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こじらせの原因は、反抗期の有無じゃなくて過干渉かもしれない
「反抗期ない人って、大人になったらこじらせること多いよね」
よく聞きますよね。
でも私、これって違うのでは?と思っていて。
正しくは、「自我が芽生えてきたタイミングで色々な欲求が満たされなかった人って、大人になったらこじらせること多いよね」じゃないのかなって思っています。
思春期に欲求が満たされない原因って色々あると思いますが、原因の一つに「親の過干渉」があるんじゃないかな、と最近思うことがありました。
反抗期がないわが夫
私、夫に出会う前は反抗期ってみんなあるものだって思っていたんです。
だから、「親に反抗したこと?別にないなぁ。」と夫から聞いた時は、たまげました。
マジか、と。
でもね、夫は別に性格に難があるわけじゃない。
むしろ、私より感情のコントロールもできるし、どちらかというと人格者より。
私「え?なんで?なんで反抗したことないの?」
夫「だって、別に反抗する必要なかったし。」
ん???
反抗する必要がないという環境
ここで私はまたまたびっくりするわけです。
「反抗する必要がないってどういうこと?思春期がきたら、親から言われたこと全部うっとうしくなるもんじゃないの?」
こう切り返したところ、少し考えたのちいちいち答えるのが面倒くさくなった夫にスルーされて、この話は終了になりました。
時は流れ、夫と反抗期について話したことをすっかり忘れていたころ、同じく反抗期がなかった友人Mちゃんに出会う私。
やさしいMちゃんは、私の疑問に全部答えてくれました。
私「親に反抗する必要がないってどういうこと?」
Mちゃん「え?だってうちの親、私に対して何も要求しないし、何しても怒らないもん。行きたいところに連れて行ってくれたし、やりたいこともやらせてくれたし、反抗する必要ないじゃん。」
ここで私は気が気が付きました。
「そうか、自我が芽生えてきた時に自分の主張や欲求がちゃんと満たされていれば、親に反抗する必要はないんだ。」と。
うちの親は結構な過干渉だったかも
Mちゃんと話しながら、バリバリの反抗期にいた自分を振り返る私。
「確かにうちの親、うるさかったな」
親になった今ならわかります。
その口うるささは、子どもを愛するが故。
が、しかし。
「あれしなさい、これはした?お風呂にはいりなさい、もう寝る時間よ。」
ってうるさく言ってくるくせに、私がやりたいことに関しては
「まだだめ。子ども同士じゃ危ない。こうしたほうがいいんじゃない?ああしたら?」とすんなりやらせてくれなかったことを思い出しました。
あの頃の私がいつもイライラしていたのは、あれこれ言われて自分のやりたいことができなかったからかもな、と。
もうちょっとほおっておいてくれたら。
私がやりたいようにやらせてくれたら。
あそこまで親に反抗しなかったかもな。
なんて考えてみたわけです。
そして、ここまで考えて私はふと気が付くわけです。
あれ?この関係って、今の私と息子じゃない?と。
自分が過干渉な親になっていたという恐怖
カエルの子はカエルといいますが、過干渉の親の子は過干渉だったようで。
10歳の息子から「うるさいなぁ!」とか「もうやったよ!」とか最近よく言われてる私ーーー!!!??
ってことに気がつきました。
いや、まだわからない。
普段の自分を思い返しながら、息子にしていることを書きだしてみよう。
おはよう!から始まり、
「パン?ごはん?ヨーグルトは食べれる?フルーツはりんごでいい?あ、時間割やった?ちゃんと鉛筆削った?」
と朝から質問攻め。
帰宅後、息子のランドセルがリビングにほおってあったら、
「自分の部屋にしまってくれる?あ、給食のナプキン出した?チャレンジと宿題は?やった?サッカーの練習行った?夕食どうする?え?ステーキは無理。餃子でいい?じゃあ聞くなって?確かに!」
とマシンガン質問からの、自分からメニューを聞いといて食べたいといわれたものを作らない、という番長っぷり。
夕食を食べた後も、
「先お風呂入ってくれる?え?いやなの?いやでもお願い。先に入っちゃって。テレビ20時までね。YouTubeみたいの?もうおしまい。」
と寝る前まで息子の行動にあれこれ口を出す始末。
こうやって書いていて、自分に引きました。
過干渉が過ぎるだろ、私。
ほおっておくんじゃない、信じて待つ
私はようやく受け入れることができました。
誰が見ても、私は息子に過干渉だなと。
電話している時にMちゃんがいってくれた一言があります。
「もう少し息子君のことほおっておいたら?あもが言わなくても行動するって、信じて待ってみたら?」
たしかに、私は息子のことを信じてなかったのかもしれない。
Mちゃんのこの一言で、目が覚めた私。
息子が困らないようにあれこれ声をかけていたけれど、たぶんそれは間違いで。
例えば。
私が声をかけなかったことで息子が忘れ物をしても、その時に息子は「忘れ物をしたら困る」っている経験ができる。
でも私が声をかけることで、「困る」という大切な機会を息子から奪っていたのかもしれないな、なんて思いました。
息子の底力を信じて見守るのが、きっと正しいんだろうな。
今後は、「普段は干渉せず、息子からのヘルプが来た時には全力で応える」というスタンスで、今後は息子に向かい合いたいなって思います。
もし口を出したくなったら、脳内であみんの「待つわ」をエンドレスリピートすることを誓います。
息子が中学生になるまで、あと二年。
息子とはいつまでも仲良しでいたいなぁ。
鬼ババアとかくそババアとか言われたら、ほんと泣いちゃうな。
なんて思った春の日でした。