「今は便利になったわね」に感じてしまう親世代との断絶
昔と比べて今は便利な世の中になった。
子育て二年生の私でも、自分の母親世代が体験してきた子育て、さぞ昔は大変だっただろうと想像する。
まずは紙おむつ。
これが無かったら洗濯地獄だ。
現代のオムツはオシッコが出たサインを知らせてくれるだけでなく、ご丁寧に使ったオムツをくるくるまるめて止めるためのテープまで一個ずつについていて、それを初めて見た私の母親は非常に驚いていた。
赤ちゃんの繊細な肌のためには、我が家では布の肌当たりの優しさよりも、抜群の吸水材をもってしてジメジメさせないことを優先させている。
ミルクも進化している。
缶入りの粉ミルクを使ったこともあるが、出産直後の破壊された脳、また慢性的に寝不足の脳みそでは、何杯スプーンですくって哺乳瓶に入れたかさえ、まともに数えられなかった(実話)。
キューブ型に固形化されたミルクのなんてありがたかったことか。お湯を注ぐ直前まで入れた量が可視化される。
早く液体ミルクも市場に出るべきだと思っている。
離乳食では、電子レンジと冷凍庫が無ければ話にならない。あとブレンダー(ハンドミキサー)も。
すり鉢とすりこぎを用意してみたけど、2回使ってあまりの非効率さに打ちひしがれた。
前石器時代的な道具は戸棚の奥にしまい込み、Amazonでbrownのブレンダーを買った。
一瞬でお粥やニンジンを砕くその速さは神の道具かと思った。
私は、便利なものはどんどん取り入れ、活用するべきだと思っている。
(いまの憧れは食洗機だ)
レトルトの離乳食も、ネットスーパーもAmazonも無い時代には、到底子育てなどできない低スペックの人間かもしれない。
あっけらかんと「便利でいいじゃん、何がダメなの?」という態度でいたいものだけど、辛いのが、母親や義理の母親世代から何気なく発される「今は便利になったわねぇ」という言葉だ。
そこまで悪意があるか無いか知らないが、たいそう卑屈な私には
「便利になった時代の恩恵を受けているお前は、子育ての何がそんなに辛いのだ」
という風に聞こえてしまうのだ。
何事も極端な言い方しかしない実の母には、「そんなに便利な物に囲まれて、何もやってないじゃん」とさえ言われた。
70代の義理の母からは、息子に会わせる度に、毎回必ず、
「今は紙おむつでいいわねぇ、捨てるだけでいいんでしょう。布オムツは洗うのが大変でねぇ…」という話をされる。絶対に。
正直返すリアクションが無い。
「そうですよねぇ、大変なことですよね…」
終了、といった具合。
そういう苦労をしてきた親世代に、
なかなかどうして育児が辛いと言えるだろうか。
「産休も育休も認められ、便利な製品で溢れ、児童手当まで貰い、お前達はこんなに恵まれているじゃないか。」
「母親が働きに出る事など許されなかった時代を知らないのか。」
これについては親からの言葉ではなく、ツイッターなどで見聞きして私の頭の中で勝手に響く叱責だ。
昔の育児の大変さを振り返れば、電子レンジはおろか冷蔵庫も冷凍庫も、ガスレンジも炊飯器も、果ては水道さえも無かった時代まで、昔はさぞ大変でしたでしょうねと振り返ることが出来るじゃないか。
そういう話をしたいんじゃない。
苦労自慢は何の役にも立たない。
便利な製品やサービスが次々と登場しても、人間は、赤ちゃんは進化しては生まれてこない。
ヒトの赤ん坊は遠い昔からこの通り生まれてくるんでしょう?
人が人を育てる大変さの本質は同じで、昔とそんなに変わらないんじゃない?
意思疎通出来ない、ただ泣いて伝えるだけ。
抱っこをしたり添い寝をすれば安心する。
添い寝から離れるだけですぐに気付かれて泣き出すし、
お腹を満たしてもオムツを変えても泣き止まない。
眠たいなら泣いてないで寝てくれ!
今この瞬間に、何人の母親が同じ事を思っていることだろう。
残念ながら、どんな眠たい赤ちゃんでも確実に一瞬で眠りに誘う製品はまだ無い。(30年後にはあるだろうか)あの手この手で、昨日は効いた方法が今日は効かないという風に、必死で寝かしつけている。
便利なものに頼って、少しでも多く捻出した時間で子どもを抱っこすることが喜びで、
同時に自分がイライラしないことが重要だと思っている。
泣いたらすぐに抱っこする私を、母はかまい過ぎと言ってきた。
そんなの、泣いてるうちに入らない、もっと泣かせた方がいいと言われた。
なぜそんなことを言われなきゃいけないの?
昔は、もっと子どもは放置されていた。
きっとものすごく。
だって畑仕事の脇に、カゴに簀巻きで入れられてたらしいし。
「便利になっていいわね」という言葉は、「子どもを構う時間があって羨ましい」という意味なのかもしれない。
悪いけど、いや、悪くないけど、
便利にやらせてもらいます。
毎朝計る子どもの体温計は、わずか1秒で予測検温できるものを使います。
母親の孤立が問題視される世の中で、
こうして親達とさえ埋まるはずのない溝を感じている。