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わたしたちは、まだまだいける

やることなすことうまくいってるって状態の時に

いやいや、それはいつか終わりが来るから
こういうことに気をつけておいたほうがいいよっていうのではなく

行けるとこまで行っちゃいな!行った先でしか見えない世界があるからと言葉をかけてもらったことでますます頑張れたというというエピソードを聞いたことがある

人生の先輩として
起業家の先輩として
◯◯の先輩として
後輩に対して

今はいいけどこんなことに気をつけておかないといけないよ
今はいいけどこういうのは長く続かないからさ気をつけな

今はいいけど…って、つい、釘を刺すような助言をしちゃうことがあって、心配性なわたしは、そういう言い方をしがちだった

「あなたのためを思って、言ってるの」って

でも、さっきのエピソードを聞いたときに

行けるとこまで行きなって言うのと
リスクを認識させることを言うのと

本当に応援してるときに出るのはどっちの言葉なんだろうって考えてみた

注)行けるところまで行きなー!は、なにも考えず無責任に言ってるわけじゃない前提です


さっきの起業家さんの話とは、まったくもって規模感が違うんだけど

パーソナルトレーニングを受けてるとか
写真を撮ってもらう前だから少し食事を気をつけてるとか

そういう話をしたときに「えー、そんなに気にしなくても(今の体型で)大丈夫だよー」って言われて、なんとなく、寂しい気持ちになったことを思い出した

もちろん、今のままで大丈夫だよって、励まし?褒めて?くれてるんだと思う

でも、わたしが頑張ろうとしてること、こうなりたいって思ってることを否定されたような、そんな気持ちにも、正直なったんだよね

わたしの受け取り方の問題もあるんだろうけど

そんなことを思い出したら、わたしも「行けるとこまで行こう!」って
言える人でいたいと思うようになった

わたしからみて、十分素敵な人でも、その人がもっと素敵になりたいって思ってトライしようとしてることがあったら

えー、もう十分素敵じゃーんって言うんじゃなくて 
いいねいいねー!もっと素敵になっちゃうんだ♪って言える人でいたい

関わった方がやってみたい!って言ったことは、やってみたらいいじゃん!って言える人でいたい


女性は特に『年齢』を理由にいろんなことを諦めようとする

もうこんな歳だから綺麗になるなんて、、、
もうこんな歳だから新しいことを始めるなんて、、、

年齢なんて、ただの数字だ

実際わたしは45歳を過ぎてからものすごく外見が変わったし(メスとかいれてないよ、メスをいれることは否定しないけど)

48歳のいま、17年続けたアロマの先生からカメラマンに主軸を移したし

カメラマンとしてやっていけるかどうかなんて未知数
でも、始めることはいつからだってできる

年齢なんて、ただの数字だ

わたしたちは、まだまだいける
自分史上最高を更新していこう

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