は金融業者にお金を借り、私のおじいちゃんにお金を借り、母の名義でカードを作りまたお金を借りた。
それでもお金はどんどん消えていった。
けれど庭に金木犀の咲く一軒家は残ったが、1番の問題は私たち5人家族が住むこの家でした。