いっそ機械になりたい
前回の投稿で生に対する感謝を捧げたばかりだというのに、もう次に言いたいことのタイトルはこれだから、自分という人間がいかにいい加減でブレブレかということがよくわかる。
「子どもを登園させる、朝が一番辛い」でも書いたことの繰り返しになってしまうけど、依然として朝が辛すぎて弱音が止まらない。
---
わが家では、保育園の送り迎えはどちらも私の担当だ。
夫の出発は早く、朝の5時半、6時には家を出ている。
そして冬の朝は暗く寒い。
子どもは布団を蹴飛ばして寝るのが普通で、「もうウチの子には掛け布団は必要無いのかな?」と思っていたものだが、この時期に限っては、ぬくぬくと毛布をおりこうにかぶって寝ている。
「起きてー」「朝だよー」
「起きる時間だよー」「お着替えするよー!」「朝ごはん食べれなくなっちゃうよー!」
「保育園行くよー!」
「ママお仕事遅れちゃうよー」
優しく言ったってボリュームを強めにしたってまるで聞こえてる気配がない。
7時もすぎるとだんだん日が差してくるので、そろそろ起きれるかと期待しつつも、
一向に目を覚まさない。
テレビを付けて賑やかさをアピールしたり、アンパンマンのマーチがけたたましく鳴るオモチャに頼ってみたりする。
ダメだ。
どうして夜中起きたりするのに、この熟睡のしようはなんなんだろう。
もう寝たまま着替えさせるターンに突入する。
そして子どもの泣き声、悲鳴が響き渡る。
「ヤダァアアアアアアアア!!!!!」
「オキガエ イヤァアアアアア!」
「モッカイ!モッカイ ネンネェエエエエエエ!!!!!!」
泣きたい、
こっちが泣きたい。
グイグイと強引にパジャマを脱がして洋服を着させる。
なぜこんなに嫌われながら格闘しなければならないのだ。
ひとしきり着替えて、
「ほら、冷蔵庫見ようか!」とか言うと
「チョコ!」
とコロッと機嫌が良くなる(という時もある)
チョコでも何でも食べろ!と心の中で悪態をつき、やっとのことで居間にいく。
テレビの前で私の膝に座りチョコを食べ出す。
悠長にしてる暇は無い、
引き続き出かける準備に取り掛かる。
「ヤダァアアアアアアアアアー!!!」
「抱っこォオオオオオオオー!!!」
だーかーらー!
「出掛けるんだってば!」
と怒鳴ったこともある。
それで泣き止むはずない、泣くばかり。
だからなるべく怒らないように適度に放置して準備を進める。
見るのは子どもではない、時計の針ばかり。
気にするのは出発することばかり…
不幸だ。
ひたすらに辛い。
子どもを家に置き去りにりでもすれば私だって仕事に間に合うじゃないか…
そんなおぞましい考えさえ頭をよぎり、自分への嫌悪で通勤電車の中で泣いた。
激しい抵抗は、子どもの性格にもよるだろうか。
後になれば、「そんな時期もあったわね」と目を細めて微笑むのだろうか。
単なるイヤイヤ期に、こんなに深刻に向き合わなくていいのだろうか。
「会社に間に合うこと」を一番優先してしまうと、本当に、心の底から、「いい加減にしてよ!」という切羽詰まった怒りが湧いてしまう。
だらしない社会人で皆様には本当に申し訳ないんですけど、「少しくらい遅刻してもしょうがないや」と早々に諦め、なんとか説得しながら登園し、結果、私は頻繁に遅刻して出社している。
本気になればなんでも出来る?
いや、無理です…
---
余談だが、スヤスヤと、ぬくぬくと眠りこけている息子は本当に可愛い。
起きなよと声をかけながらも、つい寝顔を写真に撮ってしまったりして。(それがよくない)
このつかの間の幸せに浸りたい。
まだ起こさなくても、もう少しだけ大丈夫。
私ももう一度毛布にもぐりこんでしまおうかー。
今日は休んでしまっても大丈夫だろうか…
そんな葛藤に苛まれる。
機械仕掛けのように義務的に扱えば、
親に萎縮して服従するように躾ければ、
子どもはこんなにワガママを言ってこないのだろうか。
寝顔が可愛いと見入ってしまう心なんて無くした方がラクだろうか。
親の都合でスケジュールを子どもに押し付けている酷い人間ということなんだろうか。
ボロボロと、朝から涙が止まらないでいた。